亀岡周辺を新春に訪ねて  三郎ヶ岳/三頭山/千歳山/ 御影山城(出雲城)  
京都・丹波の山 (五万図=京都西北部)
T.出雲大神宮〜三郎ヶ岳  2000年01月08日
U,星峠〜三頭山〜鎌ヶ岳  V,千歳山 2000年01月08日

V出雲大神宮〜御影山城  2003年12月23日
御影山城本丸西の石塁
近畿の山城 : 御影山城(出雲城)
校歌・故郷の山 安詳小学校  ♪千歳の山を仰ぎつゝ保津の流れを結びつゝ♪

亀岡市の北方・京都愛宕の山塊の西に、三郎ヶ岳から牛松山(丹波富士)へと南北に延びる山塊がある。愛宕山から北へ尾根を辿れば 地蔵山さらに三頭山から鎌ヶ岳への稜線が京北町に延びていきます。鎌ヶ岳とはR477号線を隔てて千歳山があり、いずれも余りハイカーに知られていない山域の小山を繋いで登ってみます。先に嵯峨越畑から地蔵山 〜竜ヶ岳〜愛宕山を歩いているので、その周辺の山探訪の意味も含めて正月登山はお目出度く能勢側からは「万寿越え」で亀岡へ・縁結びにはとっくの昔に縁はなくなっていますが、その縁結びの出雲大社の元出雲 「丹波国一之宮・出雲神社」に寄って、近くの人名山・三郎ヶ岳と最後に低山の千歳山を稼いで帰途につきます。


京都丹波の山を新春に訪ねて三郎ヶ岳/三頭山〜鎌ヶ岳/千歳山   H12.1.8

T出雲大神宮〜平野〜三郎ヶ岳(614m)     亀岡市

嵐山の保津川を遡って行くと亀岡市街地を流れる桂川 (大堰川)の北方に丹波富士(牛松山629m)の姿を望むが、 今の時期は朝10時を過ぎても霧が晴れず山影は勿論、山裾も見えません。摂津方面からR423号を亀岡市側へ「万寿越え」明智の戻り岩附近の峠を下り始めると霧が立ち込め始め法貴・曽我部へと亀岡盆地へ入ると フォッグランプ点燈が必要な程深くなるのは毎度の事です。
丹波一の宮出雲神社

車載ナビも地図も持たず、山並を目で追っての山探しは無理なので判りやすくて、新春には御目出度い場所へ…先ず千歳山の名が浮び、そして向うのが元出雲(出雲大神宮)の丹波一の宮出雲神社です!!。亀岡市街から9号線を走り千代川で右折して大堰川に架かる月夜見橋を渡れば 案内板を見ながら出雲神社を目指し、大駐車場をお借りして此れより出発します。
丹波一の宮出雲神社から御影山城 H15.12.23

登山口は上杉口バス停付近の竹藪の先、小さな橋を渡ってすぐ谷に沿って民家の横を直上しますお寺への広い参道のような道です。 (注)竹薮手前で集落の中へ入っていく道は、間違いで墓地を経て林道終点からの取り付きは不明。 急な崖状の谷より獣道を詰めて藪漕ぎで尾根に出 ?林道からの道に合流します。私は間違ってこの道を採ってしまいました。 ここでは久しぶりに「ピークハンター堀内」のプレートが、此処では親切なルートガイド付き案内板が有ります。


U阿祇園寺 〜星峠⇔三頭山〜鎌ヶ岳  下区〜星峠〜三頭山〜鎌ヶ岳へ

出雲神社へ戻ると今度は八木町の西田の大日寺を目印に走ります。此処で右折して477号に出て左折して廻り田池に着きます。 下区のドンドン橋の少し先で右手の林道へ入りますと阿祇園寺前を経て星峠(峠 いい名前ですね)に続きます。峠には林道記念碑と休憩小屋?があり、林道と分かれての稜線の道に入ります。 (集落の手前・廻池のコースが分かりましたら池の西端に観光案内板の有る駐車場があるので登山には便利です)

三頭山(みつづこやま 728M)頂より直進して芦見峠へ下る林間の道は MTB向きの快適コースのようです。〜星峠〜 芦見谷?への三ツ辻を左へ三頭山〜元の三ツ辻へ戻って少し元来た道を戻り、途中から細い踏み跡を辿って別荘地へ降り、これよりは人気のなさそうな鎌ヶ岳に向かいます。 星峠からの林道に出て少し下り左手の作業道を見つけて立ち入りました。伐採されそのままの杉の枝に行く手を阻まれながら、適当に稜線に這い出て細い踏み跡を辿ります。

鎌ヶ岳(623m)は 余り知られた山では無いようで、テーピングを所々で見かけますが随分古いもののようです。山頂は藪の突き当たりの小さな切り開きのスペースの中に三角点が顔を出しています。これより先、古いエリアマップにある 破線道は藪に帰って見当たりませんので星峠に引き返します。


V 神吉集落〜千歳山    上区集落から千歳山へ

477号線を外れますがこの先すぐでもう一つの山・千歳山に向かい天若ダムへ北上します。上区から民家の間登り口を探しますが、車からでは分かりません。 そのまま集落中を抜けてダム方面の広い車道を(進入禁止の立て札有り)今の時期ですし、ほんの少し先に行ってみるだけですのでご勘弁を・・・最後の民家の裏手に林道を見つけ、これを辿ってみることにします。 千歳山山頂(622m)は展望の効かない林の中。四方を金網で囲った空き地は、反射版か何かの建設用地でしょうか?



 御影山城(出雲城)

御影山城(出雲城・出雲山城)  御影山(御蔭山) 335m   亀岡市千歳町出雲

亀岡市の北方5km・JR千代川駅の東3km地点に元出雲大社の”丹波一の宮”出雲神社があります。 三郎ヶ岳(614m)から南へ派生する尾根の途中・510mピーク附近から西に延びる枝尾根が出雲神社の背後に迫る西端近くのピークの下方には深く長い二重の堀切で尾根を切断し、尾根に沿って7〜8段の顕著な削平地を残す山城跡があります。
御影山城主郭1段下の帯曲輪

出雲神社から望む(此のページトップの写真参照)穏やかな山容からは想像出来ません。山中へ入ると巨岩が随所にあって傾斜の増す尾根近くには露岩が点在しています。 此処に山城があったことは、 丹波八木城の内藤氏関連から三好長慶関連に行き着きますので"池田の勝正さん "や"つい先日・北河内の飯盛山城案内でお世話になった"まよいのすけさん "其れに此処の城主となった柳本賢治では"YORIさん"もご存知ですね。
御影山城帯曲輪内の井戸跡


城址は出雲神社の背山にある御影(陰)山(御山 335m)と呼ばれる御神体山にあって、境内周辺の多くの巨岩には神々を祀る注連縄が飾られます。此れ等は出雲石と呼ばれ愛石家の間では 有名なようですが、溶出したマグマが地表で固まったような黒ッぽい岩が庭石や観賞用になるのかと素人の私には意外な感じがするのですが。本殿前には御影山から湧き出す「真名井の水」を求めてポリタンを持って 平日も訪れる人が絶えず、行き帰りに見かけた取水場は順番待ちでした。さて此の上手から神々を祀る岩場巡りの参道を経て城址へは大手道と思える山道を入るには、此処が神体山ですので本来なら「入らずの杜」かも!!…御影山(御蔭山)は信仰心無では立入り難い感じです…敬虔な気持で !!不敬にならないように。丹波一の宮出雲神社は元出雲・出雲大神宮と呼ばれる島根・出雲神宮の本宮だとされます。
本丸2段下の石列は平虎口跡か?

縁結びの祭神・大国主命と三穂津姫命が祀られます。大国主命は沼地だった此の地一帯を保津峡を切り開き、 水を排出して干拓した丹波の国造り神としても祀られます。出雲大神宮から極楽寺へ通じる林道だろうか?山に向う丁字辻にも注連縄をした大きな磐坐がある。暫らく辿る山道の分岐はどちらを採っても急斜面となって 攀じ登る状態になると踏み跡も消えてしまいます。 冬場で藪が薄い上に露岩が多いので傾斜はキツイが登り易い。しかし此れ程の険しい山の尾根に城が築かれたのかと驚かされる。永正年間(1504-21)末期には八木城 (船井郡八木町)の丹波守護代・内藤備前守国貞(弾正忠・)の出城として柳本伊予守賢治が拠ったとされます。 内藤国貞は細川氏綱や三好長慶に与力し天文22年(1553)木目城(神尾山城)において討死します。その後は篠山・八上城主・波多野元清が細川高国に味方して 丹波一円に勢力を拡大していたので、波多野氏の出城となったとの見方が出来るのかも・・・!!??。
本丸東の空掘りと土橋

「桑下漫録」にも"西南二方は壁立にして直上は山獣にても不可登…もし一足過まれば谷底まで止事なからん…"と記されている天険自然の要害の地。柳本賢治は享禄3年 (1530)播磨で討死しており、その後は丹波守護代内藤国貞の支配下に置かれ広瀬但馬守等が拠ったと考えられます。東方から西端にのびる尾根上に階段式に曲輪を連ねる御影山城はその東上部へ続く尾根を深く長い二重の堀切で 断ち切って土橋で繋いでいます。東西に長く深く掘り進んだ二重の濠は堀切というより武者隠しを兼ねた空掘のようで、 二つの空掘りに挟まれるように出丸が配されています。本丸から北方へ3段、西方へ6段続く曲輪は 何れも比較的よく遺構が残り井戸跡や石塁、土塁も見られます。
(日本城郭大系・新人物往来社 を参照)

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