表銀座コース〜千ヶ峰三国岳〜加美アルプス 〜西雄岳・マタニ山〜千ヶ峰
播磨 地図 (但馬竹田・生野)
T岩座神〜千年杉〜千ヶ峰〜飯森山〜高坂峠  2000年09月17日
U作畑林道〜千ヶ峰〜市原峠 〜マタニ山〜新田ふるさと村 2001年08月12日
V 加美アルプス(槍ヶ峰〜西雄岳)〜千ヶ峰 〜三谷渓谷 2001年08月17日
W 寺谷口(413m)〜豊部山〜森内山(笛草城)〜豊部   2004年06月13日
加美中学校の木造体育館

近畿の山城: 門村構居 笛草城
校歌・故郷の山
杉原谷小学校 ♪みどりに明ける千ヶ峰xxx・・♪

T岩座神〜千本杉〜千ヶ峰(1,005m)〜飯森山(901m)〜高坂峠  H12.09.17

岩座神(いさりがみ)からの七不思議コースで登り 飯森山コースを辿ります。 鹿除けネット沿いの藪道や倒木の整理・とりわけ飯森山の切り開きは大助かりでした。高坂峠から水平林道を金蔵寺へ:入口で「松茸山につき…」で諦め播磨名水10/落葉の清水(松ヶ井の水)へ立ち寄る長い車道を歩きの…本当に長い…岩座神まで2時間の歩き。 岩座神七不思議を訪ねる一巡コースはT血石(集落入り口)から始まります。
千ヶ峰山頂

岩座神(道路標識)のある車道下の谷川に!!どれがそうなのか覗きこんで確認していないが案内看板がある)Uロッジの下:右へ三谷渓谷への 車道を分ける山側に三本杉(車道脇から白い看板が見える)岩座神ロッジ(6:40)から急坂を直進する林道から唐滝・雨乞岩への厳しいコースを分けて千本杉コースへ右手の参道にV神光寺山門がみえる。ここにXX?榊(詳細は集落内の案内板で)山門より神光寺 (6:45)本堂右手に旅立ち地蔵尊があり前に は記念スタンプも設置されています。神光寺本堂左側より山道でW千本杉【天然記念物(昭和47年3月24日)指定:高さ14m根廻り4.35m樹幹 6〜7mの所から数百本の幹分かれしていることからこの名が有り大変珍しいものらしく全国50件の杉の天然記念物のうち熊本・阿蘇郡小国町の阿弥陀杉の2件だけ 】に続きます。車の場合は此処まで侵入可能です (7:00-7:10)。
ゴンビのコルから望む千ヶ峰

永年の風雪の厳しさからか、 突然変異かは定かではありませんが!!。X雨乞岩ご存知の…Y塔の石Z唐滝は雨乞い岩近くの 縦走路より七不思議下降ルートで巡回できる。雨乞岩辺りも以前は藪漕ぎで通過する道でしたが随分歩きやすくなりました。
参考になるかどうか今回のコースとタイムを千本杉〜神光寺屋敷跡 (7:15)〜三谷渓谷からのコースと合流(7:25-7:40 氷上町からの登山者と雑談)〜千ヶ峰(8:00)〜雨乞岩(8:15)〜塔の石経由岩座神コース分岐(8:25)〜多田坂(9:00多田方面へ下山出来れば好いのだがやはりバリケード )〜飯森山(9:30)〜高坂峠(10:25千笠山荘予定地)〜松ヶ井の水[落葉の清水](10:33)〜的場(10:55金蔵寺・蛍の里を経てここに出てくる予定だったが)〜棚釜を経て岩座神(12:45)


U 作畑〜千ヶ峰〜市原峠〜マタニ山〜新田ふるさと村  H13.08.12

播磨名水 10落葉の清水(松ヶ井の水)水汲み場を横目に作畑から千ヶ峰〜マタニ山へ縦走です。マタニ山から先の西岳までは短時間で行けないので途中から下山の場合は作畑側から周回するのが便利です。丹波には 1,000m峰が無いので、近くて登りやすく展望も優れた千ヶ峰は人気の山です。近年この千ヶ峰を主体に 北方の三国岳(855m)〜加美アルプス(西岳)〜マタニ山〜千ヶ峰〜飯盛山〜入相山〜笠形山まで縦走路が整備された。千ヶ峰へは定番の三谷コース・市原コース・岩座神コースを一度は歩いているので今回は 別ルートで入山します。
展望岩から望む市原林道とマタニ山

高坂峠を下ると県道367号を右折し越知川沿いに走る。三叉路に新田ふるさと村の看板が目に入る。名水・熊野水を経て白岩山へ行ってみようとしたが敗退した林道入り口(郵便局横)を過ぎ、 随分入り込んだなと思う頃作畑バス停・越智谷第二小学校下に着く(AM9:20)。千ヶ峰登山口の大きな案内板が岩風呂橋の手前にある。小橋を渡ると地道になり駐車スペースもあるが、 周回予定なので少し先・上垣内付近の路肩に停めて引返す。この林道終点にも 広い駐車場所がありました(AM9:40)。この駐車場よりジンヂイ谷に沿ってさらに幅狭いダートな作業林道となる。 登山コースは途中のヘアピンカーブ(AM9:50)で谷沿いに進み、谷を渡り尾根へ延びる分岐点がある。作業林道途中の分岐に「山頂まで後何分…」の越知第ニ小学校生が制作の道標が5〜10分おきにある。 主稜へ続く枝尾根に出ると「あと60分…」の道標が有るが(AM10:05)千ヶ峰山頂の賑わいとは別世界。最初の林道終点で鹿に逢うが、こんな所に人間が…と鹿の方が怪訝そうです。枝尾根に出ても展望殆どなし、積雪期のXCスキーでの下山コースなら良いかも?。稜線近くなってくると広く比較的傾斜も少ない尾根歩きで 植林帯を抜けると篠ノ原が続く主稜に合流して100m程で360度大展望が楽しめる千ヶ峰山頂(1005m 2等三角点 AM10:25〜10:55)。
マタニ(深谷)山から望む加美アルプスと 三国岳

周辺には500〜800mの多くの山々がひしめき、千の峰が望める山としての山名の由来は納得のパノラマは白岩・段ヶ峰 ・大江山・三岳山・多紀アルプス・五台〜五大と数え挙げれば枚挙にいとまがありません。「南無妙法蓮華経」の石碑のところには数名のパーティが賑やかに談笑しています。「こんにちわ」声をかけようとしたら 相手の方も振り向きざまに「あら」…今年最初の低徘・丹波オフ蛇山でお合いした方も一緒で千ヶ峰愛好会の面々が集合。 しかもこの時間帯にアチラコチラと思い思いのコースから 登ってこられる仲間に応対に暇なし…。紅一点のN山さんは愛好会参加者の出席を取っているのではないかと思われるほどの張り切りようです。ユニークな人達と、 も少し話をとも思ったが…部外者なので早々に退散し市原峠へ向うが、何年ぶりかのコースは様変わり!!して広い山道が続きます。五台山方面の鷹取山(丹波槍)の姿と加美アルプス(西岳)のギザギザ山容がやけに目立ちます。 縦走路を下りながらゴンビのコル(山頂から5分)からの千ヶ峰と展望岩(AM11:12 縦走路から10m程南からは マタニ山を望みながらも、山肌を削る市原からの林道拡張工事と、なをも進みつつある 林道延長工事の様子が気になるところです。市原峠へも延びてくるのか山が荒らされそうで心配です。 市原峠(AM11:20)からマタニ山へは前回(H10.11.1)取付きから笹藪の中に踏み跡を見つけるのがヤッと。その先も半ば藪漕ぎ状態のコースだったのが今は嘘のよう。整備された山道のおかけで タイムは予定より大幅短縮。 展望も山頂の腰掛松も変らぬ姿で迎えてくれます。
マタニ(深谷)山から望む千ヶ峰

マタニ山(深谷山928m 3等三角点 AM11:45)の目前には西岳の露岩を抱いた山肌が迫ります。マタニ山から先、様子を見て市原峠へ引き返し峠越えの水谷を作畑新田へ下るつもりだったが、 マタニ(深谷)山から西岳への縦走は整備された?山道を一気に下降から始まる。正面に展望があれば向う加美アルプスや三国岳を楽しみながらの道中で、杉の植林帯は整然と立ち並び、その姿をみていると気持のよいコースが続きます。途中で尾根を90度右折するところには加美アルプス西岳50分・清水登山口70分 /マタニ山30分・千ヶ峰110分の道標があります(PM12:05)。縦走路を離れ直進尾根をと思うが、先は益々急下降の様なので最低鞍部から左の谷へ降りようと先へ進みます。最低鞍部とおぼしきところには左下へ 微かな踏み跡もあります。先に続く尾根にはMTB登山・大柿氏の赤布が有る(PM12:20)。左への踏み跡を辿って下り始め5〜6分で谷の水線が現れてきます。谷筋に沿って下る道は途端に不明瞭。 おまけに何処までのヌルヌル・ツルツル状態のナメが続き、現れる滝も手掛かり少ない滑滝。コレでも 5mの滝です⇔谷最大の20m滝は50度程の斜瀑が続き半トンネル状のゴルジュの中に続く 数段の滝へと滑り落ちる壮観ですが上方まで写せずスケール感も出せず残念です。じっくり本物を見てください。崩れた炭焼き小屋を見つけて一安心です。踏み跡切れても下降路が約束された様なもの ・やがて谷が険悪な様相を見せてくると、岩壁を音立てて滑り落ちるナメの大滝が現れます。 右岸に薄い踏み後は有りますが谷よりの岩場伝いに滝を望みながら下ります。 50度程の長い傾斜の岩肌を滑り下部の半トンネル状の岩間に落込んでいきますが、此処にも何段かの小滝が連なっています。 この谷の核芯部で右からの小谷の分岐下まで続いています。下方はゴウロが谷を埋めて 滝瀬を作っています(PM12:45)。谷を渡り返しながら植林帯の杣道を伝って越知谷上流の本谷出合いに出ます。 この谷への入谷は注意していいと判らないかも。本谷は広いが水は殆ど無さそう。対岸に20数mの草生す林道の先は 「黒川・新田線」標のある舗装車道です。車道をドンドン下ります。河原で水遊びの為の数台の車を見かける、 明るく開けたところが「新田ふるさと村」でした(PM1:05)。テントサイトやオートキャンプ場があり年中無休の北欧風ログハウスがあり、杉の子茶屋では千ヶ峰そばや手打ち蕎麦・こんにゃく作りの体験も出来、 レストランの予約等はメールでも受け付けているんですよ。車道をなをも下り続けると右手奥の山の稜線を割って黒い大きな滝が見えてきます。新田「不動の滝」でサイクリングコースが通じています。 程なく千ヶ峰登山口「作畑新田コース〜市原峠」(PM1:10)の看板をみて新田大橋を渡りますが(PM1:15)この橋の袂からも不動の滝(水ヶ野滝)への道が通じます。急ぎ駐車場所の上垣内に戻り着き (PM1:30)不人気コースから入山し無名の谷を下り無名の大滝を見ての周回コースを終えました。この谷のことは千ヶ峰愛好会の方たちに今後のコース開発等調査の対象として、長いマタニ山〜三国岳に至る数少ない西側への エスケープルートとしても要検討願いたいところです。

V  三国岳〜加美アルプス〜雄岳三山〜マタニ山(深谷山)〜千ヶ峰 H13.08.17

先日の千ヶ峰〜マタニ山縦走 では時間が無かった加美アルプスを、加美町側「道の駅かみ」を振り出しに三国岳から逆縦走?しようというのが今日の予定です。加美三山(千が峰・三国岳・篠ヶ峰)の二山を縦走です。R427号線 「道の駅かみ」とは車道を隔て三国岳登山口の大きな看板が見えます(AM6:40)。手入れされた植 林の中の舗装林道を約1.5Km程で道は二分します。此処にも数台駐車可能スペースが有り登山案内板が設置されています。右手のダートな林道三国線は30m程でチェーンのゲートの入り口となります。
三国峠

此処に古い石標「右・あおくら 左・うめが坂(梅ヶ畑峠)」があり チェーンの奥へと沢沿いの草つき林道が続き(AM7:00)、此処にも登山口案内が有る。谷沿いで朝露に濡れた草付きのそれでなくても湿気た感じの道は、ヒルが足元からシャクリ上がって来ても不思議は有りません。 林道終点は「8合目あと2200m」の表示あり沢沿いの道とは「6合目あと1600m」で分かれて尾根に向います(AM7:20)。100m程で稜上に出て300m程進めば山寄上(加美町)大玉林道終点400mからの道と合流して、此の先しばらくはボブスレーコースのような 凹角溝の道となります。やっと展望が拡らけますが鳥羽辺りの集落が見えるだけで 上空は雲流れ遠望はガスで何も見えません。三国峠へは一年半振り(AM7:40)。
五ノ峰(北つばくろ)からの三国岳

山頂は直ぐ其処ですので往復する事にします。登りはじめると右手に平坦地が出てきます。「播磨おどりば」と呼ばれ 「御手洗池跡」の表示も有ります(AM7:50)。雨乞いの山としての此処で 雨乞い踊りや生贄の儀式でも行われていたのでしょうか!!。左手のネット越しに見えるはずの近場のもつっい山〜大持山 青倉山が見えません。三国岳山頂 (3等三角点 855m AM7:57)に立っても 同じで青倉山方面の山波が 白く抜けたように朧にガスの中に浮かんで見えるだけ。三国峠に引き返して槍ヶ峰〜西雄岳〜マタニ山〜千ヶ峰への新縦走路に入ります(AM8:10)。 峠には「千ヶ峰愛好会」の表銀座コースの絵入り案内図が有り、これより槍ヶ峰に至るコースを本場北アルプスの人気コース・表銀座に例えています。
槍ヶ峰山頂より西雄岳・マタニ山・千ヶ峰H13.8.17

千ヶ峰へは千ヶ峰愛好会によって道標やコースが整理されており、起伏に富んだコースやピークには、おてんしょう・つばくろ ・東鎌尾根等の名が附けられている。一部未整理の槍ヶ峰〜西雄岳間も今年中には …と頑張っておられます。なを千ヶ峰から神埼町側の笠形山への12kmは「千笠会」の方々に寄って縦走路が整備されています。高坂峠から笠形山へは整備される前に往復したがトレース道には「加古川XXX会 」の赤テープが続いていたことを思い出します。三国峠から 7〜8分で一ノ峰に着きニノ峰間は少し東に展望が広がり竜ヶ峰〜笹ヶ峰のスカイラインを望めますがこの後は槍ヶ峰まで五ノ峰山頂からの三国山を見納めに 樹林帯の中にアルプスの名を拾いながら九ノ峰を経ての山行が続きます。一ノ峰〜槍ヶ峰までの峰々は2〜8分で繋がります。ニノ峰(からさわAM8:28)・三ノ峰(餓鬼岳AM8:32)・五ノ峰(北つばくろ AM8:37)山頂で尾根は左へ向う。 樹の間越しに三国岳の山容が姿を見せてくれます。六ノ峰(つばくろAM8:42)から2分程で七ノ峰此処を下りきったところが梅ヶ畑峠で三国峠〜槍ヶ峰間の最低鞍部のようです。梅ヶ畑峠(AM8:50)は林道三国線入り口にあった石標にあった「うめが坂」で此処からは合戦尾根経由で三国峠登山口(道の駅南・清水と鳥羽の中程か !)へ降立ちます。
「三国峠45分・三国岳95分・槍ヶ峰45分」
奥雄岳から西雄岳

合戦尾根経由で「道の駅」へ戻る予定ルートに槍ヶ峰や雄岳(北・奥・西の三つの雄岳が並んでいます)が控えるアルプスコースの真っただ中です。八ノ峰(おてんしょうAM8:55) ・九ノ峰(あかいわ AM8:57)へ着くと 此の先で急に尾根上には露岩が続きます。ちゃっかりと東鎌尾根の名が着いています。 コース中の未整備区間?最後の槍ヶ峰直下で道は二分して北尾根と直登コースが有るが どちらを採っても大差有りません。直登コースは山頂30m手前までトラロープがセットされているようなので楽です。 北尾根の笹薮から 槍ヶ峰山頂 (Ca840m AM9:15)へ飛び出ると東南面に展望が広がる生野・加美 ・神崎三町の町界です。正面に西雄岳の尖峰・その奥にマタニ山・最奥に千ヶ峰と此れから辿る山波が展望出来ます。 暫し休息して中岳〜南岳へと縦走路は下り続けますが竜ヶ岳〜笹ヶ峰が見え隠れして飽きさせません。
清水分岐側から西雄〜奥雄

南岳から主稜は左折するが、うっかりすると直進してしまいそうです。 幸いテープが…そして此処でヤット?今年春にMTB走破の大柿氏の赤布を見つけます。 此処までに彼の赤布が無かったは何故か?三国峠まで完走されたはずなのだが??…鞍部 (AM9:30)に愛好会の道標有り「三国峠120分・槍ヶ峰30分・つばくろ80分・清水分岐90分・北雄25分 ・奥雄50分・西雄70分」 北雄への分岐から鹿避けネット沿いに1〜2分で北雄岳の山頂 (AM9:50)だが展望余り良くなく、目前の西雄とマタニ山が望める程度です。奥雄への途中の起伏が涸沢岳で 西雄の丸い山頂は直ぐ其処です。少しガレた尾根になると急に荒れて東面が切れ落ちたように処々に崩壊しそうな岩を抱きながら、そそり起っているような奥雄〜西雄岳の稜線に出ます。奥雄岳 (AM10:10)からは清水分岐へ送電線に沿って林道が相当奥深く入り込んでいるのが見えます。清水分岐から巡視路経由であの林道を下れば「道の駅」に戻る良い周回コースになるのです。この暑い最中の縦走では何度も 悪魔のささやきが聞こえますがマタニ山は直ぐ其処。其処まで行けば先日の縦走と繋げられますが 当コースでの熟年パワーに負けたくはない。時間の余裕も有り・も少し頑張ってみます。 最高地点の西雄岳(Ca860m AM10:25)からの急坂も直ぐに巡視路となり山裾を捲く谷上部には橋も現れるが 150kg以上の方はご用心です。奥多々良木線No22鉄塔からホンの 2分程の坂を登り切れば小ピーク・清水分岐で案内標も設置されています(AM10:47〜AM11:00)。 此処へは加美町側のバス停・清水上から「奥山地蔵尊・いぼ薬師」の案内標識のある林道からのルートが千ヶ峰愛好会の手で整備されており林道終点までは下山40分です。
清水分岐側から西雄〜奥雄

縦走路を下りきったところが先日・新田ふるさと村へと谷を下った下降点だったのですが気づかず 登り返したところの案内標「マタニ山30分」で気づかされます(AM11:25)。なんだ!もう此処まで来てしまったかの思いで、どんどん歩ははかどります。ナツアカネかアキアカネか!!知らないが尻尾が赤くなりかかったトンボの数は 先週より随分増えたように思える。特にマタニ山山頂 (3等三角点 928m AM11:40)には多く飛び回っており此の先、 千ヶ峰の登り・ゴンビのコル手前まで トンボの群れを見かけます。 振り返ると三国岳を背景に ノコギリ尾根の雄岳の山波が迫って見えます。秀峰・千ヶ峰を望みながらの快適な下降コースを市原峠に向います。しかし峠近くなると林道工事の作業車両の音が響いてきます。何処まで延びていくのか…?市原峠(PM12:05)からは、久しぶりに三谷を下り たいと思い、とうとう千ヶ峰までの正統?縦走に切り替えて遊歩道のように 広くなった山道を辿ります。涼風が顔を撫ぜていきます。なんだか雲が出てきて流れも早くなってきました。本日の兵庫県は午前中100%、午後10%の降雨確立ですが、その10%は千ヶ峰に向ってきたようでポツリと来た。 展望岩(PM12:12)横を過ぎゴンビのコル(PM12:25)で千ヶ峰を仰げば高原の散歩道はそのままフィニッシュの千ヶ峰山頂へと続きます。
三谷渓谷・雄滝 北播磨最大の滝18m !

時々ポツリと来るが明るい山頂にいて展望を楽しんでいられれば早急に雨具をという気は起こりません。日が照りつけてきて、 また青空に戻ってきます。千ヶ峰山頂(1,005m PM12:40〜12:55)はアマ無線に興じて!!いる人や女性三人組みで食事準備中、夫婦連れ等10人程度が休んでいます。さてぼちぼち三谷コースへの下降に入ります。 岩座神への分岐(PM1:07)を過ぎ谷の出合いまで急坂を一気に下り、4m滝の下に出て空になった水筒に給水(PM1:20)してからは、ゆっくり雄滝や雌滝を眺めながら 三谷コース登山口に降立ちます(PM1:40)。 三谷渓谷は千ヶ峰山系を源流として、多くの滝や淵を形成し岩を噛み、樹間を縫って流れる清流は多可10景の一つとなっていますが、東播磨・加古川水の新百景にも選ばれています。 これからが正念場・・・・農業公園・ハーモニーパーク(レストラン・リンゴ園や宿 泊施設・ロッジ・キャンプ場があり三谷川に沿っては「水のふれあい公園」もある)を経て「道の駅かみ」までは約10kmの長い長い車道歩きが待っています。先刻・覚悟はしていますがやはり暑い中での車道歩きはつらい。
三谷渓谷コースの登山口

国道427号線は出来るだけ避けたいので並行する農道を歩き市原キャンプ場への 道筋にある熊野神社(PM12:25)から丹治の交差点へ出ます。此処を直進すれば春蘭荘(温泉)です。道の駅まで未だ6Km程先なので寄っていくわけにも行きません。轟・清水の集落付近からは突き出した山頂に岩場を覗かせる大井戸山から竜ヶ岳が常に望まれる。対峙すれば辿ってきた奥雄岳〜西雄岳のノコギリ歯の稜線が複雑なスカイラインを描いています。バス停・清水上(PM3:10)からは林道が奥山地蔵尊に延びており「加美アルプス・西雄岳登山口 」でも有り、コースは千ヶ峰愛好会により整備されていますので今後の予定 (冬場の短時間コース)に加えておきます。杉原川に沿って進み両側からの尾根が狭まってくると「道の駅かみ」に到着です(PM3::30)。


W 加美町役場〜寺谷口(413m)〜豊部山〜森内山(笛草城)〜豊部   H16.06.13

今日のコース縦走に先立ってはフィナーレの森内山に在る笛草城を詰めの城とした杉原兵太夫の門村構居を訪ねます。杉原兵太夫の顕彰碑はR427号側にあり、門村構居への案内標識も近くに建てられています。北の山裾には杉原氏の菩提寺の浄居寺が見えています。その背に緩やかな尾根が続き東北部にある最高峰が森内山です。稜線は更に北に向い播磨の名峰で登山者に人気の千ヶ峰へと延びていきます。
杉原から浄居寺と森内山

この山塊についての概要は下記の「門村構居」で説明していますので省略します。稜上に出てしまえばMTBでの走破も楽な?緩やかで、特に豊部山から森内山へは一箇所大きな岩場・露岩の尾根は有りますが広く快適で、 展望も時折望める!!コースです。森内山へ直接の登路は浄居寺裏手に有るのかも分かりませんが、此処から縦走予定の点名:寺谷口に向うにはSTART地点へ戻ってくるのが遠くなるので、周回するには良さそうな加美町役場を起点にして登路を探し、加美中学校から 集落内の道に入り林道を見つけ山懐に向かう。
寺谷?!林道奥には鉱口や堆積したカラミ(滓)が見られる

貯水池や水道施設を過ぎると荒れた林道終点に着き山道に入ると直ぐサイ (滓)の河原を見る。妙見山周辺にも鉱山跡が多く三組尾や大海山でも見かけました。ガラやズリ(不要な鉱石)やカラミ(精錬滓)が捨てられた蟻地獄の底を思わせる場所を避けて進むと高い石垣・石積の台地や石組で囲われた 広い水場の様な所や、目の前にポッカリと黒い口を開けた鉱口が現れたりもします。程なく踏み跡も消え、急斜面を稜上目指して進み485m峰との鞍部に出ると踏み跡も明確な境界尾根道が続く。南端の寺谷口(頭が欠けた 3等三角点 413m)へ寄って引き返す心算(つもり)です。堀切らしい鞍部を上り詰めた山頂は 露岩が自然の2段ほどの曲輪を 形成している様な平坦な山頂です。
豊部山付近から妙見山〜段ノ城

尾根を辿れば多田川と杉原川の合流地点・熊野部を南に望む南端ピークなので此処に物見・連絡用の砦が有っても納得出来る!?。豊部山(4等三角点 533m)までは時折・千ヶ峰〜飯盛山の稜線を望むが殆ど展望無し。鹿除けネットを開閉して草原状の送電線鉄塔 (播磨中央線No.57)に着くと 西方には千ヶ峰の稜線が長く伸び、東に森内山が、南に妙見山〜段ノ城へ 高度を下げる山塊が望まれます。展望の鉄塔を過ぎると 又展望のない緑のトンネルですが巡視路が通じる快適道です。途中ではビックリするような大岩(6〜8m程 )や露岩の通過が有りますが広い尾根道続きます。
森内山山頂(笛草城)

もう一箇所・急な岩場が 有るが此処も岩場の上は絶好の展望台です。なんと此処には不動明王の石像が一基建ててある。石像の向こうに千ヶ峰の優美な姿が見える。堀切も切岸加工を不要の要害の見張所か櫓台。程なくして着いた最高所は 露岩の台地があり1.5m程の段差で森内山の三角点 (3等三角点 651m古名:杉原野山!)の埋まる笛草城の本郭部です。最高地点は自然天然の立派過ぎる櫓台だったのでしょうか?三各点の埋まる 小広い削平地は曲輪が連郭に並ぶ 東側にも、側面の南にも土止めの石積み・石列が見られます。東に3〜4段続く曲輪は帯曲輪で繋がり 尾根筋の曲輪にも土止め用の石列が覗いています。尾根筋の踏み跡は、やはり門村構居や浄居寺側に降るようですので 反対に南西側の谷筋に向って激下り森内谷の林道に降り立ちました。
森内山近くの露岩に刻まれる 不動尊

谷奥に向う林道は豊部山近くの送電線鉄塔巡視専用道かもわからないが、林道は狭く枝道も多い様?です。豊部集落出口の付近の林道には左右に石垣積みの平坦地が 延々と続くのですが、丁寧に積まれていて農林用とも思えません。高石垣もありますが寺社の跡なら相当大きな寺社の筈だが?寺社が在ったかは知らない(未調査)。山上で見かけた不動尊も一基だけなので山岳寺院の関連は 弱く鉱山関連の遺構だったのでしょう?




 門村構居 
笛草城(門村構居の詰め城)

門村構居(門村城)   xxxm   兵庫県多可郡加美町門村字カマへ坪

西脇市の北方・多可郡中町へ出て杉原谷に沿って R427号を北上すると案楽田で東方には
妙見山に延びる二つの尾根が有り貝野城 と尾根中程に送電線鉄塔の建つ段ノ城が有ります。 妙見山から篠ヶ峰に続く稜線の北には遥かに高く優美な姿の千ヶ峰が姿をあらわしてきます。千ヶ峰はさらにマタニ山〜三国山へ神埼 ・朝来・多可の郡境尾根となって播州峠で篠ヶ峰から竜ヶ岳の稜線につながります。
門村構居 ・杉原兵太夫安久墓碑と浄居寺

この二つの山稜の挟まれた長い谷間に杉原川が流れ R427号線は播州峠を越え氷上郡青垣町に入ります。加美町役場を過ぎると豊部地区の北奥に西方から延びる稜線の東に高く、緩やかな山容の峰が見えます。此の峰が地元で杉原野山と呼ばれ杉原氏の門村構居の詰め城
笛草城(門村山城)があったところ。真近に見える城山(森内山・杉原野山)ですが標高651m・比高470mの急斜面で 山頂付近は露岩の多い厳しい場所です。
厳島神社鳥居東の溝谷沿いに南を除く三方を土塁が囲む広い曲輪

笛草城への登路は門村構居からか城主・杉原氏の菩提寺・浄居寺(じょうごじ)辺りから延びていそうですが豊部山〜森内山山塊の縦走が目的なので未確認です。豊部から門村地区に入ると車道側に門村構居城主杉原兵太夫安久の墓碑と 由来碑が立てられ北方山麓に菩提寺の天徳山浄居寺(臨済宗妙心寺派・本尊:観世音菩薩)が見えます。鐘楼山門に向かう白壁に”吾が里は 翠清けき 法のその 心も涼し 浄居なるらん”の句碑が立つ。
厳島神社西・浄居寺駐車場への南にも土塁が囲う曲輪がある

…永禄8年(1565)?杉原兵太夫安久?が此の地に在った観音堂を改築し浄居寺を称し杉原家菩提寺としたと云われます。”兵庫の城紀行 ”の城リストに杉原九左衛門?の名をみる。浄居寺は観音堂を天文5年(1536)浄居庵としたことに始まるともいう。城史を知らず推論ですが…播磨赤松氏は守護代:浦上氏の内乱・弱体化していた頃か?。杉原安久一代の城なのか?在地土豪とも思えないが此の地の立地条件からは鉱山と銅精錬技術と街道筋から但馬山名氏との関連は否定出来ないと思われます。
灌漑用土塁貯水池は水濠!!?

但馬黒川から生野峠を越えて丹波青垣町へ出るが、丹波街道に入らず・播州峠を越えれば此処:杉原谷を抜けて東播磨を西脇・社・小野・三木への街道に繋がる。 妙見山始め周辺の山中・森内山<詰城の笛草城が在った>登山レポートにも記した様に鉱山・精錬跡が多い。生野鉱山からの鉱脈が 妙見山に延びており、別所氏に圧される旧赤松家・とりわけ但馬境界に接する在田氏等は、鉱山技術・精錬鉱の搬出ルートを介して宿敵であった山名氏と経済的に関わっていたと考えられます。
水濠上は土塁線沿いの帯曲輪!?

山名氏が一時期領主だった播磨・元々領地だった丹波側に 家臣がそのまま居残って?(篠山市の板井城<山名小太郎>)居ても不思議ではない?。「門村」の字名は此の浄居寺の門前に在る 事から付けらている。笛草城の東山麓部・浄居寺への車道入口にある厳島神社の側には深い溝状の小川が流れ、その隣の山麓部一帯 「カマエノ坪」の台地に形成された門村構居は全長100m以上の長い三重の土塁が走り、高さ(深さ)2m程の土塁壁が構築されており土塁に挟まれる形で空掘が平行に延びる。構居の直ぐ南下には杉原氏の子孫の方が 住まわれているという民家が建ち、
水濠上に帯曲輪・土塁・空堀に入る上り土塁虎口?

その上の田圃や空き地には 石垣遺構があり、其の先:山裾には水濠だったと思える細長く幅の無い灌漑用水池がある。水濠上には土塁と並走する帯曲輪が有り、水濠(用水池)東端から入る 上り土塁虎口?が帯曲輪・土塁・空堀に入る。また東端・城址案内板側の民家裏の材木小屋からの侵入口も空堀底に通じる。 三重土塁と其の間の空堀は敵の侵入に対する防衛戦より、兵の横移動を可能とした塹壕として活用されたものか?。
南東端虎口?は中央大土塁の空堀に入る

いずれの横堀も途中に遮蔽の段差等が無い。中央大土塁は折れを持ち・途中の幅広く膨らむ部分は櫓台か?。空堀側4m程の切岸面中程には 土留め補強かと思える石片を観る。近在で此れほどのスケール感で威圧する土塁・空掘りは他に無さそう?。余りに大きな土塁・堀切に圧倒され、削平地が全体に傾斜したまま拡がっており曲輪・城域の境も明確でなく住居跡(主要曲輪部)は何処なのか?よく分からない。後世に植林として造成改修されたものか?。
折れをもつ中央大土塁

厳島神社側の溝谷沿いに大土塁が捲いており・延長沿いに「カマヘ坪」全体を土塁が囲んでいたとも考えられます。 南東端の一番切岸高い登城口近くの土塁曲輪か?、門村構居説明板が立つ背後なのか、南側ほぼ中央付近 (水濠東付近)から入2-3段の曲輪段間を入る虎口上の曲輪なのかも…?。 杉原庄は平安時代中期・藤原摂関家領となり・近衛家に引き継がれ室町時代末期まで約400年にわたって領していた。門村に杉原兵太夫安久が天文-永禄年間 (1532-70)居館をかまえ、
折れをもつ中央大土塁の幅広部分は櫓台

杉原谷の近在10余カ村を支配していたが天正2年(1574)三木の別所氏による【豊地城主(小野市・東条城)別所孫右衛門重棟等?】攻撃を受けてか落城、従士17名と共に杉原字山根で自刃したと伝えられます。伝承では別所長治(三木城主・天正3年織田信長に離叛したが)の将:坂神重右衛門が 杉原氏と従士等の菩提を弔うため祠を建立し定住したという!?。末だ近在に在田氏の貝野城・段の城は健在なのに救援していない様で!?…
櫓台から大土塁と左右の空堀(塹壕?)


杉原氏は在田氏麾下の領主では無かったのか?。上記での推論:山名氏方の鉱山事業に関係する奉行だったか?。杉原安久の墓碑が立つ位置には八幡神社が祭られていたが、明治の郡道や現:国道拡張工事等で数度の移転改築を経て現在の八幡神社は墓碑の立つ真北側の山麓に移設されている。現地説明板に天正2年1月…とあるが翌:天正3年7月には荒田城合戦【加美町への入口・中町に在った在田(有田)源八郎朝勝の貝野城・段の城が、
左右の大土塁と空掘底部

別所重棟等の連合軍により 攻略されている】赤松家新興勢力の別所氏により加西方面の領地を追われ、多可郡中区の貝野城や八千代区の野間城を本拠とした旧赤松家在田氏が、城下を抜ける別所氏軍を素通りさせたとは思えない。城主:在田氏居館の段垣内構居 <在田氏滅亡後・別所重棟が改修して居城した>からは僅か200m程前が街道筋!!?。
二条の大土塁と空掘の様子


貝野城・段の城も奇襲されているが、門村構居も荒田城合戦の前哨戦として奇襲を受けたものか?宿敵山名氏の拠点・但馬の境界に近く、 幾度も合戦に参戦した記録が有りそうなのですが天文年間以後・杉原兵太夫安久しか見えず、築城時期や城主等の城史についても不詳です。

(現地 門村構居城主・杉原兵太夫安久墓碑の案内板  及び門村構居の案内板 参照)

笛草城(門村山城)     森内山 651m   多可郡加美町門村

ふるさと兵庫の50山(No21) の千ヶ峰は東播磨の最高峰で近畿百名山(No94)や関西百名山(No44)にも選ばれる名峰です。その千ヶ峰から東南に派生する尾根は途中で、門村から三谷川に沿って農林業公園を通り岩座神(いさりがみ)へ抜ける林道で分断され車道は多田川に沿ってR427号に沿う杉原川と熊野部で合流します。
笛草城 ・本郭部南側の土止め石積

この三つの川【三谷川・多田川・杉原川】に囲まれて独立した山塊のように見える豊部山〜森内山への稜線が豊部集落へ流れ出る森内谷を包み込むように半円を描いています。其の東北部の最高峰の森内山(3等三角点651m)の山頂に笛草城(門村山城)が在りました。樹木が生い茂り展望は望むべくもないが R427号線の加美町役場〜丹治〜轟辺りから明確に同定出来る山ですので、
東側の曲輪からの笛草城本郭

山上からの展望が可能であれば氷上郡青垣町境の播州峠を起点に南北に長く流れる杉原川の主要な地区(先述の轟・丹治・門村・豊部・寺内へと領地 )の大部分を眼下に収める立地にあって播磨・丹波・但馬への街道筋や領内の監視にあたると共に門村構居の”詰め城”でもあったとされます。門村構居の近くには城主・杉原氏の菩提寺・浄居寺が有り、 緩やかな山容を見せる寺の背山ですが、その姿に似合わず山頂は露岩の多い急傾斜が自然の要害となっています。
東側の曲輪からの笛草城本郭・土止め石列

それにしても比高470mとは…真近いだけに登路はあってもキツイでしょう。門村構居や浄居寺の奥から山城へ大手道があるのかもしれないのですが、此処へは三つの三角点峰 (寺谷口・豊部山・森内山)縦走での計画なので登路の確認はしていません。城域は小さな曲輪を6〜7連ねた細長い山頂部の尾根上に岩盤や急斜な自然地形を巧みに取り込んで削平され築かれているが堀切や竪堀・土塁は無い様で南北朝期の築城のようですね。最高所には平坦な大きな石や南角にも大岩が有り主郭があったところ!。
東側の曲輪・低い帯曲輪からは石積が覗く


これ等の状況からは門村構居築城期以後・室町期の築城から戦国時代にも改修され使用されてきたと 推察されています。門村構居の近く・奥豊部地区に”稲草城”との案内標識が立っていたので寄ってみようと集落内に入ったが狭い地区内の道を抜け出てR427に戻ってしまった。場所も城史も調べていないので今度は 加美町側から篠ヶ峰周辺の山に登る際の楽しみに残しておこう。

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