摩耶山の尾根と谷・ハチノス谷・杣谷本谷と木袋谷・摩耶東谷・地蔵谷
阪神六甲山  (五万図=神戸)
T摩耶ロッジ〜摩耶山〜黒岩尾根〜地蔵谷 (ハイキング道) 2000年10月01日
U杣谷峠〜徳川道〜ハチノス谷〜天狗塚(長峰山 688m) 2001年08月05日
V山寺尾根〜摩耶東谷〜摩耶山〜黒岩尾根・天狗道〜地蔵谷 ・地蔵大滝 2002年09月29日
W:杣谷堰提〜杣谷本谷(木袋谷核心部は崩壊・堰提!!?遡行中止) 2003年07月26日
兵庫県のじぎくと摩耶東谷の滝 H14.9.29

  近畿の山城:摩耶山城

 関西100名山 :摩耶山 (699m)No51 ふるさと兵庫の50山 No47
 校歌・故郷の山 稗田小学校 ♪xx・・空澄みて 旭に映ゆる摩耶翠・・♪
            松蔭中・ 高等学校 ♪xx・・仰ぎ見る・・・xx摩耶六甲・・♪
            なぎさ小学校 ♪緑の摩耶に いだかれてxx・・・♪ 他・・

天上寺は仏母:摩耶夫人を祀り、安産・子育ての守護仏として女性の信仰を集め、 「摩耶詣」の参詣者が多く、当時:灘区に住んでいた母も、安産祈願の腹帯を戴きにあがった寺で、私が生まれる前から因縁の摩耶山天上寺ですが、昭和51年火災で焼失してしまい今は神戸市の摩耶史跡公園となった 境内には堂宇跡、参道の石段・石垣を残しますが黒こげの立木も残っています。現在の天上寺は旧摩耶ロッジと六甲山牧場の間にある奥摩耶へ移りましたが、此処からは穂高湖とシェール槍が近いので寄ってみてください。類焼から免れ兵庫南部地震からも倒れること残った、 主無き仁王門があり、萱葺き・山門修理の 寄進者や下馬の大きな石柱や本堂に至る石段の参道が往時を偲ばせておりますか゛寂しい限りです。再開されたロープウェー摩耶山上駅は「星の駅」に、紀伊水道から淡路・和泉・播磨・丹波等8ヶ国が見えるところから 名付けられた八州嶺も星が掬える「掬星台 」と名付けられました。 盂蘭盆会の頃か!!天上寺へ夜の参詣では46000回参拝した功徳があるとした参詣登山を見た 居留地の外国人が月に関わる信仰と思い天上寺をムーン・テンプルと呼んだことで、 ロープウェーも星にちなんで「彦星」 「織姫」と名付けられるようです。
杣谷堰提から海を望む

六甲駅からは初めてだと分かりづらいが護国神社〜長峰橋を経て、摩耶山と長峰山の間に深く切れ込んだ谷筋・杣谷(カスケードバレー)を杣谷峠に向う徳川道のコースが特に人気のコースです。 杣谷はカスケードバレーと呼ばれ、その名の示す通り水階段のように小滝がたくさんある涼しいハイキングコースですが、以前から杣谷の遡行記録を聞いた事が無い。杣谷の枝谷にもハチノス谷(ハーチス谷 !!)や摩耶東谷があり、人気のハイキングコースに沿って上流で杣谷本谷左俣の木袋谷へと、歴史の道を降り・明るい谷に険悪さを隠した六甲の小谷を遡行します。

T {太平記}の摩耶合戦の舞台は?
 摩耶ロッジ〜摩耶山(699m)・黒岩尾根〜地蔵谷
   H12.10.01

六甲山牧場から(現)天上寺を経て(旧)神戸摩耶ロッジ(閉鎖中)に着きます(AM8:10)。 通年だと観光客の多い山上駅周辺も寂しい限りですが、摩耶周辺の静けさを歓迎したい気にもなります。震災以降やっと再開に向け摩耶山上駅(掏星台)に試運転のロープウェイが動き始めたようです。 摩耶山の三角点はこの西にある天狗岩です(AM8:20)。石丸猿田彦大神と天狗岩大神を祠る鳥居が有り岩磐がある奥の院・行者堂は法道仙人によって 建立された修験道場の行場の一つで内部に不動明王と弘法大師が安置されている・・とはこの下の広場に案内板にあります。六甲全山縦走の難所?のここの急坂は天狗道と呼ばれる所以もこの天狗岩で修験の行者道だったのでしょう。 三等三角点(702m)は鳥居の南東側にの少し切り開きの場所に有ります。

ここから旧天上寺へは観音霊場巡り跡(台座だけが残る石段の道)を下ります。旧天上寺跡(AM8:35)は歴史・・広場神戸市街を望むこの地も掏星台と同様に南北朝期の摩耶城址説のひとつでしょう。旧参道の石段を下り仁王門から先、荒れた参道を下りケーブル乗り場の手前で四丁石 「地蔵堂」に着きます。耶花壇(店跡)があり、石積みの横をハイキング道・上野道【旧摩耶山天上寺への参道】がケーブル下に通じます。ケーブル付近の東の曲輪群と此れから向う西の曲輪群の間で堀切の跡です。 ベンチもある休憩処より西へ関電巡視路!の細い尾根道は二つのピークがあり 西端のピーク(502m)が本丸跡との説があり 途中の尾根の随所に曲輪跡が残っているそうですが、私にはそれらしくは見えても中々見い出せません。尾根の細長い台地状は本丸跡!ピークに着てやっと展望が開けます。 此れより南へ下る道はヒジリ谷〜上野へ出るようです。
摩耶山掬星台・山寺尾根下降点からは金剛・葛城が正面に

四丁石へ引き返して旧遊園地のケーブル乗り場の右手も遺構跡の雰囲気です。土塁跡のような台地状の藪尾根下に工事用の壊れた小屋が何箇所かありますが、それらも個々の曲輪跡ではないかと思えます。 ロープウエイ乗り場前には廃材や瓦礫の山・中央の茶屋は兵庫南部地震で倒壊した姿を曝したまま手付かずのまま。スエた・・かび臭い匂いが漂っており否応無く当時を想い起こさせます。ケーブル乗り場は当時そのまま。 始発AM8.20?だったかな待っていれば今にも乗車のアナウンスが聞こえてきそうです。次の目的地の地蔵谷へ向かうべく再度、旧天上寺から摩耶山頂天狗岩(AM10;00)へ戻ります。市ヶ原へ殆どの人は天狗道を下るでしょうが、 私は黒岩尾根から市ヶ原へ出ることにします。布引谷へ降立てば地蔵谷の入り口(AM11:00)はすぐですが昔のように谷に入れません。幾つもの大きな堰堤越えの為、思うように遡行出来ず止む無く一般ハイキングコースをとる。 そのため地蔵大滝さえ巻き上がってしまい滝登りの偵察も忘れ、そのまま黒岩尾根を辿り摩耶山上に向かいます(PM12:00)



U 杣谷峠〜徳川道〜ハチノス谷〜長峰山 2001年08月05日

一ヶ月ほど前に同伴者(=^・^=)★さんと訪ねた穂高湖周辺ですがこんな所に「西国往環道附替」徳川道 が通じています。穂高湖への道標と車道を挟んでトイレ・ベンチ・小広場のある杣谷峠(AM10:30)が杣谷(カスケードバレー)に沿って下っていく徳川道です。左の尾根道は天狗塚(長峰山)を経て伯母野山町・六甲篠原台へのハイキング道ですが、 今回は目的の谷を詰めてこの尾根道に出て杣谷峠に戻ります。暑い中でも六甲山は手軽な人気の山。この時期、沢沿いの道は超人気!次々と汗しながらも登山者は続きます。このコース(徳川道)に沿う杣谷 (カスケードバレー)もまだまだ楽しめそうです。
水量乏しく迫力欠ける 18m滝/登り応えは有るが最上部3m突破に自信なく右に捲く

むかしは何回か遡行したこともあって、登山道を歩いてると何度も木袋谷やこの本谷を辿ってみたいと思いながらも下方に見える堰提が、 谷遡行の難物となっているようです。長峰ダム上の河原に着きました(AM11:10)、が此処から直接左端の藪に隠れた谷を辿ってもすぐ堰提に突き当たりますので、 左上に見える長峰墓地 へ入っていきます。 墓地の最奥の広い空き地の先で右手に登っていく道がハチノス尾根への取付点です(AM11:15)。 谷へは墓地の最奥に向うと左手に「火の用心」標識を見て、其処から谷に下ります。正解! 谷の下降点下手に堰提が見えます。直接谷へ降立っても小滝を一つ越せば、 この谷にあるたった一つの建造物 (小屋)ハーチス谷気象観測所です(〜AM11:30)。
スケール感が出ていないが谷を塞ぐ18m滝上部登攀具必携ルート!

上部の踏み跡伝いにこの小屋に着き、草鞋に履き替えますが以前の入谷時と違い水量乏しく軽登山靴のままでもよかったかも! 小屋(観測所)の裏手で谷に降り 3m程の滝を越した途端、上部で獣の悲鳴とバタバタせわしい音が続きます。正面小滝・両サイド急な砂地の斜面で逃げ場を失って、もがくようにしてそれでもようやく、 藪の中へ猪が逃げていきましたが、 逃げ切れずに正面に飛び出してきたら私のほうが慌ててしまいます。この上には数個の滝が続き1〜3mの小滝にはロープがありますがロープを使うより滝芯を直接登るほうが快適。 その先で増水監視カメラ付きの 水門を過ぎると後はハチノス尾根の稜線に雨量計があるだけで堰提他、人為工作物は何も無く、水量こそ少ないが次々と小滝が現れて数など数えておれない程です。表六甲の楽しい谷ですが、 一般ハイカーには 巻き道も危険なほどのところが有り要注意ですね。眠らすには惜しい谷ですので紹介だけはしておきます。

水門の先に続く5m・2m・3m小滝を越して暫らくは平穏な谷が続きますが目前に下部は石垣を積み重ねたような 上段はいかにも険悪そうな複数段から成る20m程の滝が現れます。 谷が狭いので 極端に大きく高く感じるのかも知れません。中段から上部直瀑下付近までだらりと延びたナイロンロープがあります。 大分古くなっているようで慎重に補助に使用させていただいて棚に出ますが 此処からの上部3m程の直瀑突破が一寸厄介です。 乗り越しに利用したい上部の残置ハーケンは錆びてグラついてさえいるのでスリップすれば抜けるよりも、折れてしまうかも・・。諦めて右へ巻き上がります(AM11:50)。なをも小滝の連続です。
天狗塚(長峰山)山頂

3m程の滝は上半ホールド少なく右を捲き、 廊下状の奥の4m滝に向いますが 手をかけた先にはヘビ・・慌てて引き下がり木の枝で追いますが垂直の岩場は蛇も苦手か!何度も私の足元に落ちて来そうになりながらも何とか上に辿り着きます。それなら今度は私の番。 この滝は落ち口に岩を乗せたようなチョックストーンを持つ滝ですが思ったほどの悪場はなく、スッキリ左を抜け登れました。左右に巻き道らしい踏み跡はあります。7〜10程の小滝・滑滝を越して左に枯谷の分岐に着くと 本谷は堰提の様に立ち塞がる20m程の大滝です。 前回のイメージから此処でのシャワークライムの真似事をと期待していたのですが写真の通りの水量で(PM12:10)。 中程から取り付き1/3のテラスに上がり次の 1/3のバンド状まで登ると彼方此方に残置ハーケンを見かけます。右手へ抜けるより直上したほうがスッキリしているし登り良さそうですが高離があり確保等装備など有りません。 ちょっと上部まで行き過ぎました。クライムダウンした方が良かったようですが、 左へ捲こうと移動します。 此方にもハーケン!!?ずっと下方からの巻き道(踏み跡)へは丈夫そうな木を伝って飛び出して?まったりりズリ落ちたり・・・やっと巻き道?を辿って滝の上に出ます(PM12:30〜12:45)。
杣谷登山道沿いでは 最後の滝(6m)

滝の上部は左右から巻き上がってきた 踏み後が交差して谷を挟んだ稜線に続いていくようです。谷筋には既に水は切れていますので軽登山靴に履き替えます。枯れ滝が見えますので暫らく谷を直進していきます。2m前後の小滝を6〜7個ほど越して谷の分岐となります。 左の谷側の木にテープが見えますが、ハチノス尾根は右手ですので右の急な枯谷を直上してハチノス尾根に出る(PM13:10)。この尾根を雨量計が設置されている北へ向うと伯母野山へと続くハイキング道に出て(PM13:25)、 そのまま天狗塚に向います。しかしこの陽気では天狗塚(長峰山3等3角点! 688m PM13:30)は灼熱地獄の釜の上にいるようなものです。新装成ったオテル・ド・摩耶(旧摩耶ロッジ)から摩耶山上を写真に収めて早々に 地獄の釜の山頂を後に下り続けて出発地点の杣谷峠へ戻ります(PM13:50)。


V 摩耶山に向う尾根と谷と!!  山寺尾根〜摩耶東谷〜天狗尾根〜地蔵谷 H14.9.29

昨年新装なった「オテル・ド・摩耶」(旧国民宿舎の神戸摩耶ロッジ)前(AM8:05)を抜けロープウェー摩耶山上の(今は星の駅)公園の掏星台に出る。早い時間でもないのに人影も無く静かな広場の東端にある展望所に向います(AM8:10)。神戸市街地を見下ろし大阪湾を向こうに金剛・葛城の山並みが和泉山脈へ、生駒連山へと両翼を拡げている。目の前には此れより遡行予定の摩耶東谷山寺尾根と旧天上寺への参道・上野道の尾根に挟まれながら最期の急峻な谷想を秘めて摩耶山上へ詰め上がってきます。
摩耶東谷ゴルジュを抜けた後の2段5m滝

摩耶ケーブル駅や過去の栄光を閉ざした摩耶観光ホテル(摩耶観)も見えて います。展望所横の下降点から下方に見える長峰墓地公園への 山寺尾根もかつて旧天上寺への参道でハイキング道としての利用価値も大きく 登山者の多い歩きやすいコースなのですが、ちょっと展望をのぞかせてくれる中間部から山頂への急登は初心者にはきつく、 良い思い出!を!お持ちの方も多いかと思います。
この滝の落口へ降り立った。滝にも捲き道にもロープあり

杣谷道(徳川道)に降り立ち長峰堰提側へ少り始める地点には、石垣で囲われた平坦な小場があり寺跡らしい 石積みや「南無妙法蓮華経」の石碑が残されています(AM8:45)。 山寺尾根の名も此処から付けられたのでしょうか!!?。長峰堰提の広い河原へ出てくる手前に小屋がある。東谷を此処から詰めようと思うが 畑らしいものもある小屋付近には 揺れる人影を認めて、他人の敷地に入って行くようで遠慮。別の取り付きはないものかと先へ進むと谷右岸の尾根に上っていく道がある。入り口に「此の先行き止まり 」と書かれているのですが ・・(^^; 少し入り込んでみるが何処までも 急な坂道を登っていく送電線の巡視路のようで、尾根を伝えば何の為に山寺尾根を下って来たのか解かりません。
滝が現れてはすぐ堰提では・・!!

山道は明瞭なので閉館された「摩耶観 」や摩耶駅へ辿れる道かも知れません。堰堤上へ戻ったが私有地に入って行くような 小屋前通過を遠慮して先の寺跡へ戻りがけに細い踏み跡を見つけ、入って行くと先程の小屋から延びてくる山道と合流した。 こんな良い道がハイキングコースの近くにあって東谷に沿って続きます。その訳は30分後にわかります。 やがて滝音が大きくなってきたので下降点を探します。気掛かりなのは直ぐ前に見える堰提(深谷砂防ダム)なので、 堰提の先で谷へ降りようと進んで行くと下方の谷沿いに小屋が見えます。 人影はこの小屋に向っていたようです。 それとも後刻、枝谷に入り込み引き返して摩耶不動滝修行場へ向った時に出会った人だったかも知れません。修行の滝場までの参道の下草刈りをしておられました。 さて、長峰堰提上の小屋を抜ける入口から僅かで到達出来る核心部の滝群やゴルジュの中に掛かる数段の滝が未通過になってしまい此処の連続する滝最期のトラロープがフィックスされた滝落口へ降り立ちました。
【摩耶東谷】不動の滝

水量が少ないながらも上部から見る滝の流れと周辺の感じはなかなか険悪な様相です。 (案外下部からだとたいしたことないかも)此処は、また日を改めて再訪。これより遡行を開始しますが直後から2〜4m滝が幾つか現れ、同時に六甲谷名物の小堰提も面白くなってくると現れるので遡行興味は著しく損なわれてしまいます ・・・・(^^; 何処からでも対岸に渡れそうな河原の中に簡易な小橋があったり、 小滝の側にコンクリートで囲った水場があってナント蛇口がつけられています(AM9:30)。水は出てこなかったようですが??其処にトラロープがあって上部へ抜け、その先にあるダムを右手から捲き上がって河原に降りると 山道が右の谷に向っています。水量は同じくらいに思えるので先ずは直進して藪っぽい左の谷に入って見ます。 藪の中のゴウロと激しい蜘蛛の巣攻撃に対抗しながら堰提迄来ると右へ巻き上がるロープがあるが 谷沿いは此処で完全に藪になり踏み跡も消え、第一谷の水も消えてしまいます。 ロープまで戻っても尾根に向って我武者羅に登る踏み跡は有るようですが山寺尾根へ出るだけなので、下の山道へ戻り左への谷に向かいます。
摩耶山・天狗道

岩が迫って廊下になった谷はすぐ斜滝を越えてバラック小屋に出てきます。 7〜8m三段程の不動滝(AM10:00)が有って、樋を通して直接下段へ水が落とされている。バラック小屋はトイレや更衣室のようで「摩耶不動御滝行場」の標札が懸けてある。 山道の続いていそうな左の道はすぐ上部の堰提へと続く様ですが山道が急なことと谷筋が細い上に水量もなく暗い。此処を登れば旧 「摩耶観」やアナウンスが聞こえてくるケーブル摩耶駅へも近いようです。 不動滝を左側から上部へ道が通じていて此処にも行場か管理用の小屋があり、稜上の露岩への修験道がある様です。谷筋は良さそうなのでワクワクして進み出したら前方に大きな堰提がある。捲き道はと右手を見たら、 「七福岩・毘沙門天」と彫った露岩があって良く踏まれた道がある。滝上の露岩の行場らしいところから延びてきた道を辿るがドンドン稜線伝いに高く登っていくようです。しかし山道は岩の多い道で展望も期待出来そうです。 疎林の中ならともかく、密生した雑木藪に突っ込んでまで谷に降りるつもりは無かったのでそのまま尾根を辿ります。谷に対峙して山寺尾根を登るハイカーの声や姿は目の前ですが私の存在に気付いた人はいただろうか!!?

結局は山寺尾根に飛び出します(AM10:30)。 摩耶東谷においても宿題!!(次回の楽しみ)が残ってしまいました。入口のゴルジュと滝、そして不動滝から上部の谷を詰めること、いつになることやら・・・。 尾根を詰めれば観光スポットの掏星台に出てしまいますが、分岐を南側下に捲きながら、途中急斜で長く真っ直ぐな石垣水路溝が摩耶東谷へ落込むように延びています。此処を跳び越えて史跡公園(旧天上寺)へのハイキング道に合流します(AM10:40)。史跡公園の本堂跡地へは5分程ですので休憩ついで寄った後引き返して 奥の院跡経由で天狗岩のある摩耶山(3等三角点 699m 最高地点は702m AM11:05)からNHK等の摩耶中継所(黒岩尾根分岐点)前を抜ければ、 六甲全山縦走路中の難所で市ヶ原側からだと登り始めた途端に稲妻坂の名もある急なジグザグが待っている天狗尾根にかかります。最初の広い鞍部 (AM11:15)に地蔵谷への分岐があってアドベンチャールートは、 そのまま黒岩尾根へ出て周回も出来ます。
地蔵谷・地蔵滝(15m)

天狗の下りでは展望が拡がる露岩もあり先日登った丹生山地や神戸の海を見下ろします。 天狗道と対峙して北方の黒岩尾根に挟まれが谷が地蔵谷です。前回は堰提をさけながらハイキング道を辿って 地蔵滝は滝音しか聞いていないので今度こそはの意気込みです。東山への尾根を新神戸駅へ向う学校林道 (旧摩耶道)分岐も大きな道標があって(AM11:35)良く分かります。山道も広いしネ・・・(^0^)。 布引ハーブ園への分岐(AM11:48)も過ぎて稲妻坂を下りきると六甲全山縦走路は天狗道から市が原の茶屋へ下がって行きます。 ツェンティクロス・森林植物園へ右折して進めば、直ぐに地蔵谷入口に 「地蔵谷・摩耶山」の標識を見ます(PM12:00)。地蔵谷は古くからのハイキング道ですが堰提工事で荒れた個所も有りますが樹間を通して滝を見ながらの遊歩道です。キャンプサイトにもなる広い場所を抜けて程なく滝壷を持ったF1(4m)が出迎えてくれます。左手から越して直ぐ上の小滝(2m)へ出ると早速、地蔵谷堰提で遡行を中断してハイキング道です。 沢筋にもどって5m程の滝を越えると目の前に第二堰堤で通過不能。再び沢筋へ入ると今度は蜘蛛の巣攻撃が激しく、 小さな小枝が箒のようになってしまいます。しかし待望の地蔵滝(約15m)も直ぐ此の先で姿をあらわします。ハイキング道と堰提に阻まれた谷の遡行者は殆んどいないようです。 滝壷を右岸から滝芯の下部にへつって中断したまで登ったが上部の斜漠部はツルツルで手掛かりも少なく、アト一歩の決断も老体と足下も不用意では無理なので左の雑木に逃れた。
地蔵谷

滝上から2〜3のナメを見たら3m程の滝が現れる。滝の様子は分からなかったが見覚えの場所。 滝を越したら女性の登山者が食事休憩中、此処はハイキング道でした。ハイキング道を飛び越えるように、そのまま谷の中を進むが人跡途絶え、蜘蛛の巣の枯葉等で顔は泥パック状態。 5m程の滝を越したがその先は第三堰堤で突き当たり。雑木とガレ場を右手へ捲き上がりハイキング道へ出て遡行を中止します(PM12:45)。道なりに草地の広場に出てくると2段の堰提(PM1:00)があるが 谷や堰提が大きなわりには水量が殆んど無い。以前も長い藪漕ぎで黒岩尾根に出たことがあるがな〜ンにも無かったので、このまま谷に沿ってのハイキング道を辿り、アドベンチャールートの分岐に着いた。 左へは「こだまの丘」を経て黒岩尾根へ出るが、ここは左へ直進して天狗尾根へ向かいます。天狗尾根分岐からは15分ほどで摩耶通信所前を通って掏星台(PM1:35)に戻ってきます。


W :杣谷堰提〜杣谷本谷(木袋谷核深部は崩壊!!?遡行中止)   2003年07月26日

むかし(1965〜1980頃)何回か遡行した杣谷本谷や木袋谷ですが六甲の谷歩きを楽しむ人は少なくなりました。理由は色々ありますが、 山上のホテルや建造物が増えた事や汚水に加え、以前から遡行の楽しみの最大のネックとなっていた砂防堰提が兵庫南部地震以降、 一気に数も増えてきたように思います。入谷者が少ない為踏み跡も薄く、藪も深くなったうえに堰提越えの巻き道さえない。水害被害防災の為に仕方ない事ではありますが、堰提のある前後に限って滝やゴルジュの核心部なので、 立木を頼りに崖を巻きながら滝の音を聞きながら残念に思うことが多くなり、 段々と谷歩きの楽しい谷も少なくなってきました。
堰提で分断された僅かな谷間にも水階段!!

そんな中でも摩耶山周辺のハイキングコースとしては布引〜市ヶ原コースに次いで人気の杣谷(カスケードバレー)に寄ってみます。 登山道に沿って谷の水音や幾つかの滝を見ながらも谷を遡行する人を見たことも無いので、不人気の秘密!!を探るつもりで入谷して見ます。何時も通りに杣谷峠から杣谷砂防堰提上の河原まで降りてきます。此処は摩耶東谷と山寺尾根の入口でもあり不動滝までは道標も有ります。カスケードバレーの名が示す小滝が続く杣谷も大きな堰提で核深部分断され、 その後も砂防工事は続き本谷も枝谷にも堰提が目立ちます。登山道は流れを左岸に渡りますが谷筋を直進すると小さな淵と 小滝と斜面流れる水の白さに谷の名・カスケードの光景を見せてくれます。が直ぐに杣谷第二堰提の為登山道に戻りますが此処から次の登山道と出会う僅かの間にも美しい滝が2〜3有るので谷に戻ります。 登山道は摩耶堰提を大きく巻き、此の先へと急登が続きますがそれだけに急峻な谷の様相にも期待がもてる。登山道を左に分けると両岸が迫りナメの滝を越して進むと廊下状の正面に大岩を乗せた垂直の滝 (4m)に突き当たります。
岩ヶ谷出合下の大きなチョックストンのある滝(4m)

今日・この滝の左岸にだけ僅かばかりのイワタバコが、可憐な小さな紫の花が名残の顔を 覗かせていました。しかし此の滝右岸の階段風の岩場突破には、あと一歩が踏み出せずに一番の難関です。 残置ハーケンと上部の立木に手が届いて何とかクリアします。大きなチョックストーン滝を越すと岩ヶ谷の出合です。右手奥には2段(下段4m・上部は8m程)の滝が見えているのですが険悪というより・脆そうな滝です。 正面の本谷には3m程のチムニー状の直瀑が架かるが 岩ヶ谷側から越えるとナメ床の快適な谷歩きが続きます。 登山道と合って急な登りの先には、左の枝谷に寒滝があるのですが樹々に隠れて 下部を堰提の一部と見過ごしてしまったようで、気付かないまま過ぎてしまったが、落差が布引の滝に次ぐ大きさだといわれ六甲でも有数の滝なんですが・・(^^;

登山道間近の谷出合いに架かる滝なので水量でもあれば、誰でも直ぐ気付んですが・・・残念な誤算がもう一つ・・・。寒滝谷の先で木袋谷と出会う。二つの谷に挟まれた正面中央に階段道の登山道が稜上に続き登り切ったところが杣谷峠です。右手が杣谷本谷ですが、左の木袋谷に入ってみます。 直ぐ上方に堰提が見えるが人が入り込んだ形跡が殆んど感じられません。2ッ・3ッ目と堰提を越すのに右岸を高捲くが、谷筋には岩の重なりが目立つだけ。谷筋に岩が迫ってくる様相がまったく無いまま、 また上方に大きな堰提を見る。此処を越しても同じ事・とっくに核深部は過ぎている筈です。
岩ヶ谷出合の本谷に架かるチムニー状の滝(3m)

むかし本谷から望んだ核心部:最奥の10m程の垂岩に架かる滝まで行ってみようと思ったのですが、想い出の片隅にも当時の状況を思い出せません。すっかり様相も変わって藪谷です。かつて大きな滝こそ無いが静かな木袋谷は、苔生す堰提に埋もれ消えてしまい顧られる事も無い、何の変哲も無い谷になってしまったようです。 人気の杣谷(カスケードバレー)ですのでハイキングコースの詳細は大くのガイドブックやHPで紹介されていますので此処では割愛します。ただ杣谷峠のすぐ近くに穂高湖があり、シェール槍があり、徳川道が森林植物園方面に通じていますので、続けて此方を訪ねるコースが推薦です。


仏母 摩耶山トゥ利天上寺 (高野山真言宗 新西国22番 本尊・十一面観世音菩薩)

ご詠歌に「ちぬの海 わたるもも船 あけくれに 仰ぐや摩耶の 法のともし火」旧天上寺からは市街地から大阪湾を見下ろし展望良く、市街地からも目立つ位置にあります。孝徳天皇の創建により、開基は大化2年(646)インドの法道仙人が中国・西明寺で手に入れた釈迦の自作十一面観音像を祀って、この山中に霊場を開いたと伝えられます。さらに150年ほど後空海が長安で手に入れた釈迦の生母・摩耶夫人(ぶにん)像を帰国後、法道仙人の観音霊場に祀って寺を創建したのが天上寺の起こりで摩耶山の名の由来と 伝えられ寺宝に足利時代の両界曼荼羅や赤松円心の奉納刀等があります。
旧摩耶山天上寺跡から摩耶山

此処に元弘3年(1333)倒幕の兵を挙げた播磨の赤松円心の拠った摩耶山城は天上寺を利用したものと考えられています。この天上寺も昭和51年 (1576)1月に失火により焼失し、閉鎖されていた国民宿舎・神戸摩耶ロッジ(今はHOTELDO摩耶として2001年7月新装OPEN)近くに移転され昭和60年(1985)再建されました。寺跡は史跡公園となっており 荒れるに任せた仁王門とその前後に残る参道の石段が往時を偲ばせています。阪神大震災以降ストップしていた摩耶ロープウェーも6年後の平成13年3月に摩耶山上駅は掏星の駅と改名して営業が再開され、 ロープウェーは星にちなんだ「おりひめ」「ひこぼし」の愛称がつけられました。此処は八州嶺とよばれ摂津・河内・和泉・丹波・・・等旧八国が望まれ、広い展望台からの美しい夜景は掏星(きくせい)台と名付けられています。

天狗岩大神の陰陽石天狗岩
摩耶山天上寺・奥之院の北の山頂には天狗岩大神を祀る祠が有りそばに 注連縄の大岩を見ますが二つに割れたような!!?陰陽石は天狗岩と呼ばれる磐座です。摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めた伝説があります。(三田の千丈寺山に飛んでくる天狗ではなかったかと !!・・・(^^;)行者岩とも称され、今日でも修験者が信仰の対象とする磐座とされているようです。 此処の岩の名も、布引・市ヶ原から摩耶山への山道に天狗道の名があるのも、共に其処で修行する山伏の姿を天狗と思って名付けた呼び名でしょう。山寺尾根は天上寺への参詣道でしたが摩耶東谷に対峙して摩耶不動滝の行場からこの山寺尾根に合流する、 私の辿った露岩の多い尾根道は天狗道を含めて修験の道だったのでしょうか。
摩耶山(三角点)側にある天狗岩

摩耶観光ホテルについて 
六甲山の観光開発では六甲ケーブルや山上交通機関の整備が進み,天上寺を主に摩耶山開発にも 目が向けられ大正14年(1925)1月摩耶ケーブルの開業によって昭和7年(1932)春に摩耶観光ホテルが開業しました。鉄筋5階建,L字型のアールヌーボー風で,海側にせり出した部分が軍艦のブリッジを思わせるところから 「軍艦ホテル」とも呼ばれました。設立当初は「摩耶山温泉」という名称で摩耶ケーブルが運営していたそうですが、20畳敷きの岩風呂,舞台つきの400人収容の大ホール,中ホール,大食堂,和洋客室13,屋上ビアガーデン, 庭園の小動物園,ローラースケート場等があったといわれ、美しい夜景、大阪湾の夜景に見とれながら、風呂に入ったり活動写真を見たりと、ヘルスセンターとして人気があった。六甲の代名詞となった「百万ドルの夜景 」も此処で生まれた言葉ではなかったかと!!。

終戦前の昭和19年(1944)ケーブル運転が停止されて摩耶観光ホテルも営業を停止、戦争による資材提供のためケーブルの線路等を撤去されたままでしたが、 その後営業を再開したようですが営業不振!で休止。10年後に摩耶ケーブルが再開されたのは摩耶山観光の中心が、このホテルや天上寺から奥摩耶に移りロープウェイは開業したが、その連絡の為の再開で、 奥摩耶ドライブウェイの開通で車で摩耶山に登れるようになり、ホテルが再開されることはありませんでした。一時期(昭和40年頃)改装され営業していた時期もありましたが数年後には台風や塩害で閉鎖され、 その後「摩耶学生センター」として復活していたが老朽化も進み閉館が決まっていたが平成6年には営業停止されたそうです。


摩耶山城(摩耶城)

摩耶山城(摩耶城)  神戸市灘区摩耶山

摩耶山城は「太平記」の摩耶合戦の項に、元弘3年(正慶2年 1333)2月赤松円心則村が楠木正成らと謀り大塔宮護良親王の命で白旗城(赤穂・上郡町 )から鎌倉幕府討伐の兵を募りながら播州・赤松城を出て摂津に向かい、京都進攻の拠点としてここに城を築いたと…ただ摩耶山城の位置については摩耶山頂/旧天上寺周辺等諸々説があるようですがケーブル終点「虹の駅」付近から四町石に至る数段の削平地や堀切の跡等、摩耶合戦の摩耶城が何処であったかはともかく、規模の大きな山城が此処に有ったことは確かなようです。背後の山にあった旧天上寺(摩耶山史跡公園)は大化2年(646)法道仙人開基の古刹です。
摩耶ケーブル駅〜山上部一帯が摩耶山城

赤松円心が倒幕で挙兵した時期には既に上野道や杣谷(カスケードバレー),市ヶ原からの天狗道は、修験や参詣の道が通じ山岳寺院の天上寺を城郭化したり周辺に砦が築かれた事は想像できます。しかし京都・六波羅軍との決戦の場「太平記」の摩耶合戦の中心の舞台・摩耶城は…ひょうごの城紀行(神戸新聞出版 )の摩耶山城の項に、摩耶ケーブルとロープウェー乗り場『震災以後・復旧が遅れていたが新名称「虹の駅」でH13年再開された』付近より西に延びる短い尾根筋の 502m山頂部に本丸のある西の曲輪群と、488m山頂を中心の東曲輪群から成り遺構が残る・・現在の縄張りから見て、その後・戦国時代の遺構が残り軍事拠点として使用された可能性が高い…の城址レポートがあり一寸寄り道してみます。登山としては神戸高校裏からの上野道のコースが登り易くて直接、四丁石のある堀切跡に出てきますが、此処で東と西に城域の曲輪群を二分しています。

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