三岳山/伏見山(富久貴山) / 大江山(赤石ヶ岳〜鬼の岩屋)・龍ヶ城
京都 福知山 (五万図=大江山・福知山)
T-T仏坂口〜三岳山・ T-U仏坂峠〜伏見山〜上佐々木 2001年10月27日
U 鬼嶽稲荷〜赤石ヶ岳〜 千丈ヶ岳〜鍋塚〜鬼の岩屋  2000年05月05日
V 小畑公民館〜薗満院〜龍ヶ城 (646m)  龍ヶ城そのT

仏坂より望む三岳山 (839m)
十二支の山: 鳩ヶ峰 (746m)  龍ヶ城(646m)
近畿の山城 : 龍ヶ城
校歌の山 : 三岳小学校  ♪三岳の山の さわやかにxxx・・♪

三岳山(御嶽山)は福知山の北方に他を圧する堂々とした山容で周辺のどの山からも目立つ存在で、大江山から赤石ヶ岳の左方に三角錐状の山容を見せてそそり立つ姿が 印象的です。南北朝初期には、頂上付近に役行者を脇仏にした行者神社を建て蔵王権現を祀つる山岳霊場で丹波山上とも呼ばれた修験の山でした。伝説では武将源頼光が鬼退治に向う際、 蔵王権現に戦勝祈願したがこの時、北方の大江山を偵察した為「みたて山(三岳山)」というようになったと言い伝えられていますので「三岳」や「御嶽」に山の名が重複しているのは「見立て山」の語意によるものでしょうか。 三岳山は丹波の雲海で知られた山で、周辺では大江山に次ぐ人気の山で、国道427号線から喜多集落を目指し「三岳青少年山の家」に入り 金光寺(飛鳥時代の創建で丹波山岳仏教の中心となった寺)から御嶽神社を経て山頂に至るルートはガイドブック等で紹介され、地元でも登山道が整備され一般的な歩きやすいコースがあり、 私も以前(H11.8.18山の家〜山頂迄約45分)此処を歩いていますが、このとき山頂から望んだ伏見(ぶくみ)山龍ヶ城へも別ルートで再訪したいと思い立ったのが今日の山行きです。 前回も行きそびれた行者神社へも寄ってみます。今回は「山の家」の分岐を右に見て国道を直進して登尾峠へ進みます。民家の小屋に多くの瓢箪がぶら下げられているのが見えますが此処の特産で「里の駅 みたけ 」では工芸品として売られています。京都丹波・福知山市佐々木に三角錐の目立つ綺麗な山があり、このうち三山(三岳山・伏見山・龍ヶ城)は計画の登山口も近い為に一挙に廻れると思ったのですが、 自宅によってから三岳山の登山口へ向った為出発が遅れたこと。行者神社へ往復したこと、下りを急ぎ登山口の分岐が分からず「三岳山の家」まで降りて来てしまい登り直して登山口の野際〜仏坂口への喜多参道を下ったが、 思いのほか荒れたコースだった事、伏見(ぶくみ)山は下降点を見出せずに、北方の尾根に入りすぎて行動時間の余裕が無くなり最後の予定にしていた龍ヶ城へ行くのを諦めました。


T-T 三岳山 山霧を望み山上からは霧海の楽しみが最高!! 2001年10月27日

氷上町から青垣町へは霧が流れているが直ぐに抜けるような青空が顔を出す。今日の霧海は無理かと思いつつ穴裏峠を越え福知山側に入ると先日登った和久山・姫髪山は白い霧の中で姿も見えない。9号線の由良川沿いも霧の中を走りますので期待は持ち直しますが426号線に入るとアッという間に霧が流れ去って青空です。加悦町への分岐手前500m程のところに仏坂口のバス停(AM9:10)があり三岳山裾の集落・野際へ登っていく道を辿ります。簡易水道施設を過ぎる辺りからは正面に三岳山の大きな、しかし優しげな山容は晴れ着で着飾った美しい姿をお披露目してくれています。
三岳神社

振り返れば伏見(ぶくみ)山が仏坂集落の右上に秀麗な姿を見せて龍ヶ城への稜線をのぞかせます。野際の集落の最奥にある七王子神社(PM9:30)に着きますと鳥居前に目立つ三岳山への案内板。正面の鳥居右奥へ 山道が伸びていきます。「右・喜多参道 左 ・御嶽神社参道」の案内標識が有り、神社裏手を捲き上がる良く踏まれた丁石仏の続く御嶽参道を辿る事にして、帰路に喜多参道を此処に戻るコースですが「喜多参道」は思いのほか荒れた道で苦労させられました。展望には恵まれませんが 歩きやすい林間の参道に佇む丁石仏は朝日に輝き温和な表情を見せ微笑み返し、日陰の石仏は彫りの深い厳かな表情で私を見つめます。
三岳山頂3題(五輪塔・三角点・反射板)

枝尾根の稜線間近になってくると岩場が現れてきます。カンカケ岩で山道の側には梵字の石碑が有りました。願掛けの訛か鉤掛けの意味で轟水で有名な鹿倉山にも、この名の地蔵尊が祀って有り呪術的より「願掛け」の意の強い言葉のようです。稜線にでて程なく二本の巨木が目につきます。幹が空洞になった大きなトチノキとカツラの木です。程なく小さな池の側に出ます。山の家からの一般コース8m程手前です。この一般道と合流して鳥居と石段を10m程で三岳神社(AM10:10)到着です。清水の湧く小さな四角い池は、福知山市の雨乞い踊り「雨喜び三嶽おろし」は旱魃にも枯れる事の無い此処の池をかき混ぜると雨が降る言い伝えによるもので、大雨となり喜んだ村人が手振り ・足振りで踊ったのが始まりの上佐々木地区に残る福知山市の無形文化財に指定されています。三岳神社広場の左手に行者神社参道の案内板があるので 後で行ってみる事にします。三嶽神社からの急登はそのまま三岳山山頂まで続いています。
三岳山頂から雲海に浮かぶ島(鬼ヶ城)

三岳山山頂
(839m 3等3角点 AM10:20)には五輪塔・関西電力の反射板があり北方に霧も晴れて展望が拡がり近場の三国山・江笠山・磯砂山と大江山連峰、左方には但馬の郷路岳・東里ガ岳・床尾三山等が望まれます。期待の霧海をと由良川沿いに兵庫丹波側を見たいので山頂北への藪の切り開き尾根を少し下ると樹林のわずかの窓の隙間から南面には 海に浮かぶ鬼ヶ城や遠く烏帽子山,五台山や多紀の三岳〜小金ヶ岳が望めます。三岳神社に戻って(AM10:35)、予ねて寄ってみたかった行者神社参道への踏み跡を辿りますが,倒木や道の崩壊で荒れています。しかし随所に露岩が目立ってくるとこの三岳山が修験の霊山 ・御嶽山であった事が実感出来ます。岩の行場には祠や石仏・役行者像が安置されています。急斜な岩場を辿るこの道は一般ハイカーには少し危険かも知れません。 岩場歩きに慣れていること、ルートを見極められること、足元の岩が崩れそうなところもあるので要注意の往復コースではありますが、是非一度は訪ねたい処です。行者神社(AM10:50)は7〜8mの岩頭を前にして小広場になっており祠があり木彫りの三体の仏像が有ります。 中央にはげてはいますが極彩色の若い頃の役行者像 ・祠の外に飛び出していたので中に納めましたが2体の脇侍は前鬼・後鬼だったでしょう? 素地の木彫り像でした。
行者神社前の岩頭より望む龍ヶ城

岩場に立つと正面は樹間に伏見山と左に三角頭の龍ヶ城が見える。由良川沿いのJR上川口付近は未だ霧が晴れていないようです。此処から三岳山山頂へ行けるかも知れない !!と思いながらも三岳神社へ引き返しますが(AM11:05)急な岩場はルートを見誤りやすいので要注意です。一般ルートを辿って途中から喜多参道を野際に下るつもりですが、登りの際に見かけたような道標もなく、 何処かの山(由良ガ岳だったか)と勘違いして、とうとう喜多の登山口「山の家」の直ぐ上の墓地まで降りて来てしまい(AM11:35)野際、仏坂口方面への下降ポイントとなる枝尾根や山腹を捲く道を探しながら登り返して 九丁石仏の先で登山道からは鋭角に杉林の中に下る道を見つけて辿ります。・・・が程なくおびただしい倒木の為藪へ捲きながら下ります。わかりつらい道は尾根を捲き谷筋に沿って竹薮のトンネルの中に通じ、 綺麗に石積みを施した谷筋へ出て来るとやがて、又又道もハッキリしてくると草の林道に飛び出すと入水谷取水施設に出て5分程で七王子神社に着いた(AM11:55)。次は、伏見山の南側・正面の谷あいに真っ直ぐ仏坂峠に向うが 1km程先の集落で終点になる短い府道530号(桑村・雲原線)を辿って伏見(ぶくみ)山に向います。


T-U 伏見(ぶくみ)山 丹波と丹波を結ぶ旧街道は遍路道    2001年10月27日

七王子神社前から目指す伏見山ですが登路は分かりません。 正面集落の道は仏坂峠に続いていますので峠から尾根を辿って伏見山へ、もし途中で山頂への登り口が分かれば逆コースで仏坂峠へと決めて野際の集落を後に426号線仏坂口へ下りバス停から橋を渡れば一本道の府道530号線です。人の気配さえ感じられないほどの静かな仏坂集落(PM12:15)を辿りますが、登路を探しながら歩きますが途中から取付けそうな尾根や谷筋の道が見出せず、府道を直進して猪除けの電線を潜り草蒸した林道を進みますが2〜3の分岐ごとに細くなる道は判りつらく、段々と細くなる道は踏み跡程度になり 攀じ登るほどに荒れて獣道のようなところも有ります。
七王子神社からの伏見山
 

じめじめした山道の所々はヌタバになっています。やがて仏坂峠(457m PM12:30)となり少し手前に石仏が祀ってあります。仏坂峠を越えて夜久野の畑と福知山市側は佐々木を結ぶ山越えの道は丹後の加悦(かや)を結ぶ街道で 遍路道でもあったことを素朴な角張った愛嬌のある石仏は語っています。峠は福知山市と夜久野町の境界尾根は明瞭な切り開きはないが点名:仏坂峠(577m)〜589m〜561m〜龍ヶ城への稜線通しには細い踏み跡が続いているようですので、今日予定の龍ヶ城への 別ティク版として此処のルートも付け加えておきます。さて、伏見山への縦走に取り掛かります。踏み跡とも 獣道ともつかない道ですが樹間通しに歩けます。尾根は植林帯と自然林の境にあるので適当に歩きやすいところを選んで進みます。最初の617mピーク(PM12:45)まで時々現われたテープは何だったんだろう ? 肝心の此の先、伏見山へは続いていません。ピークから北に一瞬だけ伏見山のドームの山頂が見えましたが又植林帯の細々とした道を北に辿ります。二つ目のピーク(PM12:55)を下り始めると段々と前方が明るくなり、 忽然と目の前に草原が広がります。
仏坂峠の道標石仏

夜久野側に伐採され切り開かれたところは膝下までの小笹に埋っていますが、小笹の波を掻き分けながら、踏み跡なくてもズンズン進んでいけます。福知山し側の植林帯の間を縫って進みますが山頂手前(写真では緑の杉林に変わる辺り)には石垣として手頃な岩が点在する平坦地がありました。此処が、かつて富久貴山とも呼ばれ奈良時代聖武天皇が、ある夜観音様の夢を見られ、そのお告げにより行基菩薩に、丹後の国へ行き観世音菩薩を祀るよう命ぜられ、後醍醐天皇の天弘・建武の頃に大伽藍のあった長勝寺跡だったのでしょうか??平治の乱 後天下は乱れ、大伽藍も破壊されてしまいました。伏見山山頂(3等三角点 点名 :畑 710m PM1:10)は展望もなく 三角点が埋っているだけの暗い山頂に山名プレートが 2枚ばかり木に掛かっています。草原尾根から望む雄大な居母(いも)山も山頂から、その一部が確認出来る程度。早々に下山に掛かります。此処からは明瞭な踏み跡が、倒れて用無しとなった鹿除けネット沿いに尾根に沿って続いています。
伏見山山頂付近・夜久野側は伐採されて草原状

歩きやすくなったので、つい早足になり何度かネットの網に足を引っ掛けて転びそうになります尾根の左右は見通しの効かない 樹林帯ですので調子に乗って進みすぎ登尾峠に続く主尾根近くまで行ってしまいます。峠から林道が中継施設に延びていますが、そのピークが目の前に見えています。結果からみれば、このまま登尾トンネルまで縦走していれば、 もっと素晴らしい山行レポートになっていたかも知れません。またも引き返しながら最低鞍部と思われる位置(伏見山から二つ目の尾根を下ったところ!!PM1:40)から適当に急斜面を谷に向って下り始めますが、 沢筋に大きな瀬音が聞こえ、谷底も見えない崖っぷちに出てしまったので、木の枝頼りにトラバースして対岸の尾根筋に出ると踏み跡もないが歩きやすくなってきた。やがて沢筋に出て廃道と化した林道の終点(PM1:55)に出て来ます。 背の高い草が茂る荒れた林道を下り続けてます。地図にも載っている佐々木川沿いの道で渋羅谷橋を渡って上佐々木のバス停(PM2:15)に出て来た。加悦(かや)への分岐と蓮秀寺(日蓮宗)の中程です。 国道筋を300m程南下すれば次のバス停・仏坂口でした。帰路の途中にある竹石か新宮からの龍ヶ城は今日は無理なので次回に順延します。


U赤石ヶ岳〜大江山〜鍋塚    H12.05.05

♪昔丹波の大江山 鬼ども多く籠り居て 都に出ては人を喰い 金銀(かね)や財宝(たから)を盗み行く・・・・♪
源氏の大将・源頼光の鬼退治伝説で 有名な大江山はヒーロー・頼光より酒呑童子の方が有名になっていますが、また酒呑童子よりも一の子分・茨木童子 が幼少頃からの伝説で知られていますね。それに大江山には酒呑童子の他にも鬼退治伝説がある事をご存知でしたか。土蜘蛛は大阪・金剛山系にも山陰の土蜘蛛族としての伝説がありますが、最初の鬼退治伝説としては 元伊勢伝説とも絡んで、崇神天皇の時代に日子坐王(崇神天皇の弟)が陸耳御笠という土蜘蛛を退治した話や、用明天皇の時代三上ヶ嶽(大江山の古名)を本拠として英胡、迦楼夜叉(軽足!)、土熊の三人の鬼が暴れ廻っていたのを 麻呂子親王(聖徳太子の異母弟 )が退治した薬師信仰と結びつく鬼退治伝説で、詳細は「日本の鬼の交流博物館」で紹介されています。酒呑童子伝説の山へ鍋塚への林道入り口がよく分からないまま 終点の鬼嶽稲荷に、朝早なので氷上郡 (現:丹波市)山南町からは1時間余りで着いてしまいました。10数年前のこと(当時は登山から遠ざかっていましたが)息子と二人ドライブで此処の展望所に来てユーモラスな股除き鬼がおり、 その横で同様の格好で写真を撮ったり鬼の洞窟まで往復したことがありました。彼が高校生の頃です。良く親に付き合ってくれましたが、今は其の息子も・その鬼の姿もありません。 鍋塚からの計画ですが登山としては 初めてのコースですが、時間に制約もなく、自由に歩き回るつもりです。有名な山なので皆様は既に登られているか、ガイドブック等でも御存知でしょうから詳細は省略します。

鬼嶽稲荷(AM6:10)〜千丈ヶ嶽 (大江山833m AM6:35)到着。 西の赤石ヶ岳への草原状の尾根が気になります。福知山市側から延びてくる林道に出てから大江山憩いの家に続く稜線を往復することにします。肩から赤石ヶ岳への上りは大江山からの遠望とは裏腹で、 その姿に似ず、なかなか厳しい登りとなりますョ。露岩を越え、笹のトンネルを抜け藪漕ぎ状態の山頂直下 しかし眼前の三岳山を始め展望はすこぶる良好です。赤石ヶ岳(3等三角点 736m AM7:25) ここへは簡易モノレール?でも登ってこれますネ。千丈ヶ嶽に引き返して(AM8:30)鳩ヶ峰〜鍋塚鞍部(林道終点)から鍋塚山頂 (763m AM9:30)〜池ヶ成公園分岐を経て鬼の岩屋(展望台があり 加悦谷方面が見渡せます)を通り航空管制塔のある大江山スキー場と対峙する山頂(AM10:10)まで来ました。 パラグライダー・ハンググライダーのランチャー(ランディング)台が2基設置されていますが利用者皆無 ? スキー場へは3km地点で舞鶴湾が望めます。引き返して鍋塚からの林道を下りますが途中の枝林道が近道かと思い辿りますが????単に鳩ヶ峰を巻くだけの道の様で林道終点からは縦走路目指して藪漕ぎで・・・鳩ヶ峰 500mの標識に出てきました。(AM11:50)10分で千丈ヶ岳山頂です。(鬼嶽稲荷から鬼の洞窟へ下る途中で左への道は大江山への冬季登山ルートですが、この道を利用して目の前の秀峰空山717mへ登れるかもしれません)。


V金鶏伝説の山城  龍ヶ城 (たつがじょう)    H12.05.05

大江山から下山後は、少し時間が有りますので夜久野町へと国道9号線のトンネルを抜けます。井田の交差点を右折して小畑川に沿って北方して田畑の広がる 長閑な山間の集落を抜けて小畑の公民館を目指します(PM1:50)。公民館前から壊れそうな?橋を渡ると苔むした古い石段の続く仁王門のある参道が神通寺薗満院へと導きます。別名:アジサイ寺は 伏見(ぶくみ)山にあった「富久貴山<伏見山の旧名>の観音様」を南北朝期に丹波の武将・荻野朝忠によって此処、龍ヶ城山麓の円満院を建立して祀っています。 寺へは左から行くようですが右手正面の石段道の良い感じの参道ですが、途中の前後でシシ避け電線をくぐりますので興ざめです。寺の右側に続く草むした地道が続き、そのままシシ避け電線をくぐり古い短い林道へはいります。 林道終点からは谷を渡り植林された道は、荒れた細い消えそうな踏跡がジグザグに続きます。急登の連続ですので登り返しの踏み跡に注意が肝要です。稜上に出たところが笹場峠(PM2:20)です。 一体の地蔵像(安政3年<1856>)と石碑があり、こんな急な峠ならどこか別の迂回コースは無かったかとも思います。古道の雰囲気ではありません。左へ続く稜線上は道は下佐々木集落へ出ますが、 仏峠を経て伏見山へと縦走出来そうです。右への道は此処から、なをも急坂の登りが続きます。

?等三角点の龍ヶ城 (646m PM2:40)には先の?跡の大きな穴や木造りの朽ちかけた展望台 ?(小屋跡)があり壊れた梯子を登ってみますが相変わらず展望は東を除いて望めません。先ほどの急斜面を登り切ったところで地元の中年登山者 (私もそうですが)と合いますが、先様も此処で登山者に合った事をびっくりされていました。それ程に不人気な山なのでしょうか?。往時を引き返し笹場峠でこの登山者に追いつきましたが、金鶏伝説や、それを探す為、 地元青年団が掘ったと言う山頂の穴のこと等、彼らとの会話の中に出てきた話です。遠望する気になる山についても聞いてみます。西に対峙して 居母(いも)があるのです。彼の登山者も昔スキー登山で登ったとのことですがコースは覚えておられませんでした。居母山への登路は、およそ見当が着いてきましたので次回挑戦。 三岳山や粟鹿山への登山コース等を案内して分かれました。





竜(たつ)ヶ城
 龍ヶ城 646m  福知山市一ノ宮 天田郡夜久野町畑

竜ヶ城は佐々木谷と夜久野ヶ原の間に聳える山の頂上にあり、南北朝期・丹波守護職が仁木頼章の時、建武4年(1337)〜康永2年(1343)と高師詮の文和1〜2年(1352−3)にも 丹波守護代を任じられた荻野尾張守彦六朝忠の古城です。彦六は荻野朝忠の幼名ですが荻野一党の先祖で 弘浪山の高山寺を城塁化して、丹後・若狭にまで勢力を張っていました。
歴史的詳細不明ですが天文年間(1532〜1555)の頃には阿富之経という人物がこの城に拠って威光寺を再建した旨、 「威光寺文書」に記されている。 
荻野氏の居城で赤井悪右衛門(氷上郡・黒井城)との戦いに敗れたとのこと。 (赤井悪右衛門直政も荻野姓の叔父がいる)山頂には数段の広場もあり土塁跡らしきもの、 井戸跡か?此れはどうやら、荻野氏が落城の際、財宝・金鶏(金の鳥居だったかも?)を埋めたとの伝説が有り、地元の青年が探しに行ったとの話があり、その掘削した跡なのでしょう?!!!!!!!!。 登山口の恵日山:神通寺円満院( あじさい寺)は、ある夜・荻野朝忠の枕頭に現われた老翁の「富久貴山の観音様を再興せよ」とのお告げで現在地に建立されたもので寺の願主・朝忠の位牌も此処に祀られています。 富久貴山とは福知山市の伏見(ぶくみ)山のことです。
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