丹州街道の山城を訪ねてT北攝の名山剣尾山と三草山周辺の山城
北摂:豊能郡 (五万図=広根)
T月峰寺=野外センタ車道〜鷹爪山・最高点434m) 2000年01月20日
U鷹爪山〜月峰寺 〜岐尼神社〜森上・今西城〜栗栖城〜月峰寺 2002年03月10日

丹州街道・山辺川より鷹爪城 H14.03.10

干支の山  鷹爪山
ふるさと富士 鷹爪山(能勢富士・小富士の城)
近畿の山城 :山辺城 森上城・今西城 栗栖城


北攝で人気の山として棚田を見下ろす三草山・北攝の名山剣尾山があるが、今日は其れらの山には向わず両山の狭間に点在する小山に向かいます。剣尾山側を山辺川に沿って国道173号線が能勢と丹波を結んでいます。三草山側は山田川が能勢から猪名川へ抜けて県道 12号川西篠山線に合流します。
丹州街道 ・山辺川より森上城跡と点名:今西

そんな此処、今西・森上・宿野界隈は能勢から丹波篠山(福住)へ抜ける丹州街道や池田を結ぶ能勢街道が通じる交通の要衝です。
国道173号線のうち 池田から篠山市福住に通じる街道は池田・能勢・丹波を結んだ歴史文化の道で「丹州街道」と呼ばれ、商用の街道としても古くから物資の集散地となり、街道には往時を偲ぶ道標、商家や茶屋跡が残っている重要な交易ルートでした。剣尾山西麓の山辺から、はらがたわ峠を登りきって天王へ向う街道を丹波米が 池田大阪へ運ばれ池田・伊丹へは丹波杜氏や 籠坊温泉への湯治客が通ったかも知れません。池田街道から一庫出合橋で分岐して亀岡へ向う能勢 (妙見)街道通って能勢妙見へ参詣の講の一行が往来していたことでしょう。
月峯寺東北背後の尾根先:東砦?から城山台住宅地と鷹爪城

交通の要地にある周辺の小山の殆どは山城跡と思えて 興味を持って地図と睨めっこしてみます。豊能自然歩道(浮峠・岐尼神社)に見るように街道筋の多くが間道(脇道)になっているようです。主要道の一つでもはらがたわ峠〜七曲がり峠〜篠山(福住)へは MTBで通過する人が時々利用する程度か、そんな界隈の山城巡りです。
 

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歴史と藪に埋もれた能勢氏の山辺城(鷹爪山・小富士の城・能勢富士)  H12.01.20

小富士の城の名もある山辺城址の鷹爪山(南峰三角点428m 北峰 434m)は能勢富士とも呼ばれます。長谷の棚田を見下ろしながら 森上と宿野の間にある月峰寺に立ち寄ってみます。旧月峰寺が北攝の名山剣尾山山頂直下にあったことはご存知ですね。能勢町役場の先を左折して野外センターへの林道に入ります。建材用か岩が積み上げられている ユズリ川沿いの小橋(二の瀬橋)からですが、
二ノ丸側から三ノ丸(南側)の切り岸H14.03.10

ほんの少し先「山崎能勢線」の林道から 峠に出れば尾根通しに道が続き、道なりに雑木林の道を辿ります。関電の送電線工事は、大規模な能勢〜山崎間の工事です。この「山崎能勢線 」林道を峠を下れば、ライフル射撃場から山辺へ出ます。地図では途中に丁仏道〜剣尾山等の破線ルートも見出せます。妙見山方面の能勢城 (地黄古城・丸山城)??の支城だったか ? 左右の峰の山頂付近には石積みや大規模な曲輪跡があり切り岸を廻らし・土塁や堀切跡等の箇所が多く残っており、城ファンには見逃せない研究等魅力的なところと思われます。 郷土史等には城山についての記述があるかも知れません。
鷹爪山4等三角点のある三ノ丸

鷹爪山(城山・能勢富士:山辺城 ・小富士の城 4等三角点 428m)は藪の中の切り開き、共同アンテナが建っています。 山頂よりは西に延びる尾根の先が気になりそちらに向かいますが、 けっこう藪に悩まされます。この間にも堀切りを思わせる場所もあり資料があれば、もっと調べていけばと悔やまれます。尾根通しの最高点は本丸跡か ?藪の中だが剣尾山等の展望良し。大きな立ち枯れの木にポールや旗が巻き付いていました。




U鷹爪山城〜月峰寺〜岐尼神社〜森上・今西城 〜栗栖城〜月峰寺
  H14.03.10

歴史街道を歩きながら周辺の五〜六の山城を訪ねるつもりでしたが栗栖(山頂に通信施設がある)を除いて登路も明確でない藪山ですので 登城口探しで時間をロスしたが、剣尾山へも城山から尾根通し(三ノ瀬〜剣ヶ鼻〜剣尾山〜横尾山〜トンビガラ 〜能勢の郷〜山辺神社 )と歩いてみました。山田城・片山城・上杉城等見残した山城探訪は後日の楽しみです。栗栖同様に城の痕跡も見出せ無いかも知れませんが・・・・!!。先ず城山へ向かいます。この山は上記 Tで訪ねた同じコースで再訪です。
山辺神社から城山を望む

周辺の城では最大級・最高所の城山で国道173号線や山辺川に対峙する今西城・森上城や県道54号線 (現・月峰寺山門前)を挟んで栗栖城や三草山に隠れて存在感の薄い山田城等周辺の 山城が望める位置にあります。天正7年(1579)織田信澄・塩川伯耆守国満に攻められ落城した能勢氏の詰城として、極めて重要な城であったと思われ 私の辿った峠からの尾根コースには顕著な土塁で囲われた曲輪・堀切・切り岸 (斜面を削ったり土盛した防衛施設)で囲われた曲輪郡や自然の切り立った露岩に続いて石積み跡や石段跡も残っています。石積みを残す山城は少ないが、 それだけに重要な城であったのでしょう県道54号線で剣尾山月峰寺前の過ぎ 能勢町役場の三叉路から大阪府青少年野外活動センタへ向う林道は、宿野の集落を抜けた途端 (今は一部拡張工事中ですが)に二車線の広い舗装道路となって続きます。
四方に土塁を廻す鷹爪城東出曲輪(西虎口から)

前回は幅狭く、 水溜りの多い凸凹未舗装林道だったので見違えてしまいます。城山への取付き点とした石置場!!??のある小橋(二の瀬橋)を渡って、 山辺へ抜ける林道入口付近の車道脇に駐車(AM8:05)して峠に向かいます。 峠付近では 4日早いホワイトデーのプレゼントが飛び出してきます!!。 見事な程に真っ白なハート型のお尻をチラつかせて4〜5頭の鹿が峠の上へと 駆け上がって行きます。(AM8:15)の左へは溝状(溝管がある )から尾根に伝い上がって行けそうで上方に境界ポールを認めます。城山を往復してからは此処より剣尾山を狙うつもりで、右手に続く山道を境界ポールを追って進みます。
鷹爪城二ノ丸西面の石垣


藪ッぽい道も東尾根と合流すると緩やかな道となり城山(鷹爪山)山頂付近を望むようになると、程なく城郭の東端の曲輪に出る。 周囲は土塁を積み固めてある。いよいよ最後の急登で三の丸下の腰曲輪に着く。周囲を5m程の「切り岸」で囲い北側の本丸(北の峰が最高地点)二の丸へと続く尾根の左右に土塁を積む空堀と竪堀。周辺の山城には珍しい 石積みの堅固な防御施設を持つ大城郭です。南峰と北峰を隔てる曲輪跡の西面が特に顕著ですが、また巨大な露岩が並ぶ自然の要害にもなっています。 高離、僅か7〜 8m程の岩場ですが垂直の岩場にはロッククライムを楽しんだ後の数枚の残置ハーケンが見えます。 空掘を越えて一の丸の広い曲輪(434m)へ出ますが 雑木の藪の先には 剣尾山と高岳だけが浮んで見えます。
巨岩を自然の切岸とした 三ノ丸西面

藪の中に立っているだけで長居出来る雰囲気ては有りませんので南峰の鷹爪山 (4等三角点 点名:城山T428m AM8:30〜8:55)は山辺城・鷹爪城・小富士の城と様々に呼ばれる 山城の跡で能勢氏の詰城 (最後の城)ともいわれます。点名が示すように周辺の三角点には U・・Vと城山が有りそうです。同じ道を引き返して峠へ戻るつもりでしたが、前回のコース外れを意識してか道の明確な南への尾根をとって 水道施設を経ての城山台という新興住宅地へ出てきました(AM9:15)。 直ぐ下方には剣尾山 ・月峯寺(攝津観音霊場 第16番)があり、JAライスセンタ近くの住宅地入り口に出てきました(AM9:25)。車道を隔てて15m程西側から南に延びる山道からは栗栖城へ登れそうです。私は栗栖からこの道へ降りて来ました。
鷹爪城三ノ丸東北面の高い切岸(中ノ丸東から)

城山台から県道54号線の 三恵園看板 (JAライスセンタ西)に出てきたので剣尾山への予定は遠回りコースに修正して、妙見街道と丹州街道が交差する直ぐ西の国道173号線側にある森上城を落して引き上げざま(今辿っている峠南)県道 54号線の来栖を攻めて、駐車位置に戻り時間を見て予定の剣ヶ鼻〜剣尾山への藪尾根コースをとるつもりです。173号線と対峙して山辺川の城山橋からは北に城山 (鷹爪城・山辺城)、西には森上城と 近隣の今西城及びその先に稜を連ねる今西(3等三角点)が顔を揃えています。先ず山辺口三叉路から山に延びる道を入ったが直ぐに退散です。一基のみ残る墓地で行き止まりです。
今西城跡から三草山

西中学校周囲からも無理のようです!!。周辺では最大の繁華な商店街の中・左に三草山を眺めながら岐尼神社(AM9:40)前に来ててしまいました。岐尼神社は、能勢町に3つある延喜式内社の一つで、塩川国満(多田方)との「杵の宮合戦 」や江戸時代1837年(天保8)に大塩平八郎の乱などに誘発されて起こった「能勢騒動」など能勢における歴史的大事件の舞台にもなっています。首謀者山田屋大助の生家は山田村にありました。丹州街道は岐尼神社の前から南に折れ、三草山を西に見ながら平野、上阿古谷から猪名川町へ向かっていきます。森上城への登口を岐尼神社の裏手に求めて右手の竹薮は墓地へ。引き返して真後ろの道は細く入り組んだ集落内で民家の庭に出たり、吠え立てる犬に嫌気が差して引き返し別ルートを捜しますが道はなく、意を決して民家前の果樹園の脇の細道を抜けて潅木の繁る谷筋から稜線を目指します。 程なく明確な踏み跡が現われますので、このルートを下山に使用します。稜線の向こうで犬の声が聞こえていたが、直ぐ下方から2〜3引きの犬が吼えながら駆け上ってきます。犬を避ける場所も無く逃げおおせる自身さらなく覚悟を決めます。 (^^; 無視してればいいんですよね・・・・

森本城と今西城間の稜線に上り詰めたので最初に南東の森本城に向います。数段続く曲輪群には土塁も残り堀切を越える。北側・山辺川からの防備が重点のようです。大明山山頂(328m)の森本城主郭(AM10:00)は周囲を土塁で補強され中央寄りには石垣で囲われた檀があり雑木が生えてはいるが 櫓か城主の居館が建っていた名残でしょうか。 南に延びる稜線上にも幾つかの曲輪跡が見受けられるようですが、予備知識も史実も資料も無いので今日は此処まで、元に戻って今西城へ向かいます。雑木の藪に埋れそうな森本城とは対照的に明るい稜上に続く 幾つかの曲輪跡は最高所で一気に深い空堀で仕切られます。切岸の一箇所が山道として崩されているので点名:今西(3等三角点 337m AM10:10)へ向います。丹波・丹後・西播磨では3月末まで鹿害の為、捕獲作戦が展開されていると聞いたが北攝でも実施されていたようです。
森本/今西城跡を栗栖城跡から望む

二つの城跡を訪ねた後、三角点に向っている時ハンディ無線!!おじさんに合い「捕獲しているので注意するように」と聞く。 黒い犬が反対側の稜線へ駆け下りて行ったが猪狩りの勢子役か!! 点名:今西からは稜線を山辺集落へ降り順当に剣尾山への予定ルートだったのですが、山裾の犬の鳴き声に辟易し仕方なく引き返します。御蔭でもう一つの山城を攻略して剣尾山へ向うことになります。森本城と今西城との境界から南へ下る道は岐尼神社(AM10:30)の一つ東の酒店の角の細い集落の道です。登りに採るなら兎に角真っ直ぐに爪先上がりの急な道を登り続けて山道に入れますよ。この道も周辺の民家の犬に吠え立てられることは覚悟でお出かけください。
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岐尼神社からは元来た道を引き返し国道 173号線の交差点を直進して栗栖に向かいます。山辺川に架かる柳橋からは鷹爪城・森本城とこれから向う栗栖城の三つの山城が望めます。 栗栖は山頂にツーカーホン関西やJ-PHONE等三つの電波塔が建っているのですぐ判りますが登り口を探すには先ず寺や神社ですネ。此処でも栗栖バス停から集落内の坂道を辿ります。 栗園の広がる裾の林道然とした道を六地蔵や幾つかの石仏を見かけながら洞雲禅寺に向かいます。
洞雲禅寺

洞雲禅寺(AM10:45)からは林道が奥に延びていますが通信施設への専用道路です。寺脇の車道ゲート横を抜けて一路細い林道から山頂を目指します。 低い山ですが独立峰ですから直ぐに展望が拡がってきます。南麓を捲きながら山頂に向う道は展望回廊で、南には片山城が・上杉城が・三草山や竜王山(名月峠の)が見えています。山頂にむかうに従がい西面に先ほど訪ねた森上 ・今西の城山や高岳が、そして北面に山辺城と剣尾山がツーカーホン関西(AM11:05)アンテナ施設からは望めます。西面下の藪には壊れかけた祠がありますが城とは関係なさそうです。北に向って踏み跡が有って幸い、 月峰寺方面への近道でもあるので此処を降りますが、未だ三角点を踏んでいません。元来た道を引き返すとJ-PHONEの施設横に小道があり直ぐ先にNHKのアンテナが建っているフェンス脇に栗栖(4等三角点 AM11:10)は有ります。 此処まで西面や南面には林道や通信施設で山城の遺構は何も見かけませんでしたので林道と三角点の東南に大路次川を見下ろす位置に曲輪跡等施設が残っているのかも知れません。ツーカーホン関西能勢局施設に戻って、 見つけた下降路を辿りますが54号線が直ぐ下に見える辺りで果樹園の上部に出てきてしまいます。幸い季節外れで収穫期でも肥料準備期でも無いので園の端を通らせてもらい54号線と平行する山裾の道に降り立ちますが、 出てきた車道は最初に訪問の城山から降りて来た54号線の三恵園看板が直ぐ其処25m先に見える場所でした。(AM11:20)看板横のJAライスセンタ・月峰寺へと戻りながら青少年野外センタに向う林道の二の瀬橋に戻り着き次の予定 ・剣尾山へと向かいます。(AM11:55)
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