丹波富士・丹波槍へ向う「改心の道」  蓮ヶ峰〜596m峰〜弥仙山
京都綾部 (五万図=舞鶴 )
:施福寺〜395m〜蓮ヶ峰〜596m峰〜弥仙山〜599m〜池ノ内下 2002年01月18日
 関西100名山 : No33.弥仙山
  ふるさと富士 : 弥仙山

弥仙山頂付近より蓮ヶ峯

京都丹波(綾部市 )と丹後(舞鶴市)の境界に位置して、何処から見ても際立って優美な姿の弥仙山(みせんさん)は、その秀麗な姿から「美仙山」とも「丹波富士」とも呼ばれ、他の山を圧するように突っ立っている鋭鋒を 「丹波槍」とも呼び、古くは釈迦ヶ岳とも三仙とも呼ばれていた修験の霊峰。修験の山は、その回峰ルートで登ってみようと 以前から整備されていた「改心の道」弥仙山〜君尾山の林道歩きを考えていたのですがもう一つの忘れられた此方が本命とも思える施福寺に至る修験回峰の道・蓮ヶ峰544m(蜂ヶ峰 )尾根続きの八衆ヶ峯を辿って弥仙山〜・〜上杉への計画だがコースと外れているが??同名の3等三角点419m峰(蜂ヶ峰)への東の尾根にも回峰道があったのかと!!?? 
施福寺の高野槇


国道27号線上杉から弥仙山へは、舞鶴へ抜ける府道の於与岐町から水分神社経由が一般的なルートの様だが上杉から十倉へ抜ける車道(峠から先 ・十倉側で道路工事中の為通行出来ませんH13.01月末)を辿って今回の登山口としては最も相応しい施福寺を選びます。
施福寺について 本尊・千手千眼観世音菩薩を祀る綾部西国 28番(霊場)札所施福寺(高野山真言宗)は奈良時代(750年)行基の開山により蓮ヶ峰「八衆ヶ峯(蜂ヶ峰)」の中腹に東照寺、西照寺他十二寺が建立されたが年月を経て荒廃し、東照寺は井根の日円寺へ、 西照寺は施福寺へ移ったと言い伝えられています。平安時代(950年)空也上人が熊野三所権現を勧進し再建されたが戦国時代(1526年)兵火にかかって消失しています。江戸時代(1736年)大洪水で壊滅するが時の代官・小堀仁右ヱ門に 本堂再建を願い出て翌年山門、本堂が再建されたが、その後再度の洪水で山崩れ本堂は壊滅しました。江戸時代(1809年)本堂が再建され現在に至っています。本堂前の参道階段に高野槇(幹廻3.9m 樹高23m)があり綾部の古木 ・名木100選になっています。階段下の車道を少し戻った川沿いに山門跡があります。


コース 施福寺〜蓮ヶ峰〜596m峰〜弥仙山〜599m〜池ノ内下 H13.01.18

綾部の市街地を抜けて丹波大橋にさしかかると左方に弥仙山が姿を現わす。 R27号線を北に向えば弥仙山以外は目に入らないほどに際立った姿は上杉辺り迄来ると、ますます登行欲を湧き立たせます。その上杉から弥仙山登山口へは於与岐町から水分神社を目指さずコース案内板も観ずに、 前で十倉へ続く直線の広い道に入ります。周回して上杉に戻りますので路肩のスペースに駐車して(AM9:40)この道を進みますが直ぐに狭くなり、いつしか林道となります。峠近くなると施福寺山門址の標柱を見て綾部西国霊場で行基の開山を伝える古刹施福寺に着くと本堂へ登る参道の石段の脇には 綾部の古木・名木100選の高野槇の古木が迎えてくれます(AM10:15)。
上杉集落(27号線 )からの弥仙山

点名:上杉三角点へは車道を40m程進んだところから左手に現われる未舗装の林道に入ってもよいが、参道の石段前すぐの所にも山道があり未舗装林道に合流しています。 (この未舗装林道を終点迄詰めれば、ダイレクトに蓮ヶ峯に登れることは後で分かりました) 合流した林道を10mも進めば巡視路No176から稜線の鉄塔までは明るい落葉の散歩道、展望も開けて気持のよい道が続いています。 送電線に沿って進むとNo178?付近で突然竹薮が現われる。暫らく急登となり稜線鉄塔に着くと巡視路はそのまま尾根を越えて下っていきます。三角点は眼と鼻の先8m程の小高い所だが笹薮を突いて訪れる人とて無く踏み跡も薄く 展望は無いが其処には、綺麗なまんまの3等三角点(点名:上杉 395m AM10:45)がありました。降っていく巡視路の横から尾根にピンクのテープが続いており境界プラもあるが向う方向が違う。辿るべき尾根へは 踏み跡やコースを示すテープ類は一切無くて暫らく藪漕ぎ覚悟だが、尾根を忠実に辿っていれば 踏み跡薄くとも、また途中消えていても又現われてきます・・!!??山頂付近に反射板のあるピークを目指せば良いんですよね。何も考えず、ただ黙々と前進するだけの道。暗い、単調な登り降りを繰り返すと時間の経過が凄く長く感じます。 展望には恵まれませんが小広い!!歩きやすい林間を蓮ヶ峯に向います。
蓮ヶ峯

山頂付近は平坦地で綾部市街方面は伐採されていて展望が拡がります。反射板の施設はその南側少し下方にあります。縦走路に入ろうと北側に向うと潅木の中に「山想同人」氏のプレートが掛かり 蓮ヶ峯最高地点のようです(544m AM10:15)此処に来て初めてテープ類が目に付き始めます。どうやら反射板へのコースから蓮ヶ峯〜この山塊での最高峰596mまでは辿る人もいるようです。弥仙山を北に、南面には長老ヶ岳 ・頭巾山を望みながらの快適コースが暫らく続いていたが潅木帯に入り杉やヒノキの植林帯の中の高所に黄色の京都・渓山会プレートや「峰」氏のプレートが掛かる596m峰(点名:東八田村 2等三角点 AM11:35)に着く。 展望は無く、また暗い単調な細い藪道を辿ります。途中の峠状の鞍部 (PM12:05)も境界石標はあるが左右に踏み跡は無さそうです。鞍部から無名ピーク?を降ると未舗装の林道を思わせる程の広い道に出た。「改心の道」日置谷(へきたに)コースとして陽の当たるハイキング道に整備された道と、 かつては同じ回峰修行の道だった藪の日陰道とのギャップは想像も出来ない隔たりを感じます。
蓮ヶ峯側からの596m峰

途中に当時の遺構・行場となった場所も見い出せませんでした。100m程で見覚えの三叉路に着きます。此処が「日置谷コース(改心の道・君尾山方面)」と「回遊コース(水分神社へ降る)」。 勿論これから辿る弥仙山山頂へのコース分岐点です(PM12:35)。蓮ヶ峯縦走に手間取れば此処から降るつもりでしたので、これよりはオマケの寄り道コースなのですがトンでもない結果が待っていました。間近の此処に来ても、 なを見通しの悪い杉・ヒノキの植林の奥に弥仙山は先鋒を突き出した姿を見せつけます。最後の短い急登で「改心の道」(上杉へ)の道標を見て水分神社からの回遊コースと合流します。稜線伝いの踏み跡で直接 ・金峯神社裏(弥仙山664m PM1:10)へ出れば展望には恵まれませんが、杉木の間に大江山・青葉山や君尾山等が望めます。 広い参道からの道は神社手前の露岩(石仏有り)脇から金峯神社正面に着きます。此処からは弥仙山の三角点を経て尾根伝いに上杉へ辿るつもりです。
弥仙山・金峯神社664m

「回遊コース」のハイキング道を辿り於成神社〜水分神社へ降る道から分かれて(PM1:30)樹名プレートの掛かる 「ウリハダカエデ」と石標柱に白いNo17木標のある場所から水平に延びる細い山道に入ります。切り開き程度であまり歩かれていないこの道は、なんとなく陰気で暗い感じがするのは風の音と小雪が降り始めたせいかも知れないが 赤テープは三角点まで続いています荒らされていない綺麗な3等三角点(点名:弥仙山 PM1:40)がありましたがテープは此処まで、三角点から先も消えそうな踏み跡が続いているようですが、何時しか消えてしまいます。 前方の尾根に鉄塔を見て方向を修正しますが辿る尾根は無く崖のような山肌を降り谷を目指します。当初予定の谷とは尾根を挟んで 一つ北側を下っていると思っていたのですが結果は時既に遅しでした。鹿の群れが 下方を逃げて行き、猪も私の前を横切って行きますが此処までに木の切り株や薬莢等人跡を感じるものが見当たりません。 後日に国土地理院WWWの基準点配置図で確認すると弥仙山三角点からは西へ進んでいると思っていたが 真っ直ぐ北に進んでおり点名:岸谷手前の562m付近から、拠りによって周辺では一番等高線の密な急斜な部分を下り、 谷筋も一番険悪な部分に降りた様です(PM2:00)。
点名:岸谷の尾根西側の谷へ降る 18m滝

谷筋の直ぐ上部には数段18m程の滝が有り、直ぐ下方にも10数mの直滝が3〜4連続します。狭いルンゼに谷の水流を一気に飲み込む滝も有って尋常には谷通しに下降できません。降り立つた谷筋にも人の通過の形跡などありません。 左右の山側も藪、ガレ場ならナントか下降出来ますがブッシュを掴んでの滝の高捲きです。谷の左(西側)は基準点配置図で確認すると点名:孫谷です。左右に谷の名を持つ4等三角点があるこの谷は?夏の遡行は面白そうだが素人目には手強そうです。 水音が穏やかになると谷を跨ぐ送電ケーブルを見て、やがて谷から登ってきて左右のケーブル巡視路に分岐する三叉分岐送電線No59〜61に出て一段落(PM2:20)此処まで殆ど谷筋を直に歩いていません。岩は苔生し谷筋は広いようでも 歩いて辿るスペースは殆ど無い様です。巡視路は給水施設跡?へ出て林道となり池ノ内下集落に出てきました。此処は何処??トンネルで繋いで集落の上部を跨ぐ舞鶴自動車道の下を潜り(PM2:48)抜け掘トンネル(PM3:10)を抜けると 27号線の 「日本海さかな街」の大きな看板が目に入った。舞鶴への道は何度か通っているので見覚えがあるが、それだけにコースアウトのショックも大きい。綾部市へ帰るのに此処はJR真倉駅近く、あと一駅でJR西舞鶴です。 いくら縦走周回のコースでも、今回車道歩きの新記録かな?? 延々の国道歩きでは舞鶴側の名所:雉子ヶ滝への参道前〜綾部市に入ると直ぐ和紙の里・黒谷(PM3:55)〜総合運動公園前(PM4:20)坂を下って上杉バス停(PM4:25)に帰ってきました。


★_弥仙山 よもやま話___★
そのT 「改心の道」
一般的な弥仙山登山コースは 「改心の道」コースとして整備されている於与岐町の石の鳥居を登山口として水分神社から三角点599mには行かず金峯神社664mを弥仙山山頂として 登り日置谷コース分岐三叉路から回遊コースを於与岐町へ降るようだが「改心の道」 の命名は君尾山の光明寺を舞台の昔話「天狗のわび証文」に起因していますが、天狗=修験道を意味しているようにも思えます。この君尾 山を起点として弥仙山へと繋げる修験の道を「改心の道」として林道整備されていますが、殆ど見向きもされない蓮ヶ峯へも施福寺を結ぶ修験回峰の道があったようですが現在は名も無く、踏み跡さえ定かでない藪尾根が続いています。 山頂の「金峯神社」は文武天皇の大宝年間(701〜703)に行基により開山され釈迦・文殊・普賢菩薩を祀る「金峯山大権現」として女人禁制の修験行の山。
弥仙山山頂・上杉コースから

そのU 「岳(たけ)くらべ」 青葉山(若狭富士と呼ばれ此方も霊山です)高さを競い合い、 弥仙山が少し低いので山の神様が、村人の一人の夢枕に立つて「山頂に小石を積み上げてくれ」と頼んだ「たけくらべ」の民話が伝わっていており、悲壮な鳥取・大山とは異なり、愉快なお話で今も小石を持ち登山しています。このような伝承は 全国的に残っているようですが、琵琶湖の竹生島伝説では伊吹山と浅井ヶ岳のたけくらべ民話がありました。

そのV 「子授けの伝説」 登山口にある水分神社は三十八社籠神社・通称 「八社さん」と呼ばれ、子育ての神・子授の神として信仰されています。「子供を三十八人出産して育て、食べる事には苦労したがなんとかその日をおくれたが、衣服には困った」これに同情した女性達が、小さな衣服を作って献納すると、 その子の成長を守護してくださるとの伝承です。また子供が欲しいと願う人は、その献納された衣服を拝借して身辺に付けていると子供を授かると言われ、借りた衣服に御礼の一枚を添えて御礼詣でする風習があります。
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