法道寺渓谷〜もつっい山〜大持山〜黒川温泉/岩屋漢音・行者山・多々良木ダム
但馬 (五万図=但馬竹田)
T:上生野〜法道寺渓谷一ノ沢<仮>〜もつっい山〜大持山〜黒川温泉 2001年07月21日
U:上生野〜法道寺渓谷:本谷<仮>〜行者岳 〜多々良木ダム   2001年09月29日
参加者は私と「山であそぼっ!」島田さん、 「千ヶ峰」大加茂さん、「山の小箱」みーとさん
法道寺谷・最初の枝谷(一ノ沢)の出会い付近に懸かる F1(20m)滝は分岐地点からも見える

生野ダム建設によって出来た外周12kmの銀山湖は兵庫県内最大規模の県営多目的ダムで生野銀山(昭和48年閉山)にちなんで名付けられています。銀山湖の中央部で少し北に入り込む法道寺谷川へは上生野(こうじくの)橋から出発ですが橋名にのみ残る上生野の58戸の民家が銀山湖の底に眠っています。谷川に沿って辿る蒼い湖底にも民家や寺 (法道寺?)が在った様で谷分岐には今も石祠に納まる石仏も残っています。播磨・但馬の山々には独自のポリシーと情熱を傾け、最近は生野周辺の山に通い詰めている山あそ島田さんの誘いに乗って踏み込んだ渓谷は、谷歩きとは別の冷界スポットでも在りました。島田さんと同行したT:法道寺谷〜もっつい山でしたが今度は私の以前からの懸案だったU:法道寺本谷を詰めて播磨・但馬の境界尾根を行者岳に至る未踏ルートを低山徘徊派ML仲間と辿ります。かつて県立自然公園の遊歩道も石積みの橋は朽ち落ちて鉄骨は落下していたり崩れたり寸断された歩道の先へはナメの谷川に入っていかないと進めないところが随所にある。私たちは最初から谷歩き準備ですが 本谷に連続するF1(8m)・F2(約8m)の左岸は崩壊激しく少し戻って旧遊歩道?を行きます。XXX製紙の作業道かも知れませんせん!!。


T:蛭の攻撃も凄まじい冷界スポット 法道寺谷一ノ沢〜もつっい山〜大持山〜黒谷H13.07.21

R429号線を囲むように粟鹿・青倉・三国・行者・白岩山と「ふるさと兵庫の50山」が点在するエリアの一角。銀山湖に沿って走る429号線から北への稜線に立つと、兵庫有数の3大ダム(生野ダム・多々良木ダム ・黒川ダム)を俯瞰できる贅沢なコースでもあります。 朝来町と生野町の境界尾根は金床山〜行者岳〜もつっい山〜大持山へと続き黒川ダムへ、また青倉山へと続く尾根が延びています。集合場所とした黒川は黒川ダムと 古刹・大明寺のある小さな生野町最奥の集落だが温泉が湧き、 ダム周辺を自然公園として整備され、自然公園センタや大駐車場まで完備したレジャースポットになっています。コース最後は此処へ帰着の予定ですが、出発は7km下流の銀山湖中間部です。車を一台デポしてもう一台でスタート地点に向います。 市川上流の生野渓谷は黒川温泉近くの黒川渓谷からキャンパーで賑わう魚ヶ滝のある「自然休養センタ生野荘」前を通過して、釣り客で賑わう銀山湖の中央部付近、上生野(こうじくの)橋の東端に車を寄せます。 法道寺谷川に掛かる橋から谷に沿って細い一本の林道が入っています。この入り口には「法道寺谷」の案内標識があり、此処で着替えて出発です(AM8:45)。谷歩きだけの冷界ではない、お楽しみの冷界スポットでもありました・・・。
この谷の本谷を詰めて稜線に出れば向かい側の下方に岩屋観音があり、尾根を東に採れば行者岳に行けますので山行予定コースとして以前から暖めていた処ですが未だ実現していませんでした。
本谷へは幾つかの谷が合流しているはずですが最初に出会う右からの谷<仮に一ノ沢>を詰めてもつっい山へ向うのが今日の予定です。沢に沿って進む林道はジトッと濡れた感じの道です。不吉な予感は的中し5分と歩かないうちに、既に次々と島田さんの白っぽい長靴には何かうごめく物が取り付いています。払い落としながらも、お互いの足元や腰辺りを注意して点検しますと、やはり取り付いている輩を引っ剥がしますが一寸引っ張った位では離れません。 そのうえ途中の道端では茶色のながむし!!(マムシ)までお出迎え。車道幅の道が一段と狭くなってくると攻撃はさらにパワーアップしてきます。程なく右からの谷合流点に着きます。15m程先には大きな斜瀑の白い水流が目に入り、側へ寄っていきますが谷幅一杯に広がる綺麗な20m程の滝は最初の傾斜は緩やかそうですが段々急斜となる一枚岩でしかも逆層、取り付きも出来ません。(AM9:10)。右側の不安定なブッシュ帯の中を捲き上がれるかもしれないが直ぐ上部にも 3m程の直登不能の滝が二つばかり有リますが此処からは見えません。
引き返せば合流地点に昔は木橋の掛かっていた石積みの残る場所があり、この先には石祠に納まった石仏が祀って有ります。もう花を手向けに来る人もいない様です。石仏は「○永三年」の銘があるが康永(1342〜)だと竹田城築城以前。応永(1394〜)。寛永(1624〜)。宝永(1704〜)ですが生野城築城期の寛永の頃と思えます。字面から寛か{宝=寶}と読めるようですが島田さんの拡大写真鑑定結果は 如何でしたか?この谷が法道寺谷、稜線を越えた処に在る鷲原寺は法道仙人開祖そして岩屋観音や行者岳へと続く行者道。此処からも播磨又は但馬修験道の名残とうかがえます。生野ダムに沈んだ上生野集落と寺 (法道寺 ?)領のものだったか…島田さんのレポートでは岩屋観音や 鷲原寺からの稜線上に 法道寺渓谷への標識が有ったようなので、以前には登山道も整備されていたようですが谷筋の荒廃?や交通の不便さから 忘れ去られようとしているようです。石祠から先の本谷へ少し入り込んでみます。遊歩道の橋桁のような鉄の残骸は急斜な岩場の途中で有りません。先へ行くのに巻き道は有りませんが渡渉して渡り返せば小道は先に続いているようです。 さて引き返して一ノ沢<仮称>の左手を捲く踏み跡が続いており 谷の流れに出て先ほどの20m斜瀑とそれに続く小滝の上に出ます。此処で滑って流されれば、まして小滝を落ちればそのまま20m滝下へ。ナント島田さんMTB担いでの記録更新・快挙を前に此処で滑ってパニクッています。僅か数m流されていればこの滝(20m)滑りが待ち受けていますので慎重に進みましょう。この辺りからは谷中を進んだほうが歩きやすいのですが 水量多くて結構流れは早いし、岩床はナメで苔も着いていて滑りやすい感じはします。長靴では滑るかも…と思ってか滝上での転倒の恐怖からか彼は谷芯に入ってきません。思った以上に大きな広くて綺麗な岩床と静かな沢歩きは期待でき涼快スポットとしても期待出来ます。

ナメやゴーロを辿るうち落差 65m程の連瀑帯に入ります。この辺りが核深部のようです。岩壁と大岩に挟まれた隙間や崩れた大岩の間を縫って落ちてきますので、左岸を大きく巻き上がります。連漠の上部に覆い被さるような大岩が岩小屋として 利用出来る程の空間を作っています。此処が涼味もさることながらヒル攻撃の最大決戦場のようで彼の悲鳴も連続であっちにも、こっちにもと10数匹・・・幸い滝上部に出て日当の良い河原で総点検。小休止します(AM9:40)。 此れから先は滝も無く平凡な流れが続きますが水量余り衰えず、綺麗なナメ状の岩床は続きます。稜線も間近と思わせる広く明るい小さな谷の出合いまで来てもなを水は切れません。島田さんが採った行者岳方面への尾根への取り付きも過ぎ、 徹底的に源流へと右手の谷を詰め、やがて<一ノ沢最初の一滴>を突き止めます。大きく削り取られた湾曲のガレ場から沁み出した水一滴を島田さんのカメラは撮らえることが出来たのでしょうか。ガレ場を左の植林帯に抜け出ると 稜線に出るともつっい山(4等3角点 776m 点名:赤星 AM11:00)直下です。ガレ場から僅か120m程の距離でした。 展望は期待出来ません、その上要注意は三角点から先へ良く踏まれた山道が南東尾根へと続いており此れから 目指す縦走方向を迷わせます。上生野から此処まで テープや道標は一切なく、此処からは境界尾根だが赤白プラ境界柱も無い。幾本かの尾根筋を見誤り多々良木ダムへ下る尾根に乗る途中で軌道修正出来て彼の記憶を呼び戻し、此れよりは順当に731mピークを目指します。731mピーク (AM11:55)からは反射板も見える行者岳の大きな山容と、その尾根の中ほどに数本の岩峰を抱き込んだ特異なジャンダルムが突き出ています。此処に、かつては修験の行者堂が在った処です。多々良木ダムの堰提を正面に望み粟鹿 ・雲須・三国やその奥に鉄塔が目印の消入りそうな岩屋山や最終目的地の大持山のトラ刈り頭も望めます。そして其処までは鹿避けネット沿いの道となります。749mピークから大持山への稜線は一段と展望も良くなりが、 日当たり良好で暑さも熱し、風と日影と水が欲しくなります。遠く望む三国・またに山〜千ヶ峰の北側からの景観は又違った登行意欲を掻き立てます。749mピークからは多々良木ダムと黒川ダムを分け青倉山へ続く尾根を進み、 途中に赤白鉄塔の送電線を潜ります。大持山頂はこのルートをほんの30mほど外れたところにありました。尾根からは鹿避けネットを越して行かなければならないので未だ全快とはいかない様子でリハビリ中の島田さんにとっては 辛いネット越えの様子です。大持山山頂の三等三角点(823m PM1:25〜40)標柱は踏み跡とネットに隠れるように在ります。雑木のピーク北側に展望・休憩スペースを見つけて休みます。正面に黒川ダムとその奥に 粟鹿山・雲須青倉山 …この展望をどれほどの登山者が我が物としたかと、二人して狭い了見で楽しみます!!黒川ダムに向う稜線の途中に突き出たピークが興味を持たせ突っ立っている。此れまでの行程でも少し無理があったようなので ピーク手前の鞍部からほんの6〜7分程度で林道へお降立ちます。大持谷に沿って短い林道が入り込んでいますので此処を黒川集落へ下ることにします。林道入り口付近にはログハウスが数件建っていますが道脇に石仏を納めた祠が有ります。 道標仏「右但馬道」とあり黒川から多々良木への峠越えで竹田〜和田山へ抜けた旧街道のようです。黒川温泉に帰着して車中からクーラーBOXを引出して冷たいドリンクで生き返ります(PM2:25)。
 


U:幻の遊歩道から岩屋観音への道 法道寺谷本谷(仮称)〜岩屋観音〜行者岳 H13.09.29

R312号線で生野を越えて「道の駅あさご」手前で右折し集合場所の多々良木ダム・民俗資料館に向かう。ダムの下方には多くの施設が有り何処が指定の場所か判らず最奥の駐車場探しているとHP「千ヶ峰」の大加茂さんが声をかけてきます。彼は深夜此処に来て仮眠していたとか。程なくして 今回ツアーのコンダクタ!!言い出しっぺの山あそさん登場で全員集合です。大加茂さんの車で銀山湖の法道寺谷入口へ向います(AM9:45)。前回・夏真っ盛りの時と違い半袖だと肌寒い程なので安心しきっての出発です。何が…??は後で判ります (^^ゞ
ゆっくり歩いて右からの沢の出会いに着きます。崩れ落ちて石積みの橋桁だけが残る橋を渡れば 少し先の平地に石の祠に祀られた石仏がありますが、右手の谷には直ぐ先に白い流れを見せて谷幅一杯に広がる綺麗な20m程の滝で傾斜は緩やかそうですが段々急斜となる一枚岩でしかも逆層の滑り滝が有りますので先ずは見学していきます。左手の谷が法道寺谷(本谷)、稜線を越えた処に在る鷲原寺は 法道仙人開祖そして岩屋観音や行者岳へと続く行者道。 此処からも播磨又は但馬修験道の名残とうかがえます。生野ダムに沈んだ上生野集落と寺(法道寺?)領のものだったか…島田さんのレポートでは岩屋観音や鷲原寺からの稜線上に法道寺渓谷への標識が有ったようなので、以前には登山道も整備されていたようですが谷筋の荒廃?や交通の不便さから忘れ去られようとしているようです。
法道寺渓谷(本沢)F1(8m)滝から少し戻った遊歩道の残骸橋梁を渡って捲き上る

(AM10:10〜10:20)石祠に納まった石仏が祀ってありますが、既に花を手向けに来る人もいない様です。 石仏は「安永三年(1774)10月吉日」の銘がある。此処に引き返して沢靴に履き替えます。これより先には明瞭な道が続くのだが岩場に取り付けられた鉄の桟橋は折れ崩れて岩場の斜面を通り抜け出来ません。 此処で谷のナメの流れへ出て前回は引き返しもつっい山へ向いましたが今回は初めから谷に入り此れより以前から予定のコースを進みます。滑りやすいが綺麗なナメの谷は続きます。時々現れる石積みさえ残る旧遊歩道も 寸断されていますので、ゴウロや倒木で歩きにくい所を除いて殆どナメ床の谷の流れの中を歩きます。 小滝をこなしナメ床を歩きながら右からの同じ様な谷の合流地点を注意しながら進むと谷が左右に大きく曲がりこむ付近 ・立ちはだかるような黒ッぽい岩壁から大滝(8〜9m)が連瀑している場所。 大滝の前でしばし休憩(AM10:55〜11:00)。右岸は絶壁、左岸はガレた足場の悪い箇所をトラバースするが、滝の上に出てもなをその先がむつかしそう…少し戻って大きく左岸を捲くことにします…が此処で突然「ヒルや〜」の声で、 皆一斉に身体やザックの総点検…いるわいるわ…ヒル嫌いの大加茂さんは半ばパニック…
法道寺谷一ノ沢(仮)の出会いに懸かるF1(20m)滝は、分岐地点からも見える

早々に戻って旧遊歩道(巻き道 )をとりますが此処の取り付け鉄橋も横板は腐って使えません。鉄骨の端を渡るかガレタ山側の踏み後を辿るかです。最上部は峠状の明るい小場 (AM11:10)で大昭和製紙の標識が木に取り付けられています。 此処で再度ザックや足元の総点検を行います。大加茂さんは必死に探しまわっています。此処から岩の隙間を縫って滝上部へ降り谷を渡り返すのですが (石積み橋桁が残っています )橋は無いのでそのまま左岸を直進します。右からの谷は奥の方に ナメの小滝も見えて迷いますが左の水流も殆どなくなりかけた谷のほうへ進むと小道が左の谷に沿うように尾根に続いている様です。此処で足元を履き替え小休止。この谷を去る最後に顔を見せてくれた五つの花弁が星に似たアケボノソウですが、よく見ると笑窪か・ソバカスかアバタ顔の模様の花ですがあけの明星をイメージしての名だそうですね。

尾根に続く小道は途切れることなく植林帯の中に通じており点名:上生野へ続く稜線に出ます。 約一年前に島田さんがMTBで点名:上生野へ駆け抜けた時、道も明確でないこの尾根周辺に立派過ぎる「県立自然公園 遊歩道」看板をいぶかっておられましたが、 私たちの辿ってきたルートが、この遊歩道にあたるコースでした。ドンピシャリ登りつめて感激新たですね。尾根から行者岳〜もつっい山へ続く尾根に出で、明るく広い自然林の尾根を進み上生野の丸い山頂や千が峰〜またに〜三国の稜線が 顔を見せる山の斜面に思い思い陣取って食事タイム(PM12:10〜30)。 無線で忙しい島田さんには当分口には何も入りません。久しぶりに八木さんに繋がったよう。丹波のたぬきさんの声も聞こえてきます。篠山・八ヶ尾山の隠れ里さんには 遠すぎたのかな…行者岳方面を目指せば途中に岩屋観音への分岐に行者岳へ500mの標識がある。程なくして稜線より行者岳の山頂の電波反射板が見えます。緩斜面の尾根の散歩道は程なく山頂名プレートの林立する行者岳山頂 (786m PM1:05〜20)です。反射板側からは千が峰方面、粟鹿山や青倉等但馬の山々が見渡せますが眺望はもう一つ。多々良木ダムへの道を少し降ったところには絶好の展望岩が有ります。眼下に望む蒼い湖(多々良木ダム)の先には正面に青倉山・朝来山…あの夏の思い出を彷彿とさせるもつっい山〜大持山雲須から粟鹿山・妙見・鉢伏〜氷ノ山 贅沢過ぎる展望です。もつっい山側から気になっていた行者岳下部の3ッ程の岩壁は此処では無いようです。
27丁石(23丁石?)のところは広場有り ・石畳の参道

岩場からは左右に小道が続いていますが標識のある寅ロープの急坂道を下ることにしました。少し傾斜も弱まったかなと思ったら岩場に出ます。 岩場に立って、気になっていた岩場が此処だったとわかります。紅葉が始まれば素晴らしい表情を見せる山襞の気配が感じられます。これでもか、此れでもかというほど旧下降は岩の鎖場もあります。行者岳付近には宗教的な痕跡に 気づきませんでしたが石板に囲まれた弥勒菩薩!!立像の石仏があり、その直ぐ下方から丁石仏が現れてきます。切り立った岩巌とその横の平地を認めれば其処が行者堂です(PM2:00〜10)。コンクリの土台に小さな社が祀られて岩場の下には数体の石物が置かれてるが丁石仏と同じ明治の銘記です。 一際高みには少し岩を削って安置したと思われる石の役行者像が安置されています。行者堂からは参詣道、傾斜も少なく道も歩きやすくなります。道なりに進みますが途中尾根を直進して下らず(細い踏み後は有るが )大きく左の道をふってつけられた道は27丁石?
多々良木ダム(上部調整池の黒川ダム同様:ロックフィルダム)

(登山口に24丁石仏があるので23丁石だったかな??)のところで広い平坦地に出てきました。 ほんの10m程ですが石畳になっています。 此の先で行者堂への参道が二手に分かれているところが有りましたので 正面にはお堂や参篭所のような建物が在ったのかも?…(PM2:55)次の丁石仏は多々良木ダム車道からの登山口にあり広い駐車スペースとなっています。倉谷野営場 1.5kmや'98ふるさと青年協力隊の大きな木の登山口標識や 大きな岩門に意味不明?の太く短かい錆びた鎖の使用目的はナンだったんでしょう??ゲートには余りに頑丈すぎです。
多々良木ダムから”あさご芸術の森・美術館を俯瞰

多々良木ダム下の駐車場に向う途中の草むした中にも石仏が有ります。 民俗資料館に着いて一息入れてから本日のコース等ミーティング(PM3:20〜)。島田さんとは生野から福崎へ真っ直ぐ南下する為分かれます。大加茂さんを出発点の法道寺谷川・上生野(こうじくの)橋まで送って行き、私は青垣峠(生野峠 )を小名草に抜けて帰途に着きます。勿論道すがら丹波の山を案内です。

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