白石谷/穂高池〜新穂高〜シェール槍/マムシ谷・黄蓮谷/有馬三山
阪神 (五万図=大阪西北部)
T 魚屋道(有馬道)〜紅葉谷<白石谷>〜六甲最高峰/シェール槍 H13年07月08日
U徳川道〜新穂高〜森林植物園〜シェール道・シェール槍 H14年05月19日
Vマムシ谷〜シェール道・徳川道〜(森林植物園)〜黄蓮谷 H14年6月15日
 杣谷本谷遡行の後・穂高池〜徳川道 〜森林植物園 H15.7.26
W極楽茶屋〜番匠屋畑尾根〜逢山峡〜鬼ヶ島〜有馬三山 H13年11月04日

有馬四十八滝・百間滝25m H13.7.8
近畿の山城 :落葉山城


ご承知のとおり六甲山は固有の山名ではありません。国立公園・六甲山は六甲最高峰(932m)に立って始めて 六甲山に登ってきたと言えるのが大方の意見のようです。それだけに展望は良く湾沿いの阪神間を見下ろし丹波・北攝・生駒・葛城〜金剛の山々の眺望を楽しめる・此処は観光地の一スポットと化しています。 極楽茶屋から及び一軒茶屋から尾根や谷を有馬温泉へ辿るコースの紹介です。
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【概要1】いつも単独山行だが例に無く :HP「山の小箱」(=^・^=)★みーとさんと同伴です。六甲山へは、いずれ幾度も訪れる事になると思うが早朝出発・暑くなる頃には山上散歩を楽しむつもり。行先が六甲なら 日陰の尾根道と避暑を兼ねての谷歩きが定番!?。無理なくソツなく思い選んだコースは六甲ドライブウェィを車で駆上り一軒茶屋(AM7:30)から魚屋(ととや)道を有馬温泉に下ります。炭酸泉源の天然炭酸水を口に含んで ?どんな顔するやら。温泉寺を抜けて鱒釣り場・鼓ヶ滝を見てロープウェー乗り場から紅葉谷へ入ります。降りてきた時間が 早すぎて有馬籠・有馬筆等特産の店も、いつも立寄る製造直売店も未だ開いてはいないので割れ炭酸煎餅は買えません・・・(^^;。
有馬温泉街から落葉山(山上の妙見堂が判りますか ?)
(写真は湯煙広場〜落葉山〜滝川(鼓滝下方) H15.12.19)

【概要2】 仕事疲れと昨日の雨で遠出の予定でしたが、紅葉真っ盛りの近場で済ませます。箕面・池田の紅葉は来週辺りかと思い、標高差の高い六甲・有馬へ出かけます。此処には超人気の、その名も紅葉谷と六甲最高峰へ突き上げる 白石谷が有りますがポピュラーな紅葉谷道はSTART地点の極楽茶屋へ戻る、帰りのコースに残しておきます。コースの最後は六甲にも残るブナ林の黄葉が楽しめるかも!!。極楽茶屋の直ぐ先の案内標識柱のある分岐では 殆どの登山者が紅葉谷道へ向います。直進して急に静かになった尾根を辿って北に延びる山道が番匠屋畑尾根で六甲有馬ロープウェーが尾根の途中で交差して続きます。昔は極楽茶屋付近には薬草畑があったとか、 番匠(竹の皮で編んだ粗末な笠・篭)に採集した薬草を入れて運んだので、この名があるのでしょうか!?。湯槽谷峠までの番匠屋畑尾根コースは、ロープウエーの鉄塔付近と749mピーク付近がわずかに十国展望台方面の ビューポイントでも有り、行き交うロープウェーを眺めるのも急な下降一辺倒のこのコースのアクセントになっている…


T:魚屋道〜紅葉谷(白石谷)〜六甲最高峰/穂高池〜シェール槍2001年07月08日

青空が広がってきたが樹々の影で朝の魚屋道を有馬の温泉街に向って清々しい気分で降っていきます。 早過ぎてな〜んにもない朝の湯の町散策(炭酸泉源や鼓ヶ滝)を終え、目的の裏六甲の人気コースNo1紅葉谷の谷歩きです。結構多くのパーティが次々入谷してきます。滝見の見物で蜘蛛滝・七曲滝は 有馬三山と組んで後日の楽しみ。今回は六甲最高峰に直接突き上げる白石谷を一軒茶屋に詰め登ります。白石滝手前の広河原から素通りするには勿体無いので軽く沢登りして百間滝・似位滝を覗きに行きます。 谷歩きの醍醐味は水流に沿っての遡行なので百間滝手前のゴルジュ通過も楽しみで少し岩の感触も楽しんでもらいます。 引き返して白石谷に入ります(AM11:-)。数段の滝は最初4〜5mのナメで濡れた岩場に不安があり二段目の滝通過が危ぶまれますので、あっさり捲きあがります。滝の直登と余り変らない高巻きです。小滝や岩壁を眺めながら 谷最大の白竜滝の下に着きます。(数段15m程の滝)2段目6mの濡れた上部 1mが何時もスムーズに乗り越せず苔着きの数10cmの踏み出しに躊躇し通過に手間取る所です…。
有馬四十八滝白石谷・白竜滝

今日は同伴者がいますので濡れたり滑ったり、まして擦り傷等怪我でもされたら大変・此処は左岸のガレ場を大きく捲きます。 小滝が数段続くが谷歩きに慣れてきたので大安相滝(3m程)は滝登りの意識もなくあっさり通過。そのまま谷を直進・前方に堰提が見えてくると人気コースなのに踏み跡もあやしくなってきます。六甲の谷は堰提越えが課題のようです。 ガレでも藪でも突き進めばナンとか成るが突然現れた見覚えの無い堰提(^^;???…同伴者には疲労が濃く漂い始めます。ヤッパリ大安相滝の上で左手にテープやロープの有る枝尾根に出る道があり、谷遡行を主にしていたので見過ごした 本来のハイキング道に引返し、道なりに進んでドライブウェー近くの魚屋道へ出てきます。喉も渇き冷たいものが欲しくなってきたので此れより六甲山観光モードに切り替えて十国展望台へ移動しますが予定していたレストランは 昼時の為満席(PM12:30)。展望の良いところですが今日は生憎で海の青さも生駒・金剛の稜線さえ確認できません。駐車場端の登山道・猪スポットには、こんな時間帯でしたがウリ坊と母親を見かけました。他に知った店など知る由も有りませんので、アジサイロードを天覧台(六甲ケーブル山上駅)へ、此処でやっと 喉の渇きと疲れを癒します。山上観光スポット・次は六甲牧場を横目に穂高池です。
シェール槍からの穂高湖

湖面にシェール槍が姿を映しているが登るのは後の楽しみとして、南面へ廻り林間に続く徳川道を散策します。といっても下る一方の道・後を考えると!!…とにかく歴史の道 :徳川道の案内板と石積(ごぼう積み)が谷筋に残っている処まで下って登り返します。摩耶山への分岐の十字路をシェール道へ採って 穂高湖堰提下に向かい今度は湖の北側の遊歩道です。途中には岩場を縫ってシェール槍 (649m)への登り口が有り、数分で山頂の展望岩に立っと360度の展望が拡がりますが周囲の近場 ・六甲牧場から摩耶山が三方を占めています。西方向に須磨の浦や西神戸・播磨・丹波の山々が遠望出来る筈ですが、今日は一日中霞んでいて展望良好とはいきませんが、足下の青い穂高湖とハイカラ牧場を眺めていれば気分最高です。
シェール槍から六甲牧場

六甲の花
(アジサイ=八仙花)が咲き競うドライブウェーを記念碑台や極楽茶屋にも 途中下車してみます。摩耶山では震災以降長い間休止していた国民宿舎「神戸摩耶ロッジ」が新装「オテル・ド・摩耶」でオープンしていると寄ってみたのですが僅か数日早くて(H13.7.12OPEN)フラワーガーデンに囲まれた 欧風ホテルの外観だけ眺め、残念でしたが夏場の六甲路を(=^・^=)★さんには楽しんでいただけましたか!!!!




魚屋(ととや)道【有馬道】有馬の湯治客に瀬戸内の海の幸を賞味させる為に魚を運んだ六甲越えの山道は、灘の海岸地帯から有馬を結ぶ魚屋(ととや)道と呼ばれ 東灘の岡本から山の神を経て風吹き岩〜雨ヶ峠〜本庄橋(住吉川に架かる石橋で今は無い)〜一軒茶屋〜射場山を巻きながら有馬温泉に通じています。寛文2年(1672)頃から利用されていた魚屋道も明治7年大阪〜神戸間鉄道開通により 住吉駅が開設されたことにより、今度は住吉から住吉川沿いに本庄橋に至る住吉道が整備されましたが、明治32年に福知山線の開通により三田や生瀬駅が開業されると六甲越え(湯山間道)で有馬に向う人も稀となり荒れるに任す状態だったが 昭和48年にハイキング道として整備され人気のコースになりました。
有馬温泉 武田尾温泉ともに京阪神の奥座敷有馬温泉は豊臣秀吉が好んだ日本最古の温泉で舒命天皇3年 (631)に天皇が入湯され奈良時代・行基がこの地で温泉寺を建立、平安時代には白河法皇・後白河上皇らも 訪れています。鎌倉時代に僧仁西(にんさい)が夢で温泉再興のお告げを受け、薬師如来の守護神十二神将にちなんで 湯治客の12坊を開き、池の坊・中の坊・御所坊等の名に残っています。天正・慶長年間に戦火や大地震で壊れたこの温泉を修理したのが秀吉で、 好んで訪れ茶会を催しいます。
徳川道の石積が残る

徳川道 【慶応3年(1867)着工から僅か1ヶ月余りの突貫工事で12月7日に開通して明治維新を迎える翌慶応4年8月13日に僅か1年で廃止された道】 慶応4年(1868)1月1日を兵庫開港の日と決めた徳川幕府が 参勤交代による西国街道往来では大名行列と(街道に面して居留地ができる為)外国人とのトラブルを避ける為、西国街道の迂回路として建設が計画されたもので東灘・住吉から篠原・長峰堰提・杣谷峠から森林植物園を通って小部 ・藍那・高塚山・漆山を通って明石大蔵谷で西国街道と合流する「西国往環附替道」ですが、この大迂回路には宿駅も無くどの程度利用されたかは不明です。外国人との紛争を避ける為に建設した参勤交代の迂回路でした。 ところが同年1月11日に発生した備前藩士達と外国軍隊と衝突した神戸事件の顛末は神戸市生田区三宮・三宮神社境内の碑に記してある。徳川道は皮肉なことに備前藩士達の逃亡経路ともなり、また大名行列で使用されることも無いまま9ヶ月あまりで廃止。明治維新後は元町通り付近だけを迂回する新道が出来て不要となり、 明治末〜大正期には登山者に利用され「徳川道」と呼ばれるようなりました。
シェール槍を映す穂高湖

穂高湖 「市立自然の家」の近く、杣谷峠から車道へ出たところに案内標柱の立つ穂高湖へ降りる山道があり、直ぐにも静かな別世界へ誘ってくれます。シェール槍が湖面に姿を映す遊歩桟橋に佇むみ 水面に映る人影が、 此処に来る度に写真を撮った息子の姿とオーバラップして思い出させます。そう古くない最近まで湖面には白い立木も数本残っていて北アルプスの大正池を彷彿させる雰囲気もありました(今は明神池の方がより近いか!!)。 人口湖ですが周囲を山に囲まれ、自然に溶け込んで、穏やかな湖面に緑樹や青い空を映し、露岩の先鋒を見せるシェール槍の風情が、穂高の山々を連想させるところからつけられたようです。徳川道やシェール道の分岐にあって、 杣谷峠の側ですので登山コース途中に寄っていく人、釣り糸を垂れる人、池の北を巡る散策路が整備されているので語らいと森林浴を楽しむカップルの姿も…


U:穂高池〜徳川道〜新穂高〜森林植物園〜シェール道〜シェール槍  2002年05月19日

昨夜からの雨が今朝も未だ降っているが 昼過ぎからは陽も射してきた。どうにも落ち着かなくて手近の六甲へ散歩 (PM2:20〜PM4:40)に出かけることにした。行き先は穂高湖から徳川道を下りシェール道を登って一周するハイキングコースですがこのコースの間にある新穂高(648m)とシェール槍(649m)に寄ってみます。穂高湖の名も含め此処が六甲アルプスかと思うくらいですが!!? 六甲アルプスは別に紹介しています。
石楠花山付近から新穂高と摩耶別山

摩耶山へ向う車道の側に「穂高湖」石標と案内板のある入り口があり駐車場も有り此処に車を寄せて出かけます。正面の広い道は穂高湖の堰提下へ出て 西六甲ドライブウェーや石楠花山へ出たり徳川道へも合流します。池へ降りずに石段道で始まる西側へ降る林間の道が徳川道で絵付き案内板があり由来も説明されている。トェンティクロスから市ヶ原〜布引の滝に至る徳川道も、 今日は市立森林植物園まで。途中・摩耶山や穂高湖周回へのルートを分ける。徳川道の石積み跡の残る箇所もあるが今回は新穂高へ寄ってから徳川道に戻るので此処はSKIPします。六甲山に新穂高・・・?と知らない方は !!摩耶山へ向う車道から北側の谷の間に見える小さな山塊・六甲牧場側に露岩のピークを見せるシェール槍と、その左端に送電線鉄塔をのせる三角型の山が人影無くひっそりと佇んでおり此れが新穂高です。徳川道を下って暫らく行くと右手に黄色と黒のテープが巻いてあり小さなプラ表札に新穂高と書かれています。 道は取り付きから深い笹を分ける道ですが良く踏み込まれた良い道です。しかし先ず一般ハイカーが 通りがかりに寄っていくとも思えない別世界の静けさは・人気が無いっていう事か!!?。
新穂高山頂

尾根道から時折は牧場やシェール槍が見え、進むほどに新穂高も低い割りには居丈高に三角頭をもたげて来ます。全コース通して 山頂含め展望は期待できません。取り付きから新穂高山頂(648m)まで笹と雑木の林を約20分程か。頂上の西から南側への下降道が徳川道へ通じます。笹の尾根に変わって此方は急斜面の下降ですので足下注意です。 神戸港方面の眺望を僅かに楽しめる岩場展望台もあるが長居出来るほどの場所では有りません。そのまま下り続けて送電線鉄塔(No19)の下に出て巡視路を辿って徳川道に出てきます。横板張りの橋の側で入り口に「火の用心No19」の標識と 赤・黄テープが何本も巻きつけて有るので此処からの取り付きも問題なく分かりますよ。コンクリートの飛び石渡しを越え、穂高湖へのシェール道と摩耶山天上寺への森林管理道の分岐十字路を見送って黄蓮谷、 山田道(トエンティクロスから西六甲ドライブウェーを経て神戸電鉄谷上へのルート)経て徳川道と摩耶山へ向う桜谷道の分岐に出る。桜谷も樹木に囲まれた谷沿いの快適な散策道を20分位で山頂の掬星台に登り着きます。 徳川道は此処から飛び石渡しで対岸へ渡ると、山間の古い街道の面影を残す道となり谷側には自然林の拡がる素晴らしい景観を呈しています。
徳川道の飛び石渡し
徳川道の渡渉点(川を渡る場所)には橋が架けられたり飛石渡し【川の中に大きな石を数個平らな面を 上に向けて置き並べてその上を踏み渡るようにしたもの】が数ヶ所あります。(神戸市の案内板)には、置かれた石の大きさは長さ約60〜90cm、幅約45〜60cmで杣谷の登り口(長峰堰提下方)から森林植物園付近までの間に19ヶ所の飛石渡しがあり、 1ヶ所には平均4個の大石が置かれていたようです。

徳川道・飛び石渡し

此の先で同規模の 飛び石渡しがあり市ヶ原へのハイキング道と分けます。飛び石渡しの先は森林植物園の東入り口ですが、左手に新しい登山コースが整備されています。以前から踏み跡があった高尾山(水道)管理道【分水嶺越え】で外国人墓地から 再度山へ抜けたり、高尾山から市ヶ原へ通じる道が案内板も完備した歩道に生まれ変わっていました。分水嶺越林道に出て摩耶山側への周回も出来ます。森林植物園へは破砕帯の断層を見せる谷沿いの道を進み、途中人造湖の野鳥観察用小屋で 休憩してから日本最大級の規模を誇る植物園に至ります。園内を半周して帰路につき徳川道を登り返します。摩耶山への桜谷分岐先からはシェール道に入ります。穂高湖へ向うには徳川道より遠回りになるが幾度となく谷を渡り変え、 明るく広い谷筋・林の中の散歩道ですので私の好きなコースです。マムシ谷や谷出会い付近に 堰提の出来た カワウソ池へ道を分ける辺りは特に良いですね。広い林道のような道に出てくると、程なく穂高湖周遊路とも合流して穂高湖の堰堤前休憩所に着きます。林道に沿っていけば車道の駐車場ですが、堰提の北側に小道をとって 穂高湖周遊の 遊歩道を進み、
ミヤコグサ・徳川道八州嶺堤防付近

もう一つの散歩コースのポイントに寄って行きます。 このコースの途中には、穂高湖に姿を映すシェール槍があり取付きには四角い 案内標柱や「←シェール槍10分」の板切れも有りますので登ってみます。露岩のシェール槍(649m)頂上からは360度の展望ですが摩耶と 西六甲ドライブウエーに囲まれた谷間の中の突起ですのでホンの手近の穂高湖・新穂高・六甲山牧場を望む程度。元に引き返し周遊路を桟橋の架かる湖畔の東端へ出てきます。夕暮れ前の静かな穂高湖には シェール槍が湖面に映え、 立ち尽くして眺めていましたが又、夏の夕方此処を訪れた息子との事が思い出され急ぎ駐車場へ戻ります。


V マムシ谷〜シェール道・徳川道〜(森林植物園)〜黄蓮谷 2002年06月15日

暑い時期だが足慣らしに近場の六甲を選びますが、 涼しい日陰コースは欠かせません。アジサイで彩られる六甲山の中でも幻の花シチダンカ(ヤマアジサイ)が見頃を迎えています。シチダンカはオランダの医師・シーボルト「日本植物誌」で紹介されたが、六甲ケーブルの西側で昭和34年 (1959)発見されるまで日本の何処にも見つからなかった為「幻のアジサイ」と呼ばれたヤマアジサイの変種で、八重咲きする株がシチダンカと呼ばれているそうです。花びらのように見える萼 (ガク)が七段重なっているように見えるので七段花(シチダンカ)と名付けられたとも・・。アジサイの学名「オタクサ」はシーボルトが愛した遊女「お滝さん」から命名され、 学名になったのは良く知られた話ですね。
シチダンカ(森林植物園にて)

六甲牧場を過ぎ西六甲ドライブウェーを走るが、 此の先より六甲植物園表門まで間はカーブが多く、土日にはサ−キット走法を楽しむ!!??バイクが多く運転要注意区間です。カワウソ池近くの 駐車スペース(AM9:45)から車道を5分も歩けばドライブウェー直ぐ側にあるカワウソ池に着く。 車騒が気になるが、この場所にしては綺麗で大きな池です。此処からマムシ谷をシェール道までは12〜13分程度で降りつきます。シエール道からは谷川を3〜4度渡り返して炭窯跡に出ると自然林の拡がる遊歩道が続いて徳川道に合流 (AM10:10)して10分程で黄蓮谷出合いです。帰りはこの黄蓮谷を西六甲ドライブウェーに出るつもりですが車道を歩かなくても、谷筋の道は直ぐに右手に森林管理道が現れて、先ほど下ってきたマムシ谷のカワウソ池直下に通じています。 徳川道は此の先で六甲森林植物園表門・山田道へ延びていきますが、市ヶ原へとツェンティクロス道を下り飛び石渡しに着きます(AM11:50)。「飛び石渡し」で対岸に渡ると 高雄山へ続く分水嶺越えルートと植物園の東入口です。植物園に向う散策道の途中の貯水湖には野鳥観測小屋があるので少し休んでいきます。湖面にコイが寄ってきます。バシャバシャ音がするので何だろうと樹間越に水面を透かして見ていると、 川鵜!!が両羽で水面をバシャバシャ叩きながら水に潜り、浮き上がっては又同じことを繰り返しています。小魚を誘き出しているんでしょうか !珍しい仕草もそうですが、こんな所で鵜を見るのも珍しく不思議な感じです。 鯉と同じく誰かが放したものでしょうか!!?? 公園の長谷池には先月訪れた時、 咲き誇っていた菖蒲に取って代わって蓮が池面を覆って花開いています。 今日の行き先は「アジサイ園」だけです。勿論目 的は 幻の花 「シチダンカ」アジサイ園の一角には、小さな淡い紫・青・ピンクも混ざった群落が見られます。 所用で田舎に帰る前に一寸此処によって見ただけですので、 暫らく時を過ごして引き返します。「飛び石渡し」(AM11:50)から徳川道を黄蓮谷出合い(PM12:05)へ戻ります。直ぐ右手に延びる山道は森林管理道でカワウソ池に延びていますが谷に沿っての山道を進み、 谷から尾根に向っての山道に入ります。谷筋がだいぶ低くなってきたなと思う頃、白い大きな花が目に入ります。久方ぶりに六甲山でみるヤマユリの花は登山コースの側に一輪…「よくマア無事で…」奇跡のような出会いの一時です …登山道から西六甲ドライブウェーに飛び出した(PM12:20)正面には、切り開きがないと藪に隠れてしまいそうな山道が続いています。石楠花山へと続くこの道は展望台と芝生の広場が用意された小公園を経て林道が 此処まで延びています。ドライブウェーを歩けば約25分で駐車場所に戻れますが出来れば車道歩きは避けたいですね。林道途中から左の脇道(テープ類に注意)を 石楠花山頂を経て炭ヶ谷への下降点や双子山へと稜線伝いのコースが有りますので、この登山コースで炭ヶ谷下降点の鞍部に出て南へ降ると先ほどの林道と合流して駐車場所に戻ってきます (PM1:00)。

W 番匠屋畑尾根⇒有馬温泉極楽茶屋〜逢山峡〜鬼ヶ島〜水無滝〜有馬三山〜紅葉谷  H13.11.04

極楽茶屋(AM8:00)跡には「有馬」と書かれた石標と大きな地図付きコース案内板が有り、此れから辿るコースや今後の山行きプランの参考にして下さい。 直ぐ先に見える道標から右下へは紅葉谷道が続いています。10分程下れば水場や六甲山系でも珍しい「ブナ林」が有ります。此処へは帰りのコースとして七曲滝等を見物しながら戻って来るつもり。分岐は直進して殆ど 登山者のいない番匠屋畑尾根を辿リます。紅葉谷道から蜘蛛滝を経て蟇滝谷を詰めるか逢山峡からの小川谷を詰めれば、この尾根に飛び出しますが、これらの谷を詰め登って来る人も今は皆無に近いと思われます。 たち込める朝霧が樹間から差し込む朝日を受けて虹色に輝いて見えます。カラカラとロープウェーの滑車音が聞こえてくる程鉄塔近くを歩いています。少し西北に展望も開けて有馬三山縦走尾根が姿を見せてきます。 明るく開ける西側に向うと程なく鉄塔下に到着(AM8:20)。以前ほどではないが数少ないビューポイントです。 ほんのも少し時間をズラせば正面から進んできて 直ぐ頭上を行き交うゴンドラを見るのも迫力ありますよ。10分ばかりで唯一のピークといえる749m(4等三角点 AM8:25)峰で主尾根の展望を最後に湯槽谷峠 (AM8:30)へ下降します。
有馬三山縦走路・落葉山南から温泉街下降点は堀切跡!!?

湯槽谷峠
から始まる有馬三山(湯槽谷山801m・灰形山619m・落葉山(城址)526m)への縦走の登り初めの 急登が控えていますで堪えますよ・・・。落葉山は仁西上人に薬師如来が一枚の木の葉を投げて 源泉を示したいい伝えから・・また湯槽谷山は行基上人が、その山の木で湯槽を作るための木材を切り出しことが名のいわれです。湯槽谷山の少し手前から逢ヶ山への尾根コースがありますが、辿る尾根も下り一辺倒で 面白みの少ない山道ですので、此処から横谷・茶園谷経由で小川谷へ下ります。このまま有馬三山ではコースが短すぎますので少し変化の有る 迂回コースを設定しました。逢山峡へ下って三滝廻りをして逢ヶ山〜鬼ヶ島 〜水無滝〜湯槽谷山へ辿って正規の有馬三山コースに戻るつもりです。湯槽谷峠の狭い尾根上の交差点は右へ湯槽谷を下れば紅葉谷道と合流して有馬へ・左は逢山峡へ下るいつもなら笹に隠れるような 踏み跡を辿って茶園谷を逢山峡へ下るのですが下草は刈り開かれ、山道も歩きやすい道です。10分程で小さな谷に不似合いなほど大きな横谷砂防ダム(長さ72m 高さ15m)を大きく右岸に捲き、さらに5分程で極楽茶屋へ 通じる林道然とした簡易舗装で資材置き場のある小川谷道に合流します(AM8:45)。林道は高尾橋を渡りやがて鉄柵のゲートの脇をすり抜けて(AM8:50)小川谷・仙人谷第二砂防ダム(標高505m 長さ60m高さ13m)を見て程なく シュラインロードに続く林道に出てきます(AM9:00)。此処から15m下手左へ本谷(小川谷)へ降りて行く道は柴木場堰提上部の広い川原に出て仏谷経由で仏谷峠に通じています。当初予定の東山橋からのコースが不明瞭なら 此処から仏谷峠へ向うつもりで先ずは登り口確認です。
逢山峡は古くから知れたキャンプ場。今も林道沿いの散策には良い所もありそうです。 林道からシュラインロードを経てヨモシロ谷を前ヶ辻へと辿った事も有りましたが谷は砂防ダムや林道・保線工事等でズタズタになっていることでしょうね。
5分程で猪ノ鼻小橋を渡ります。橋の左下を見てください。 綺麗な大きな滝が直ぐ下に見えます。先ずは逢山峡三滝の一つ猪鼻滝です。滝の下へは此の先の林道途中から下降ルートは有りますので必見です(AM9:10)。 林道沿いの道すがらですが目は離せません。小川谷に流れ込む長尾谷の出合いの奥に掛かる鍋谷滝も樹木に隠れて見辛いですが見逃せません。豪壮な滝音が聞こえてくれば先ずは慎重に 急斜な踏み跡を辿ってみてください。(登り専用の!!??危険な斜面もありますが)ゴルジュにダイナミックな連瀑が掛かります。昨日の雨による増水からか何時になく迫力満点・轟音を響き渡らせている 不動の滝の画像を添付できず申し訳ありません。林道脇の取水施設!!や水場を過ぎると梵を刻む北向不動明王を祀る石碑が有り、先に見たゴルジュ帯の連瀑が不動の滝と気付きます。林道だけ歩いていては峡谷の滝は見られませんよ。 不動明王の下方の谷川はデイキャンプ適地が多く、大きな淵も澄んだ水を湛えた姿を見せています。東山橋が見えてきます。 ゲートがありこの林道には車は入れないようです。以前の山行では、逢ヶ山から下降して東山橋側へ下りてきたので(AM9:25)今度は逆に、藪漕ぎ?でも取り付くつもりでしたが黄色い二つのコンテナ状の小屋横に明確な道が続いています。 山の表示やテープはなかったが方向は間違いなしで、どうしたことか明確な道に途中からテープ類を見るが杣道・枝道も多いので主道にテープがなければ必要ありませんね。
妙見宮・神馬の土台には「有馬城址」の文字が…

植林帯の九十九折の道で展望は有りません。前方が明るくなってくると若杉の苗を植えているらしく 一面プラボックスの柱が建っています。その間を抜けて尾根の末端に登りつく手前辺りからは有馬口方面や高丸山(有馬三山から高丸山方面へのコースもあります)方面が一望出来ます。青い空がまぶしく北神戸の白い住宅街の風景が ワイドに拡がります(AM9:45)。此処から逢ヶ山へはなだらかな尾根道が続き途中風呂谷・有馬口への尾根と合流して2〜3分で逢ヶ山山頂(3等三角点 722m AM10:03)に達します。付近は尾根も広いのでコースを踏み外さないように。 テープに誘われ尾根の下降は結構急斜面です。鞍部にが馬口への下降点、数m先が仏谷峠(AM10:10)で仏谷経由で逢山峡への下降点。登り返しての次のピークが高尾山(739m AM10:23)で湯槽谷山への縦走路が続きます。 未だ時間が有りますので今度は山頂から北方への尾根を辿り水無山から鬼ヶ島へ行ってみます。このコース四季を通じて特に水無山付近は何時も深戸谷からの風が強く吹き上げてきますが、今日は特別風がきついようです。 鬼ヶ島からは引き返さずに水無滝か深戸滝を2X年ぶりに訪ねてから 谷を詰めて尾根に戻ろうとの欲張りコースです。高尾山からの下りでは逢ヶ山のドーム型山頂が樹間から見えてきますが絶好のビューポイントは 水無山頂の崩壊しかけた尾根の岩場ですので其処まで登ります。山頂少し手前の樹林帯の中の鞍部が水無峠で右手に水無谷、左に深戸谷への下降点になっています(AM10:30)。ほんの2〜3分の登りで水無山山頂 (658m AM10:33)の展望ポイントですが風が騒いでいます。ドーム形の今日見る逢ヶ山は一段と錦の衣装が似合っています。前方の低山が鬼ヶ島でその先は水無谷と深戸谷の合流点へ落込んでいます。本日は最初からバッテリー切れで 写真も取れないので谷の遡行は何れ又にして、鬼ヶ島から引き返して水無峠から水無滝を訪ねることに決めて鬼ヶ島へ向います。
末端ピークの鬼ヶ島(Ca580m AM10:45)は狭く 腰を落ち着ける場所も少ないのですが、 台形の大きな山容を見せる湯槽谷山と相変わらずドームの丸顔をのぞかせる逢ヶ山、その間にあって細い尖り頭の水無山が見える。元来た道を引き返し水無峠に戻り(AM11:00)水無谷へは10分余りで下りてしまいます。 水の少ない谷は伏流となっているようで、この枯れ谷を4〜5分も辿れば水音が聞こえてきます。飛沫で下部は湿気ているが(AM11:15)。 滝から先は行き止まり。昔と同様に右岸を捲いて滝上部に出るつもりでしたが途中から明瞭な踏み跡が尾根を捲くように続いているので暫らく辿ってみる事にしました。 これは失敗で随分遠回りしてしまい途中からガレて崩壊著しい尾根に 取り付き藪漕ぎしながら、結局は有馬三山縦走コースの湯槽谷山から10分近くも有馬側よりの道に出てきました(AM11:45)。
妙見宮の建つ位置が有馬城址の本丸

有馬三山縦走路の最高峰・湯槽谷山山頂(801m AM11:55)へ一旦逆走して ピークを踏んでから正規の!!縦走コースを進みます。此処から灰形山・落葉山へと高度を下げていきますが結構急激な下りが続きますのでジックリ歩いて下さい。階段の続く激下りで灰形山との鞍部(PM12:10)に着くと紅葉谷 (ケーブル駅近くへ出る)への分岐ですが砂防工事の為H13.10〜H16.3頃まで通行止の看板が出ていましたので利用予定の人は注意してください。わずかの登りで灰形山山頂(619m PM12:20)に出ます。 東側に開けて有馬の温泉街と紅葉谷道・その上を行く六甲・有馬ロープウェーの ゴンドラや落葉山の妙見宮の塔も望めます。山頂から東へは鼓ヶ滝公園へ15分程の下降ルートです。縦走路へ戻って落葉山へ向いますが、以前から崩壊の 瘠せ尾根を通過します。良く踏まれたルートでは有りますが崩れやすい所ですので注意は肝要です。落葉山手前の鞍部から南への下降点は滝川を経てケーブル有馬駅へ下ります。また山頂間近の尾根から西へ山腹を捲くように続く道は 高丸山や有馬口へ延びています。明るい平坦地に出ると左手の雑木の中のポールが落葉山山頂(4等三角点 526m PM12:40)です。以前見かけた壊れた石材は片付けられていましたが、此の先に続く石仏は倒れたさいに角が欠けたり、 鳥居(中央が欠け落ちたまま)、表面が欠けや大きくひび割れ崩れかかった庚申佛を見ていると兵庫南部地震の傷跡、未だ癒えず、 哀しく淋しい思いが漂います。境内の二対の狛馬?は一応阿吽の像になっています。おちょぼ口ながら一体は少し口が開いているような!!像に有馬城山と刻印されているように南北朝から何度か戦火に巻き込まれた有馬城の跡ですが 小規模で曲輪址等、素人目には確認できませんが峻険な自然の要害の地では有ります。西国三十三箇所石仏の並ぶ参道を有馬観光センタ(PM12:50)脇に降りてきます。
日本第一の湯 ・有馬温泉の石碑が建つ金乃湯(旧神戸市立温泉会館)

紅葉谷へは見頃の紅葉を訪ねる観光客に混じって ロープウェー有馬駅(PM1:20)横からの林道を入って行きます。風が強いので運転休止の旨の看板が改札口に出ていました。湯槽谷出合(PM1:35)から紅葉谷道を白石谷分岐(PM1:40)・七曲滝分岐表示(PM1:50)を見て蟇谷へ入ります。 蟇滝を見て七曲滝(PM1:55)濡れた右岸を軽登山靴で登るには一寸自信なく、同じほど危険 ??な右岸のガレたルンゼ状を詰め上がりますが、ホントの巻き道は何処なのかな??。苦労して稜上に出ると踏み跡は紅葉谷道に続いています。 七曲滝上部からの谷筋(PM2:10)は荒れており元の稜上の道へ引き返します。紅葉谷道の最後の谷を渡り返す辺りからは紅葉・黄葉が谷間を埋めての絶景にしばし足を止めて眺めます。水場付近に上ってくれば大きなブナの木の横には、 六甲のブナ林について案内板が設置されています(PM2:30)。概略「西日本では標高の高い山地でしか見られません。…ブナは北斜面を中心とした山頂付近にしか見られません。ここのブナ林ではイヌブナ・ブナをはじめシラキ・かえで類 ・シデ類・栗・コナラ等紅葉や新緑の美しい機木が豊富で四季を通じて楽しめる森林です」此処から 10分程で番匠屋畑尾根分岐へ出て極楽茶屋跡へ帰ります(PM2:40)。


紅葉谷道 有馬四十八滝めぐりで六甲ドライブウェーの極楽茶屋跡と 有馬温泉を結ぶ人気の谷道で白石谷は六甲最高峰へと詰め上がります。 昭和7年の六甲ケーブル開通で整備された時名付けられたもので、六甲山中では秋の紅葉が最も美しい谷の一つです。

有馬温泉 山陽道の裏街道で湯の山道は京阪神の奥座敷として愛される有馬温泉は、裏六甲の山峡をめぐらす史跡と景勝と名湯の町です。豊臣秀吉が好んだ日本最古の温泉で舒命天皇3年 (631)に天皇が入湯され奈良時代には行基菩薩がこの地で温泉寺や阿弥陀堂を建立し、平安時代には白河法皇・後白河上皇らも訪れています。鎌倉時代に吉野の僧仁西(にんさい)が熊野権現の夢枕で 温泉再興のお告げを受け、薬師如来の守護神十二神将にちなんで湯治客の12坊を開き、今も池の坊・中の坊・御所坊等の坊の名が残っています。 天正・慶長年間に戦火や大地震で壊れたこの温泉を修理したのが豊臣秀吉で、好んで訪れ千利休を伴って訪れた際には茶会を催しいます。
六甲最高峰への魚屋道入口にある虫地獄

炭酸煎餅 有馬温泉の天然炭酸水を利用して独特の製法で作られ、淡白な中にも軽い歯ざわりの良い素朴な風味で自然食品は観光名産の推薦品。 私は製造元で"割れ煎"買って帰るのが楽しみ・・・・!!
有馬筆(有馬人形筆) 子持ち筆とも言われ、筆を立てると管の先から小さな人形が顔を出し、倒すと隠れるカラクリ筆で、 色鮮やかな独特の愛らしさが親しまれる伝統工芸品で竹細工の素朴な味わいが喜ばれているようです。有馬籠・竹細工千利休の好みで作り出された竹細工は一本一本の竹がしなやかで洗練された美しさがある伝統工芸品です。




 落葉山城



落葉山城
(有馬城・湯山城)
(落葉山・城山・有馬城山 526m) 神戸市北区有馬町

有馬温泉街を六甲・有馬ロープウェー乗り場に向って歩いていると西側に有馬三山の稜線端にある落葉山があり尾根上に祀られた妙見宮が見えています。 兵庫南部地震(H7.1.17)の影響による傷跡を見る度に、 山歩き再開のキッカケになった震災による県外疎開や、無理して阪神地区に帰ってきて 馴染みの山に入っても、崩れ・倒れ・折れ ・割れた姿を見るのは辛いものがありましたが、 修理を終え以前の姿が戻ってくるとホッとします。
有馬温泉街から望む落葉山城(妙見宮)

此処・妙見宮へは有馬温泉バスタ ーミナル(観光案内所の横)から善福寺脇を通る参道が通じています。落葉山山頂に有る妙見堂が有馬城(本丸跡)で眼下に有馬街道と湯山(有馬温泉街 )を見下ろし六甲連山へ南北に連なる稜上の先端部に三の丸、二の丸、本丸、堀切を経て南の曲輪群へと一直線に並ぶ細長い縄張りで 東面・西面ともに急斜面が麓まで続く天然の要害の地です。切り岸(緩斜面の弱点を補強する為斜面の両側に切り岸を施し、先端部を狭めて堅土塁として延すことにより斜面両側の谷を人為的に深くする) により人工の崖を造って防御している。暦応元年(1338)頃は南北朝期の南朝方・湯山左衛門三郎の居城。南北朝期以後有馬郡を領有していた"赤松有馬氏"一族の城として、
落葉山南の登山道脇に数段の曲輪


戦国期には細川氏の重臣(三好之長の子)三好宗三政長が落葉山城を拠点に播磨 ・丹波へ侵攻したが天文8年(1539)6月「湯山合戦」で三木城主・別所豊後守家直が落葉山城を攻め落とし、政長は河内国へと敗走したといわれます。その後は有馬郡に勢力を回復した有馬民部少輔村秀(三田城)支配下の城となった。 永禄元年(1558)には村秀に敵対する船坂の大屋四郎兵衛が落葉山城を攻撃したといわれ、三木合戦が起こった際、三木城主別所長治に与して天正7年(1579)4月25日には落葉山城を守る有馬加賀守が織田信忠軍に攻め落され以後は 廃城になったと伝えます。

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