北攝/東海自然歩道と岡山林道  ポンポン山〜出灰....琴平山〜高ヶ尾山
大阪・北攝  地図(京都西南)
山行日 2001年12月01日 神峰山寺〜加茂背山 (ポンポン山)〜釈迦岳〜一休禅師史跡尸陀寺跡
                 岡山林道〜コンピラ山〜高ヶ尾山〜萩谷〜神峰山寺
近畿関西の百山:
ポンポン山

  
神峰山寺・光仁天皇(分骨)を祀る13重塔

役ノ行者ゆかりの神峰寺から加茂背山(ポンポン山)へは東海自然歩道が北東の西山・善峰寺(西国薬師霊場第20番・遊竜松で有名)へ通じ、川久保集落からは川久保尾根を釈迦岳に、また釈迦岳からは大沢へ大阪環状自然歩道と ・・整備された歩きやすいコースが多く、何度か訪れていますが、まだ出灰(いずりは)へ下った事が無いので今回はその出灰にある一休禅師史跡(尸陀寺跡)も訪ねます。私の山行では一休禅師の言葉 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道になり・・・迷わず行けよ 行けば分かる」をよく実践しますが、はたして・・・今回もそうでしたが、思った処へは出られず、 思わぬ道を辿ります。頓智で切り抜けられれば良いのですが、知らぬところを迷わず突入して行って・・迷ってしまいます・・・(^^;
ポンポン山から出灰(いずりは)に降りて、 萩谷岡山林道に沿ってコンピラ山と高ヶ尾山を訪ねる今日の周回コースです。整備された自然歩道と林道を辿るコース設定ですがこの時期の岡山林道は一番危険なコースだったかも知れません。 狩猟解禁で休日ハンターには一番手っ取り早く楽な??しかも猪・鹿と獲物の多そうな処ですから。

本名よりも愛称が通じる山も珍しい。加茂背山は知らないがポンポン山なら知っていると ・・・山頂の説明板にもあるように、「頂上に近付くに連れて足音がポンポンと響くことから通称ポンポン山と呼ばれています」・・・が下記の根本山神峰山寺のコンポン山がポンポン山との説もあります。登山口の根本山神峰山寺、北山本山寺(霊雲院)には役行者小角が彫ったとされる毘沙門天像がありますが、文武天皇の元年 (696)役行者が葛城山で修行中に北方に奇瑞(不思議なめでたいしるし)を感じて「五色の彩雲がたなびくのを見て・・・」との説明もありますが、当山に分け入られた時、松の木に衣を掛けて休憩された処といわれる 「行者衣掛松」の枯れた古木が参道の5丁石付近にあり、此処は古くより葛城山や大峰山を遥拝する処でもあり、また此れより上の坂を「あづき坂」と云い忍恵上人終生念仏の旧跡でもあります。
ポンポン山(加茂背山)山頂

神峰寺山や本山寺について及び重文級の寺宝については此処を訪れたとき、案内板等により確認してください。神峰山寺参道(第二駐車場)と本山寺の入り口には勧進掛が有ります。北攝・小柿その他の神社でも見かける勧請掛/勧請縄ですが山門の由緒には 「・・当山を守護する天神地神を勧請祭祀する行事で十二筋のしめ縄を掛け諸天善神の来光を乞うもので・・その長短で社会情勢農作物の良作諸物価の高低を暗示するもの・・」だそうです。 本邦の三毘沙門天とは鞍馬山(京都)と信貴山(大阪・奈良)です。


原立石を基点に芥川を挟んでポンポン山(加茂背山)〜出灰(いずりは)〜空谷橋から岡山林道 (こんぴら山〜高ヶ尾山への槻ノ木グリーンベルト)を萩谷へ出て市後谷林道経由で戻る周回コースですが車を神峰山寺駐車場に置いて出発します。紅葉の名所もいよいよ今年も最後の見納め山行となります。神峰山寺参道入り口の鳥居前には牛地蔵が祀られ「京坂越」の石碑が建っています。「本山寺道」の石碑もあり旧参道が延びていますが、 今この道を辿る登山者も余りいないのではないでしょうか。かつては亀岡・東別院町から地獄谷峠を経て萩谷や原を結んで「京坂越」を経て淀川・前島浜へ通じたルートは西国霊場の巡礼者にも 利用された古道でした。(高槻市のHP等を参項)
神峰山寺の参道

神峰山寺の勧進掛の門の側に第二駐車場が有りますので此れより出発(AM7:45)。先ず神峰山寺に寄っていきますが毘沙門堂への参道は名残の紅葉が迎えてくれます。本堂にお参りして観音堂へ廻ってみますと深紅の紅葉が静かな中にも 13重石塔の荘厳さを引き立てています。仁王門に戻って手を合わせ寺を後に林道を進みます。車道の分岐は今回は直進しますが(AM8:00)右下へは際面ヶ谷林道で川久保へ出ます。本山寺駐車場(AM8:15)から始まる急坂道も 道路拡張工事が始まったようですが、僅かの距離で車参詣と駐車場を何処にと要らぬ心配も…してみます。五丁石の少し先にお堂(休憩所)がありますがその手前左手の祠が「行者衣掛松」です(AM8:25)。由来はレポートの冒頭に案内しています。正面に黒い山門が見えてきます。山門には神峰山寺参道入り口の鳥居にもあった勧進掛が有ります。本山寺(AM8:40)の石段を登りきると本堂(毘沙門堂)があり参詣を済ませてから、右手から尾根を辿るポンポン山への登山道を採ります。本堂裏手から急斜面を左の谷へ注連縄のある道が降りていきます。行く先に幾つかの行場が有るようです。
岡山林道からのポンポン山

東海自然歩道合流してすぐに杉の大木・天狗杉(高槻の古木)が目に入ります。愛宕山や加茂背山を飛び回る天狗伝説がありますが、三田の千丈寺山や井谷山にも同じ様な天狗伝説が有りますので千丈寺山でも登った時には、そのお話をレポートに添えるつもりです。道が良く、高低差も無いコースはMTB初心者向けの快適ルートです。ポンポン山の手前と釈迦岳への途中には川久保渓谷経由で川久保へ下るルートも有りますのでバリエーションルート計画の方には一考ですね。ポンポン山山頂(本名! 加茂背山 2等三角点 679m AM9:25)に着きます。 北攝では剣尾山か此処しか思いつかない程の人気コースですが未だ誰も登って来ていません。役行者ゆかりの寺と山ですので隣の釈迦岳へも往復します。東海自然歩道が善峰寺へと下る分岐には送電線北河内線の赤白鉄塔が建ち展望も有り休憩には良さそうです(AM9:37)。 釈迦岳登り手前では水無瀬川から大沢へ下方する大阪環状自然歩道を見送って、今はロープまで用意された短い急な登りで 島本町の最高峰釈迦岳山頂(3等三角点 631m AM9:50)に着きます。展望も無くポンポン山へ引き返し(AM10:10)三角点から北へ下る続く山道は時折、小塩山や明神ヶ岳等が姿を見せる植林尾根でポンポン山への最短距離コースです。出灰最奥の集落に降りてくると、お堂が目につきます。頓智話で親しまれる一休禅師の尸陀寺跡です(AM10:35)。
尸陀寺(しだじ)跡(一休禅師史跡)

室町時代中期・一休禅師【応永元年(1394)〜文明13年(1481.11.21)】が開創した草庵(尸陀寺)跡と伝えられる。 一休は南北朝を統一した後小松天皇の子ともいわれる。6才で仏門に入り大徳寺で修行を積み、禅を易しく説いて大衆化に務めた。書画・狂歌などにも優れ「一休法語」や「狂雲集」等の著書もある。一休がこの地を訪れたのは嘉吉2年 (1442)49才の時といわれる。晩年の一休は兵火に焼けた大徳寺の第48代住持として同寺の復興にあたり文明13年(1481)京・田辺の酬恩庵「一休寺」で88才の生涯を終えた。(高槻市教育委員会 他参項)
出灰川に懸かる鬼語条橋を渡ると車道を左折して清流に沿ってのみちは「せせらぎの里」を経由して6号線(枚方亀岡線)出灰のバス停(AM10:55)に出て県道を空谷橋(AM11:05)まで歩きます。
地獄谷峠

空谷橋から始まる萩谷岡山林道は高ヶ尾山(点名:萩谷)と琴平山(点名:岡山)の名を採った名前なのでしょうか?空谷橋から萩谷集落まで約10Kmの林道は明智越え(全線舗装の田能林道が送電線鉄塔No705付近で岡山林道)と合流する。近畿のオフロードツーリングでは知られた存在で、 昨年2月に此処を訪れた時にもオフライダー達が「地獄谷峠を通って…」などと話していたので、行けなかった高ヶ尾山(地獄谷峠から直ぐでした)へも足を伸ばします。林道は最初のカーブの先で落石等により通行止となっています。 長い林道歩きの始まりですが、結果はハンターもいない平穏な静かな山旅とはなりました。不法廃棄の目立つ林道です。途中に林道タビラコ線の分岐(AM11:25)を経て田能からの前面舗装林道(明智越え)のゲートと合流(PM12:00)すると直ぐに峠状の鉄塔No705に着き、ここからコンピラ山への稜線歩きとなりますが植林に囲まれて展望を楽しめるところは少ないので 登り始めに拡がる西面の湯谷ヶ岳・鴻応山・霊仙ヶ岳等の展望を楽しんでから植林の中の道を進むと程なく道が分かれる。…といっても直進の登りは直ぐに石の手水鉢を見て小さな鳥居を潜ると荒れた祠のある金毘羅宮に着く(PM12:10)。
林道原桧尾谷線からの高ヶ尾山方面!!?

閑散とした広場だが見晴らしも無く 落ち着いて休める雰囲気のところでも無いので先の分岐へ引き返し一路、琴平山を目指しますが、踏み跡は段々薄くなり鞍部付近は雑草に隠れるよう・・・山頂近くなるとハッキリしてくるが以前ほどの展望は無い。 琴平山(3等三角点 561m PM12:20)山頂から南へ辿る稜上の山道を進みますが道の良いので!!!!ついつい南へ進み過ぎたようです。岡山林道目指して戻り気味に踏み跡も無い谷を駆け下ると呆気なく林道に降り立ちます。 荒れた未舗装の林道ですが、バイクの轍が残ります。岡山林道はオフライダーに人気の林道と聞いていたので疑わずにドンドン車道を下りますが行程が長過ぎます。目指す次の目標・高ヶ尾山が同定出来ません。 道端に「林道原桧尾谷線」と書かれた古い標柱が捨てられています。ガイドも地図も無いので間違いに気も付きません。いつのまにか耕作地が現われます。その耕地の上部に高槻市の道標を見つけて谷を対岸に渡って確認すると「地獄谷峠」への標識です。ヤッタ…この坂道をしばらく登り続けると地獄谷峠に出てきて本当の!!岡山林道に再会します(PM13:40)。 後で分かったのですが私の辿った「林道原桧尾谷線」は全線舗装!?の岡山林道を繋いで明智越えへと通じている街道でした。今歩いてきた「林道原桧尾谷線」からの道こそが地獄谷峠を経て亀岡に至る街道で神峰山寺参道鳥居前を通って 淀川へと通じる「京坂道」だったのです。地獄谷峠道標の車道向かいに山に向う道が延びています。
高ヶ尾山

直ぐに下草で埋る足元を分けて高みの尾根に向う道と、左方向へ向う水平道となりますが正解は後者です。テープの矢印を見誤り直進しますが道は急に細くなります。 奥にテープも確認でき進みましたが最高地点迄来ると何もない・・・後は下降するのみ・・・!!元へ引き返すのも癪なので尾根伝いに進むと明確な広い道が真っ直ぐに頂に伸びているのが見えます。薄暗い感じの植林帯の平坦地で行き止まり !!?? 此処が高ヶ尾山山頂(3等三角点 481m PM14:05)ですが長居出来る場所でもなく地獄谷峠へ引き返します(PM14:20)。この周辺でハンターに出合わないのが奇跡だったかと・・(~0~)  先のピークへの道では猪のラッセル跡や鹿の足跡も・・・有り。車で入りやすく集落からも適当に外れている休日ハンター!!??にはお誂え向きのエリアのようですが・・・・・峠からは正規・岡山林道を萩原へ抜けます。 集落の最奥へは左手から工事中の林道が降りて来ています。この林道も「原桧原谷線」の林道に繋がるんでしょうね。神峰山寺参道へ戻る為、萩谷から(PM14:30)市後谷林道を摂津峡入り口の下条橋 (PM15:20)を経て原立石に出て駐車場へと戻ります(PM15:40)。
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