金剛山と葛城山 / 金剛の谷 (妙見谷・石ブテ東谷・丸滝谷・高天谷)
大阪・奈良 (地図=五条)
楠木城・妙見谷〜金剛山(国見城・葛木岳・湧出岳・千早城)〜
青崩・天狗谷〜大和葛城山〜水越峠==上赤坂城 2001年05月12日

金剛の谷・妙見谷〜金剛山〜かたくり道〜細尾谷 2001年09月24日
金剛の谷・石ブテ東谷・丸滝谷〜大日岳〜高天谷〜金剛山2001年10月13日

金剛の谷・石ブテ東谷(左俣)勘助屋敷〜太尾塞城跡〜青崩2003年8月30日
葛城高原の一目百万本ツツジ大群落と金剛山

近畿・関西の山100金剛山・葛城山
近畿の山城 :下赤坂城 国見城 上赤阪城 千早城


二つの葛城へは二つの谷と今年見納め三つの花と四つの山城を巡る、懐かしい思い出に再会の山行です金剛山の国見城址では金剛桜が満開。下赤阪城址に寄ってから葛木岳へ直接突き上げる妙見谷を選び、ちはや園地では見納めクリンソウをカメラに収め、帰りには猿背を下って千早城址へ。 葛城山へは青崩から天狗谷へ、旧道の水越峠まで駐車の車の列が続いているだけに葛城高原のツツジに期待が持てます。千早赤阪村から309号線に出る手前で上赤阪城址の案内板を見つけたので帰りに寄ってみました。
高天谷の大滝12m

低山徘徊派の金剛山オフとミニオフには、 金剛山の主!!河内の法香さんや、五條市のフェアレディさんの入念な下見による安全・確実・余裕の山行は、楽しさも幾総倍約束されています。低山徘徊派関東支部!?のつむぎさんの・関西の山訪門を請けての歓迎ミニオフには、 入会一年にも満たない新参者なので少し遠慮。金剛山の入山規制のこともあり、気になる谷と尾根を今のうちに訪れて、山頂でのオフ・MLメンバに逢えれば良いかな…程度の軽い気持。野趣溢れる素朴な沢歩きを大阪側から丸滝谷、 アニメのトトロが出迎えてくれる奈良側から高天谷を尋ねます。金剛山一(私の行った谷のうちで…の意味ですが(^^;) の名谷ですね。


金剛桜の国見城とヤマツツジ満開の葛城高原
楠木正成挙兵の城〜金剛山〜湧出岳〜有名な!奇策の城へ   H13.05.12  

国道309号を走るのは何年ぶりのことか、富田林市に入ってPL塔や金剛・葛城の峰を正面に見て懐かしい・良く通った滝谷不動尊からの道と合流すれば、千早川を渡り 金剛ロープウェーの看板を見て右折して府道を走ります。朝市で賑わう?!千早赤阪中学校のバス停脇に赤阪城址の石碑を見て一寸寄ってみます。私は此処に駐車スペースが確保出来ず少し先の富田林消防署千早赤阪分署前に 案内板とスペースが有るので此処から戻ります(AM6:05)。 中学校の学舎と体育館!の間の道を抜けると学校裏手の農道に出ますが此処甲取山に下赤阪城址(赤阪城址 )の案内板と石碑が建っています。みかん畑が広がって前方の宇奈田川を天然の堀とした要害に見えます。
下赤阪城周辺は棚田100選の一

農道に沿って南へ田圃が続く畦道の南端は広い畑だが、 一段低くなっており二の丸か三の丸か(南北朝期でしかも急遽築城された城ですので、其処までの構築は疑問です)最高所が本丸跡でしょうか。城址周辺は「下赤阪の棚田100選」に選ばれており中学校から農道を府道に下る途中にも 写真のような風景が飛び込んできます。府道と千早川を挟んだ対岸も棚田が続きます。府道へ(AM6:30)もどって千早の登山口へ向います。予定は妙見谷だが付近に駐車スペースは無いし鱒つり場周辺は有っても有料駐車場です。 空き地を2〜3知っていたのですが最初のスペースは廃車が一台横付け、他のスペースは先約有りでその次のバス停先のスペースに置いて戻ります(AM6:45)。

妙見谷の入口は喫茶・お土産「ウッデイ・ハート」のすぐ下手 妙見谷橋から遮断機ゲートの林道に入ります。コンテナボックス利用の小屋が見えればモノレール軌道に沿って妙見尾を辿って金剛山に向うコースです(AM6:50)。さらに進めば谷の下方に小屋が見えて堰提横に出ますが此処から 谷に伸びる道に入って遡行開始です。とはいっても登山コースが 並走しているので滝登りも不要の夏向きルートですね。直に現れる斜瀑とナメを右から越して3〜5m滝が連続する小ゴルジュを抜け数段のナメ滝の先で見覚えの妙見滝の前に出た(AM7:10)。初めから遡行するつもりは今回が最初。 二度ばかり訪れたが何れも谷沿いの道。登山道は随分荒れて危険なほどの場所もあるとの大加茂さん{千ヶ峰}指摘の場所は谷の遡行中に気づきませんでした。此処かな?と思う場所はありましたが撤去整理されたのでしょうか。
湧出岳

妙見滝からはU字状の溝が続き小滝が連続する。比較的大きな6〜7m滝も直上していけるが 濡れた岩は滑りやすく、軽登山靴では不安定なスタンスよりも確かなホールドを拾ってこなします。もっとも難しい滝にはフィックスを利用させてもらいます。ガレ場が続き水も枯れる頃には朝日に映えるブナ林に入り千早本道と 合流するゲートに出て 転法輪寺の社務所に着く(AM7:50)。既に登山回数を競うスタンプ待ちの列が社務所前に続いています。ひさご池(天正13年秀吉が片桐且元らを伴い参詣したおり掘った瓢箪型の池)前を通り転法輪寺に参詣して 右手から葛木神社参道へ出て夫婦杉を見る。今年最後の花の見納め山行は一つ目のクリンソウですので葛木神社に立ち寄ってから(AM8:05)ちはや園地に向かいます。参道に引き返し仁王杉 (樹齢約500年)前下ればダイヤモンド・トレ−ル紀見峠分岐の鳥居へ出て少し先でロープウェー乗り場への道と分かれて左手の林道は直にマイクロウェーブ塔に着く。

その手前左手のはずれに葛城第21経塚があります。 役行者が16歳のときこの山で修行して、友ヶ島から二上山の亀の瀬までの峰峰に法華経28品を埋めたとされ、此処は21番目の如来神力品をお祀りしてある旨が石碑に記してあります。展望台を挟んだ反対側に湧出岳 (1,125m AM8:15)一等三角点標が見えます。そのまま直進し坂を下れば樹氷メッカの巡礼コースに出て、ちはや園地上の展望台(AM8:25)。実に展望素晴らしく北に鳥見〜貝ヶ平山・西に岩湧山や龍門岳・とりわけ東の高見山や南の護摩壇山、 伯母子山、弥山の山々には夫々の思い出があり懐かしく遠望を楽しむ。園地の一角にクリンソウが今年最後の容姿を咲き誇っています。石楠花も負けず淡いピンクを覘かせているが 赤いヤマツツジは未だ蕾ふくらむ程度です。香楠荘の前には 「星と自然のミュージアム」なる施設が出来ていて遊園地化が進んでいるようです。史跡国見城へ戻ります。金剛山最高峰の葛木岳は葛城神社神域の為、いまでは国見城址を一般には 金剛山山頂となっているんですネ。金剛山頂の大きな看板の建つ広場入口の金剛桜は今満開の時を迎えてる(AM9:15)。猿背を下る千早本道は一本木茶屋 (AM9:35)や途中・五輪塔を経て 千早城址への分岐まで長い長い丸太の階段が続きます。
クリンソウ

(AM9:45)千早神社に着きますと此処は千早城の本丸跡で石碑が建てられていますが話し好きの愛想のいい茶屋のおばあさんがいる広い三の丸へ出て一休みします。やっと開店準備が終わったところです。 茶屋側から西方には関西空港が見えます。何年も前から立ちんぼ兵の人形脇からは金剛山(赤阪城塞群の総指令等の国見城址)が見えます。急な500数段の石段を下って(AM10:00)登山口のバス停へ降り、鱒釣り場先の駐車位置へ戻り (AM10:10)今が盛りの葛城高原のツツジを尋ね水越峠へ向かいます。東阪から水分に通じる広域農道途中で上赤阪城址への案内板を見つけ、葛城下山後の楽しみとします。309号線の青崩(あおげ)集落端の駐車予定場所から 水越トンネルと別れ水越峠に至る車道片側は駐車中の車の列が続きます。葛城高原のツツジ園の盛況ぶりが伝わってきます。駐車場手前付近でやっとスペースを見つけて車を寄せます(AM10:30)。青崩の天狗谷へ向う為登山口の下の橋へ戻ります(AM10:45)。本来なら此処から出発するところです。過去の山行は何時も1〜12月と冬場ばかり。 葛城高原も一番華やかなツツジの5月には今まで訪れたことが 無かったので、今日の二つの葛城巡りとなりました。集落の登り始めで声をかけられます。少し先の三叉路では正面から戻ってくる人に会います。
金剛桜

登山者も多く又コースを間違える登山者も多いようだ。私も当初は田畑の中を通り山道に入るまでに 一度不安になり戻り直した経緯も有ります。谷筋に沿って登るだけで滝登り等遡行の醍醐味はないが大和葛城山へ直上する数少ない谷ルート。過去冬場しか経験無ですが露岩通過に一箇所鎖場があり、岩が凍ったり濡れているときは安心。 今もハイカーの利用が多いコースなんでしょうね。途中の水場もありがたい。やがてコースの中間部の尾根に出ますが丁度青崩・葛城山1.7Km地点の尾根は道も広くなり風も心地よい。雑木の新緑が杉・桧の植林に変る頃は 以前の荒れた谷筋の彼方此方に付けられた踏み跡は無くなり一本の道となって続いている。弘川寺への一つ目の分岐(AM11:30)を過ぎキャンプ場へ続く二つ目の弘川寺への広い道に出ればビジターセンタは直ぐ其処。 変っていないのは捨てらた廃車のJEEPの残骸だけになったようです。

懐かしいので休憩がてら葛城山を紹介するビジターセンタに入ってみます(AM11:40)。センターを出てまるで縁日で賑わう門前の露店の間を抜け 葛城山頂へ出てみます。 山頂からはロッジへ降りず山頂から直接高原迂回ルートの尾根を下ってみるが、こちら側はツツジも少なくカヤトの中なので秋向きルート?廻り込んでロッジ目指して上り直すと展望が開け、 ヤマツツジの木々と人・人・人が目立ってきます。 金剛山をバックに南斜面に一目百万本のツツジの大群落を楽しめる。自然ツツジ園内を散策して高原の山肌を紅赤色に染めるツツジの群落を全景にして浮かび、聳える金剛山の姿をカメラに収めて水越峠へのダイトレ道を下ります。下山(PM12:45)此処からは説明不要、 コースは迷うほうが難しいコーですので省略し水越峠(PM1:08)に降り駐車場所に戻る。309号線を千早メモリアル先で左折し上赤阪城址の看板が目に府道207号に入ります。 なにせ楠木正成の本城で国指定史跡にもなり「太平記」でも奇策の糞尿編は有名ですから千早村も力を入れてPRしているのでしょう。ただ何箇所も異なった入り口に表示がある為、地図を持たず地形等で位置が判断出来ない 普通の探訪者は迷うことしきりと思われます。二河原辺(にがはらべ)橋の北側(集落側の交差点)の車道を入りやすいが、南側(金剛山側)の左折が往復するなら正解上赤阪城址(楠木城)登山口には駐車場と 案内看板が有ります(PM1:35)。標高350mにある自然の険しい地形を利用した鎌倉時代後半から南北朝期にかけて活躍した楠木正成の築城で多勢の鎌倉幕府軍に奇策の糞尿を放ちかけた話等は何処かで聞かれたかも …勇敢に奮戦したが水路を断たれて陥落しています。一の木戸に案内板が目の前の5基の石仏の並ぶ横を四の木戸までに何ヶ所かU字状の道を進みます。中世の平城の城門から城門を結ぶ高塀の中を進む感じです。 本丸までには四つの木戸跡(城門)や二重の堀跡、曲輪跡や二の丸、本丸、竪堀等が見られるが近世の城のような石積による顕著な遺構が無いので興味の薄いところですが、その気で見れば本丸側より踏み跡程度で 荒れた二の丸(東の城)の方が私は興味深く、も一度訪れたいところです。千畳敷と呼ばれる山上の北端が上赤阪城址本丸で赤阪山山頂(340m PM1:55)には石碑が立ち富田林市街方面に展望開け葛城山が大きく望まれます。 ゆっくり駐車場に戻って(PM2:20)西宮へ帰ります。
葛城地方には古くから土蜘蛛族という土着民が居ました。胴が短く足が長くそれに尻尾まであったといいます。その土蜘蛛(賊軍)が 付近を暴れ廻るので征伐することになり神武天皇が葛の蔓で網を編んで打ったのが「葛城」の名のいわれで、水越峠を奈良側に下った >葛城古道の通る御所市森脇・中之谷の一言神社の境内には 土蜘蛛を捕らえ、頭・胴・足を三つに切って埋めた墓と伝えられる「土蜘蛛塚(くも塚)」があります。土蜘蛛は、千本の足を持ち時の天皇の悩みの種、勅使が矢で射殺し高天彦神社の近くに埋めたという 土蜘蛛窟は金剛山の郵便道を下った高天に伝わっているがダイトレ縦走路の何処だったかにも大きな古い案内板にも土蜘蛛のことが書かれていたが、これは出雲(島根県)地方の土蜘蛛という解釈だったか?
金剛山の谷 (妙見谷&石ブテ東谷と丸滝谷&高天谷)


金剛山の谷T 低山徘徊派オフの妙見谷〜金剛山  H13.09.24

前評判どおり低山徘徊派オフ金剛山はかつてない程の盛況です。河内のりかさんからは御存知五條の幻の地酒・丹波から遥遥参加のたぬきさんからは恒例の黒豆パンの差し入れが。金剛山HPの納城さんは 家族で案内役をかっていただき、楽しく・またオフならではの有意義な山行となりました。低徘オフの集合時間までに妙見谷の核心部を沢ってくるミニオフ実施後に低徘オフに参集すれば、皆さんとご一緒出来るとの目論みで ・みーとさん・同じく囲炉裏と低山徘徊派メンバで、最近フリークライミングに目覚めた 「千ヶ峰」 大加茂さんが沢もさわってみたいということで御一緒します。幹事さんからは妙見滝前AM9:50予定で待っていて下さいとの有り難いお言葉で便宜を図ってもらいます。
葛城神社ブナ林から望む葛城山

AM7:00の約束には少し時間が有る。(=^・^=)★さんの 郷里に有名な千枚田がある。千早赤阪村にも棚田百選に選ばれた棚田に立寄る。取り入れ前の稲穂の波…ただ通り過ごすには惜しいので学校付近まで棚田上の農道を散歩します。葛城の山並みが陽を受けて輝きだします。 散歩を切上げて千早の登山口へ向います。待ち合わせは妙見谷の入口近くにある「ウッデイxxx」(AM6:45)お先に出発。妙見谷橋から遮断機のゲート先に林道が続く妙見谷入口です。 コンテナボックス利用の小屋が見えれば モノレール軌道から妙見尾を辿って金剛山に向うコース、さらに進めば谷の下方に小屋が見えて堰提横に出ると、此処から谷に入って遡行開始です。靴を履き替えますが 大加茂さんは登山靴のまま。滝筋を撒きながらなら靴底まで濡らす事もなく行けるだろうと思いそのまま出発します。すぐに現れる斜瀑とナメを右から越して 3〜5m滝が連続する小ゴルジュ帯。 オフ幹事の法香さん達が一番心配していた危険なほどに荒れた登山コースはどうやら左岸上部のこの辺りでしょうか。谷筋を歩き始めて直ぐ大加茂さんはバシャバシャ登山靴のまま水の中・既に沢登りの 快カ〜ンを体感中です。

次々現れる小滝を全て直登していきます。時々お助けロープ(数本のシュリンゲを連ねて使用)を繰り出しての助け舟です。ロープを頼りにされても困るが何よりも今年最後の ?水遊びを楽しんで欲しいものです。ゴルジュを抜け数段のナメ滝を越すと登山道(滝の巻き道)を左に見て 妙見滝の前に出ます(AM7:10)。妙見滝前後の核深部を楽しんでガレた水無し谷分岐のゴウロから妙見滝へ引き返し低徘オフ参加者合流するつもりです。滝芯に沿って直ぐ右のルートは滝の落ち口付近がヤバそうです。 (上部は確かなホールドが乏しく、不安定な木の根を頼って右の巻き道へ逃げたがビレイ点があれば落ち口への直上がスッキリしています)
妙見滝10m・暗くてどうもすみません

妙見滝は左岸(右側)からロープの見えるルートを 落ち口へ捲き上がり登山道とは並行しながらU字状の溝を辿ります。 時々ナメや小滝が現れて飽きさせません。比較的大きな6〜7m滝も直上していけるが濡れた岩は滑り易いが、フリクションが効かない滑りやすいスタンスも確かなホールドを拾ってこなします。 さらに進んでガレ場が続き水も枯れた谷の分岐するところは登山道がそのガレ谷側に付いているテープで、右側の本谷に入らずガレ谷を岩を落としながら直進していくのを何人も見かけます。テープも有るので返って危険。 テープ外してでも正規ルートへ誘導出来るようにしたほうが良さそうです。前回の遡行では、この谷源流の急登を終える頃には朝日に映えるブナの原生林が印象的でした。此処からは急登ですが直ぐのところです。 今回も朝日の中の景観が楽しめるところですが、オフに合流する為この辺りで引き返す事にします(AM8:20〜8:30)。何ヶ所か荒れたルートにロープがセットされているが、ロープを頼りすぎる登山者は谷に対する恐怖心からか、 返って体を斜めに倒してロープにすがる為余計に滑りやすい体形になってしまう事があります。身体を真っ直ぐたてて歩けるような安全ロープ設定をお願いしたいところです。妙見滝に戻ってきたが少し早過ぎた(AM9:15)。 待っているのも如何か!!「迎えに行こう」と言ったら「どうぞ・・」と冷たいお言葉が返ってきます!!。2人を残してオフ参加者を迎えに走ります…が程なく大パーティが登山道の上や下のコースから思い思いに登ってきます。 20人もの参加者があって私が顔を覚えている人は半数ほど・知らず声もかけなかった方には非礼をお詫びいたします。妙見滝へ戻って全員集合です(AM9:40〜)。

是よりは谷を遡行する人・谷に沿って巻き道を行く人、 一般登山道を辿る人と様々です。笹が現われ緩斜面になってくると ブナの林が心地よい風とともに体と心を癒してくれます。ほどなくして前方に否応無く人の気配を感じると、ゲートを出て千早本道と合流し 転法輪寺の社務所に着きます。登山回数を競うスタンプ待ちの列が社務所前に続いています。社務所前を通って金剛山山頂(国見城址)に到着し記念写真と大休憩(AM11;00〜)。
ひさご池 (天正13年秀吉が片桐且元らを伴い参詣したおり掘った瓢箪型の池)前を通り転法輪寺に参詣して左手から葛木神社裏手へ出て仁王杉(樹齢約500年)前を下ればダイヤモンド・トレ−ル紀見峠分岐の「一の鳥居」へ出ます。 此処には古い道標や板碑があって島田さんや貴公子さんの出番、此処でも葛木神社道草組?参拝組 ?を待って展望台へ向います(AM11:40)。コース途上の湧出岳 (1,125m)一等三角点標へは寄らずに直進し坂を下って、ちはや園地上展望台(PM12:05〜)。
金剛山・転法輪寺

実に展望素晴らしく北に鳥見〜貝ヶ平山・西に岩湧山や龍門岳・とりわけ東の高見山や南の護摩壇山、伯母子山、弥山の山々には夫々の 思い出があり懐かしく遠望を楽しんでいます。一通り展望を楽しんだ後は、お弁当タイムが近くなって来たので四季の谷側を経て新設された星と自然のミュージアム前の丘上の広場で思い思いに自分の席を確保します(PM12:20〜)。 早速・振舞い酒はフェアレディさんから五條の地酒は フルーティな味と香りが、法香さんからは前々からの約束!!ご存知・河内の是しか無い??地酒。宴たけなわともなれば、遥々お呼びした??播磨の喜多郎・島田さんと 丹波のたぬきさんのオカリナ演奏が始まります。島田さんに刺激されて最近オカリナを始めた蝦田さんもドレ見?…をご披露。お菓子やケーキと、次々差し入れを私はただ手を出して頂くばかり。皆さん本当に有難うございま〜す。 …でほとぼりが冷め始めますのでミュージアムへ移動して(PM14:15〜)太陽観測やバイオトイレの観測?是は実体が見られなかったが…を体験してケーブル下へは秘密の最短コースを降ります。地図に無いミステリーコースですが 「カタクリの道」なる名称がついているようです。細尾谷(シルバーコース)に合流してバス転回ゾーン前へ降りてきます。少し車道を降った駐車場に集合して(PM15:20)最後の楽しみ…丹波のたぬきさんからの 黒豆パンを手に手に持っての解散・ご帰還となりました。


低山徘徊派関東支部 つむぎさん歓迎 ・の金剛山2回目オフに山頂で合流
金剛山の谷U  青崩〜丸滝谷〜金剛山〜郵便道〜高天(たかま)谷〜青崩道H13.10.13
      

10月も半ばになるとシャワーを浴びての沢歩きには少し肌寒く感じ、 紅葉も未だ早い様ですが金剛山の入山規制の話題も低徘MLの中で取り沙汰されているので今のうち気になる谷や尾根を歩いてみようと出かけます。今日予定の二つの谷は低徘MLメンバ:南河内の法香さんから(石ブテ東谷の 丸滝谷と高天谷のレポートを戴いていたので、早速出掛けてみました。その法香さん、 フェアレディさん(剛友会)も、先月の金剛オフに引き続き今回も・低徘関東支部のつむぎさんの来阪・歓迎の金剛ミニオフの開催日でもあります。
石ブテ谷出合堰提の楠公像陶板画

ひょっとして時間的に間に合えば、山上でスレ違えればそれも良いかな!!という程度で 富田林市から御所市に向かう 309号線で水越峠を目指します。青崩(アオゲ)からは過去に天狗谷や、水越峠から葛城や金剛の両山へ何度か通ったのですが直接、金剛山に向っての尾根と谷は初めて。 大阪(泉佐野)にいた平成7-8年と水越峠を越え(平成9年にはトンネルが開通しスンナリ抜けられる)、祈滝へ出て御所市や明日香へ向かう。 車道から旧道の水越峠側への分岐になる水分橋の広いスペースに駐車 (AM6:15)して石筆(イシブテ)橋から続く林道を辿ります。沿道の谷側には其処此処にツリフネソウが未だ?目立つて咲いています。左岸にも水分橋からの林道が通じており石ブテ西谷との合流地点にある大堰堤(左岸には楠公像の陶板画がはめ込まれています)の少し先で 林道が切れて石ブテ東谷の入谷口です(AM6:30)。 露草の濡れた細い踏み跡が続くが荒れた藪っぽい獣道のような道です。
石ブテ東谷

川原沿った道は 随所で寸断されています。どちらにしても足元が濡れますので楽で時間もかからない??谷の中へ入って行く事にします。 人が通った形跡は時々見かけるビニールテープ・足元は猪・鹿他の小動物の足跡が 交錯しているだけでアケビが足元にも上方を見ても沢山見かけるが残念ながら遅すぎたようでカラッポ。法香さんゴメン…この谷は登山靴で辿る事が有意義なんでしたね。同じくらいの谷が別れますが 左俣(石ブテ東谷)分岐は暗く陰気な谷のようですが20m程先には5〜6m程の直瀑が掛かっています(AM6:50)。左岸(右手)から落ち口へは シャワーでなら越せられるようですが勘助屋敷と記された石ブテ東谷は 丸滝谷を挟んで中尾の背で尾根を分けています。次は此処を登ってみょうかと思うのですが??行っては駄目なんですかね法香さん?!!!右股の明るい!!丸滝谷側を入っていきます。2段4m程の綺麗な小滝(AM7;00)を越すと 4m・2m・2mに斜瀑が続きます。しかし周辺の山肌は荒れており土砂崩れででも起きれば 小滝はみな埋ってしまいそう…。谷筋に沿っての踏み跡は荒れたガレ場や藪っぽい雑木や倒木を捲いて行きますで谷芯を歩くほうがズッと楽です。小滝が続いた後にまたも左からの谷分岐です。 こちらが本命と思える程に明かるく開けて谷で 岩盤を流れる水量多く此の先には数本の滝も約束されている感じだが、方向を示す赤テープは正面の藪で埋りかかったような水量も少ない右の谷側に有ります(AM7:15)。
丸滝谷

ここはレポート通りに直進すると目前に7m程の滝(丸滝・雌滝)が有り右から越すと 次々と2〜4mの小滝やナメの連続で嬉しくなってしまいます。丸滝は何処?? どうやらこの連瀑帯の最初の大きな滝の何段かを総称しての名前だったのでしょうか? 【法香さんからの御案内この丸滝 ・雌滝の手前を少し戻った右の細い谷に丸滝・雄滝があり六道ノ辻に詰め上がるそうです】水量少なく谷筋はU字状の岩盤を流れ落ちるナメ床に大きな落差を持つ岩場があり、 何処から何処までが一つの滝なのか区切りが 判らないが素晴らしい!!滝は全て比較的簡単に登れるのでルート検討せず滝芯に沿ってか右よりをストレートに登り続けれましたので残置のロープやテープ類は確認していません。 危険極まりないロープはどの滝のどの部分にフィックスされていたんでしょうね・・。丸滝雄滝?は私が右の藪に捲いた処より未だ正面、水もなく砂利や小石が堆碓している先にある、滝とは呼べないほどの水が伝っている 岩場だったのでしょうか。此れから先の展開を予想していたのに谷芯は荒れて小石で埋ってきます。水量も殆どなくなる頃正面は砂地のガレ場、右へは笹の藪ですがガレ場の急斜面を登るより楽で安全かと判断して移動するが 笹藪中に残っている枯れた笹が容赦なく顔面攻撃してきます。 獣道を辿りながら藪を抜けて 石ブテ尾根の登山道へ出て(AM7:45)石ブテ西谷側から登ってくる踏み跡と合流します。途中左手には私が藪に逃げた丸滝谷を直登してきたらしい踏み跡が有ります。
高天彦神社ではトトロが自然保護を訴えています

快適な山道が尾根を捲いて東に向うようになったので、 わずかに残る杣(ソマ)道を拾って尾根筋に向いますが快適山道は六道ノ辻に出ることを後で確認しました。尾根を辿って広い山道に出てると私は遭難碑かと見間違ってしまいましたが実は 「金剛山を愛した人の記念碑」があり、その先の広い平坦地に出てくると此処は大日岳(朝日岳1,094m AM8:10 葛城28宿経塚)で無線中継所のアンテナがすぐ側にあります。つい先日の金剛オフから比べれば 紅葉が進んで周辺の景色は一段と華やいで来ています。葛城岳から一の鳥居の分岐(AM8:25 案内板や石の古い道標や板碑のあった)からダイトレルートを水越峠側へ1〜2分で金剛山越えの高天道・ 高天への下降点です。高天彦神社と金剛山転法輪寺を結ぶ広い登山道は昭和10年頃から終戦の昭和20年まで実際に郵便物が運ばれていた道で郵便道に呼ばれています。地元小学生の恒例行事で 登られているらしく郵便道とは何度も合流したり外れたりしていますが学校道の方が登りはラクですよ。

郵便道は不動滝(高天滝)前へ出てくるので此処から入谷ですが、橋を渡り休憩所を経て一旦出発ポイントの 高天彦神社へ出てきます(AM9:10)神話の里で史跡の高天原はどんな所でしょう。初めての地域ですので観光気分で訪ねてみます。近くの葛城古道も辿ってみたいがコース等は検討つかず、何時か機会を見つけて 歩いてみたいところ。金剛山の真っ只中、湧出岳(1,112m)へ向って深く切れ込んだ高天谷 (たかまだに)と郵便道を分ける小橋までは細い舗装道が続き、終点にある休憩所に戻り此処から目前の高天滝(不動の滝)に向います。不動尊に正面から睨まれているような心地ですが綺麗な滝の左岸のバンド伝いに落ち口へ行けそうです。 幸いワイヤー付きの送水菅があるので一寸補助に使わして貰い落ち口へ(AM9:20)草付きの壁の落口付近は高度感と滑りそうな足元の不安感で緊張します。
不動尊の奥に高天滝 6m


岩は固くて快適ですが足元は濡れて要注意です。 右手に雑木の急登りで巻き道もあるようです。高天滝の落ち口からは次々と綺麗な滝が登場します。ただ足元は遡行用に準備しておいたほうがいいですネ。丸滝谷のように登山靴だけとはいかないようです。
高天谷遡行は金剛・葛城山域ダントツで滝の数多くしかも直登出来て美しい
ゴルジュの中で2m程の小滝を2つ程越すと突然、目の前に凄い滝が現れたと思ったが 10m程の垂直の堰提でその前に5m程の滝が掛かっており滝を越すのは一寸厄介です。流木を足がかりに取り付いてみたが一寸無理(^^;幸い右岸を堰提上部までワイヤーロープがあるので半ば強引に岩を乗り越したが、 少し戻れば左手からの巻き道があります。直ぐ先の2m滝は左にロープがあるが右側を抜けて4m滝へと向います。正面に大きな水音が聞こえてくると高天谷一の大滝12m前に出る(AM9:35)。 上部落口へ抜け出るところが難しそう。もともと自信も無いので少し戻って左岸を大きく捲きあがって谷に戻ります。此処から先の谷歩きは実に爽快です。3〜6mと次々現れる連瀑帯です。 掛かる滝は皆美しく、登るに楽しく種々雑多な形態の滝ですから飽きさせません。全て直登出来るし自分にあったルートを自分で選んで登れる楽しさも…勿論シャワークライムしたければ、 そんな快適ルートも選べます。

正面に奇妙な堰提が現れます。中央にホールドを穿った堰提ですが 中央突破はフリークライム経験者か身軽な岩登り経験者??なら楽に越せるかな!! 堰提右側への巻き道はあります。次に現れる堰提は崩壊していて、残った繰り石がそのまま石のブロックを積んだように見えます(AM10:05)。水量の少ない左俣との出合いですが左の谷は4〜5段の40m程の連瀑が有るといいます。 直進して本谷を進むが此処からは滝といえる段差はなくなり幅広のルンゼが続く。ナメの急斜な岩盤を僅かな水が流れていますが草鞋フリクションは絶大でドンドン高度を稼いでいきます。 谷筋が扇状になったところから、最後はナメの続き?のような5〜6m斜瀑を越えて右手の枝尾根末端に取り付きます。 この枝尾根も結構きつい傾斜です(AM10:20)。 間違っても?!左の小谷へ入ってはいけません。をそのまま、うっかり詰めれば砂地のガレ場で手掛かりも少なく蟻地獄状態の危険地帯に入り込んでしまいますよ。
高天谷・詰めのルンゼ/急勾配の長大なナメ

枝尾根も最後は一寸藪漕ぎで抜けると溝状の登山道で、 見覚えの階段が続く水越峠からのダイヤモンドトレールに合流して10分ばかりで葛城神社下・一の鳥居の案内板へ戻ってきます(AM10:55)。右へのコースは直ぐに白雲岳(別名:王山・横峰? 985m)へ出て パノラマ台へ通じているようです。低山徘徊派ML関東メンバつぐみさんの歓迎金剛山ミニオフでは展望台AM11:40予定になっているのでブラブラ展望台に向います。どのルートだったか忘れたが展望台〜 星のミュージアム〜国見岳へ戻るように寺谷を下降なので帰る方向は同じ…天気も良し。濡れたものを乾かしついでに展望台下の草地に横になり山行ノートを開けて今日のルートの反省です(AM11:05)。
測ったかのような正確さで低徘オフのメンバが展望台に到着します。真っ先に私に気付いた島田さんの声で皆一斉に!!〇△□▽X◎??…。手を振って応えたが、来れないと言っていた筈の島田さんがなぜ此処に ???仕事サボったのかな?? しかし彼の参加如何によってオフの成功が左右される程ですので、姿を確認したことで120%以上成功です。展望台からの遠望は大峰方面・高見山・岩湧〜和歌山方面へと 一応同定出来る程度です。前回同様、ミュージアム上の芝生広場で昼食。此処で午前中で授業を終えた 大加茂さんが大汗かいての馳せ参じてきます。 走って登ってきたのかな!!??低徘オフのメンバは寺谷経由で千早に下るので、分岐の下降点で別れ(PM1:25)今日のオフ会の逆コースで帰ります。
青崩道・屏風坂付近からの葛城山

ハイカーで賑わう国見岳の山頂広場から青崩道へ。 金剛山登山でダイトレを除けば、この道は千早本道を別格にして郵便道の次くらいに 利用者の多い道だと思うのですが、この時間帯に誰にも合わず下り続けています。15分程でセト峠(黒栂谷道)ですが ベンチはあっても展望なし(PM1:43)。屏風坂を過ぎた辺りから石ブテの谷を隔てて葛城山が望まれますので 設置されているベンチで少し休みます(PM1:47)。下方に青崩の車道や集落が見えてくる頃になって 何組かの中高年カップルが登って来るのに道をあけます。私が駐車している水分橋か林道からこのコース取り付き点にある スペースからのマイカー登山者のようですが同じ道往復なんでしょうか。 駐車場に戻って(PM2:18)冷たい缶コーヒーで渇きを癒して帰途に着きます。


高天彦神社 と 蜘蛛窟 
葛城氏発祥の金剛山系、御所市の高天は日本書記が伝える神話 ・高天原(たかまがはら)の地です。天孫 (天照大神の子孫)の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原から降臨する時出雲の国へ使者を派遣したり 天孫降臨の命令を下した高皇産霊尊の神が祀られています。高天神社鳥居前の観光案内道標ではすぐ近くに 蜘蛛窟があります。
葛城山頂のビジターセンタ内の写真や説明を思い出しますが土蜘蛛伝説の一つで、 此処では千本の足を持つ大きな土蜘蛛が住んでいて、 時の天皇の悩みの種。勅使が来て、矢で射殺した土蜘蛛を高天彦神社近くに埋めたのが蜘蛛窟と伝えています。土蜘蛛は野武士や山賊のたぐいの悪党・賊軍または土蜘蛛族と呼ばれた特殊な集団だったのでしょうか。 なを309号線で水越峠を下ってきた辺りの森脇に一言主(ひとことぬし)神社があり此処の境内には土蜘蛛塚があり、神武天皇がカツラで作った網で土蜘蛛を捕らえ、頭・胴・足を三つに切って埋めたといい、 此れが(葛木)葛城の地名の謂われでもあります。



金剛山の谷V 青崩〜金剛の隠れ谷・石ブテ東谷左俣〜太尾塞城〜太尾〜青崩  H15.08.30

二年前(H13.10.13)低徘MLメンバ臨時金剛山オフで 参加表明はしていなかったが、同メンバで南河内の法香さんから、(石ブテ東谷の丸滝谷と高天<タカマ>谷)レポートを戴いたので出掛けた丸滝谷でしたが、 途中谷の分岐・左俣の出合いに 4〜5mの直瀑が掛かる谷が気になっていたが法香さんからは、この谷への入谷は止したほうが良いといわれた陰気な谷のようですが、 今年3月頃だったか和泉市の時倉さんから谷の情報を得て、早速出掛けるつもりだったのですが夏も終わりのこの時期になってしまいました。 金剛山の隠れ谷は小さいけれど小滝も多く、ルンゼ・シャワークライムも楽しめますが、マダマダ入谷者は少なく谷を埋める倒木や雑木のバリケードを擦り抜けての変則谷歩きですが、 最後の詰めで藪漕ぎにならないのは有り難いのですが、激登りでの四駆フルスロットルではブッシュも有ったほうが少しは助かるのですがと!!実感します。
石ブテ東谷左俣出合の滝(4m)

石ブテ東谷左俣:この谷には勘助屋敷の名が残り、尾根に出ると楠木氏の金剛山一帯に築かれた砦郡の一つ ・太尾塞があったところで、 主目的が谷ではなく城跡巡りの一つになってしまったかもしれません。実は谷を詰めた後は金剛山へ向わず太尾を青崩へ戻って御所市の楢原城・玉手城を探しに水越トンネルを抜けて行きます。 さて、冒頭で話したMLで情報を参考に、高石市の山岸さんや時倉さん達の努力によって、倒木と藪てで通行も思うに任せず不可能な程に荒れた谷でしたが、切り開かれ滝にはフィックスロープの設置等いろいろ整備されておられます。 とはいえ弁当はなくても鋸持参必要があるかも。
いよいよチャレンジコースの始まり/連瀑帯へ

青崩から水越峠への旧道の重石 (AM6:35)で石筆林道に入ると直ぐに太尾経由の金剛山登山口を見て林道終点の東谷に着く(AM6:55)。左岸沿いの山道はぬかるんでいて気持ちよく歩けないので最初から谷中を進んだほうが良いのかも。 いずれにしても蜘蛛の巣には閉口ですが・・・東谷の左俣出合い(AM7:10)に懸かる堰提の様な4m程の直瀑は通過無理なので、入口に戻って左へ捲き上がり直上していく踏み跡を見送ってF1滝の上部へ降り 1〜2mの小滝を越えると 暫らく細い溝状が続いて1〜4m程の滝を過ぎますが最初の滝にはトラロープがセットされています。 この後も一寸した滝には、山岸さんや時倉さん達によって整備されロープが取り付けられ、谷を埋め尽くして通過困難な流木・倒木集積地の捲きにはテープ標識で先導してくれます。 ザイル持参の小型ザックでも倒木を潜り抜けるのには狭くて窮屈な態勢になります。絞り込むように侵入して、チューブから押し出されるような脱出の繰り返しです・・
石ブテ東谷左俣の滝

水量の少ない谷(普段は涸谷でしょう)出合い前の岩にケルンが積まれて、此処は水量のある右手へカーブする谷へ入っていきます。 れより核深部・・・小滝が続き岩盤を流れる水の中を歩くのは心地よい。3〜6m程の小滝群だが細いルンゼの連瀑帯の通過も楽しい。小滝群を抜けると岩屑や流木・倒木帯や蜘蛛の巣払いの藪谷の 繰り返しで上部の二股も右の谷へ、 直ぐ前方に大きな滝が現れた。・・といっても8m程だが見栄えから言っても谷最大の滝です。右岸(左手にテープとロープは??)に捲き道があるが登れると判断して滝芯に寄って行きます。中間附近から上部を右手寄りに直上出来れば スッキリした登攀ですが苔付きで、レジャー用のウォータシューズでは心もとない。中央部で左手に移動して抜けたがこの滝は手掛かり、足場共に固く快適です。滝上からは平凡で直ぐに水線も消え草地の平坦な小場に着いた。

此処が 勘助屋敷の名のある地点なのか(AM8:00)。谷の遡行より、此処から僅かの尾根までの最後の急斜面が大変。大概の谷の詰めは斜面も急ですが藪漕ぎになるほうが反って楽ですね。比良や鈴鹿の崩壊したガレ場を抜けるのと同様です。 手掛かりに利用出来る立木が枯れたり抜けて無くなれば、鉈の他にもアイゼンが必要になるかも。 登りきったところは水越峠への県境尾根の直ぐ下で、太尾の旧道らしく踏み跡が東谷出合いの北下へ向っているようです。この場所から右上手にかけては山道にしては広い。中尾の背や丸滝谷を詰め上がってくる踏み跡からの合流点附近が 太尾塞跡!!??と思える程で、平坦地が数ヶ所あり土塁とも思える盛土部があったり、合流点附近平坦地の東谷側は切れ落ちた自然の要害・山道は堀切道に見えます。
石ブテ東谷左俣の滝

山頂部の六道ノ辻附近に痕跡があるのかも知れませんが、スタート地点の青崩に降るべく太尾を辿りながらも気になるところです。左手から稜上へ向い、 石筆(いしぶて)尾根と合流して六道ノ辻へも直ぐの地点です。此処までのコースと比較すればダイヤモンド・トレ−ルのコースかと思える程の広い道を水越峠に向かい、途中の分岐に道標があって青崩へ左折し石ブテ線入口附近の 金剛山登山口コースの登山口に降り立ちます。水越トンネルを御所市へ抜けて前回のリベンジの楢原城・吐田城・国見山城・玉手城を探し 訪ねてみるつもりです。吐田城や近くの佐味城もML仲間情報を貰っていたのですが、結果は未訪(徒労!!)に終わってしまった。


 下赤阪城(赤阪城)  国見城(金剛山山頂)
 千早城(金剛山城・楠木詰城) 上赤阪城(楠木本城)


下赤阪城(赤阪城・楠木館)  甲取山 xxxm  大阪府南河内郡千早赤阪村森屋

元徳3年・元弘元年(1331)9月、笠置山で 楠木正成が後醍醐天皇に拝謁し、天皇を迎えるべく赤阪に急遽帰って甲取山に築かれた山城は、笠置が落ち天皇が途中で捕らえられ迎えることが出来ず、変わりに 護良親王を擁してこの地で挙兵します。鎌倉幕府軍の攻撃を受け、城中から熱湯をかけたり城壁を 二重にする等あらゆる戦略を尽くして戦った。にわかづくりの上に衆寡敵せず10月暴風雨に乗じて城に火を放ち護良親王らと金剛山中に落ち隠れるが翌、正慶元年(元弘2年 1332)4月、正成は再起して 鎌倉方の湯浅定仏を奇襲して下赤阪城を奪回しています。約1年後には再び鎌倉勢のため落城したが建武の中興となり鎌倉幕府は滅亡しています。建武3年(延元元年 1336)九州から攻め上った足利尊氏軍を 新田義貞軍と共に迎え撃った湊川(神戸市)の戦いで楠木正成が戦死した後は、正儀(まさのり)等が拠ったが、延文5年(正平15年1360)4月、龍泉寺・ 平石城が落ちた時、正儀も城を捨て金剛山中に退いています。309号線を森屋で右折して金剛山ロープウェー案内標識を頼りに府道を走りますが、千早赤阪中学校の裏手に記念石標と案内板が有ります。 広いバス停広場の前には朝市がたち、バス停南端から学校への坂道が続きます。坂道の入り口にも赤坂城跡案内板と石標が建っています。校舎の裏手へ出ると農道が通じて、みかん農園と畑が段々になって拡がっており、 段々畑そのものが何段かの曲輪に見えます。城の東・北には東条川が自然の堀としての要害を形成しています。

国見城 詳細不詳 大阪府 (東坂)

金剛山に向う尾根筋には多くの赤阪城塞群が有りその最高所・国見山に築かれた楠木氏城塞群の一つ。転法輪寺を城塞化したと思われます。




千早城(楠木詰城・金剛山城)大阪府南河内郡千早赤阪村千早

正慶元年・元弘2年(1332)4月下赤阪城から落ち隠れた 楠木正成が再起すべく金剛山山腹に築いた山城(標高666m)で翌・正慶2年年5月まで100日間、僅か千人足らずで篭城し藁人形等の奇策で鎌倉幕府軍(北条氏)20万の総攻撃にも耐えて、 建武中興の原動力となった難攻不落の城でした。 千早の楠(最後の拠点)千早のかくれ城とも呼ばれます。この時、共に上赤阪城祉(楠木本城)を築城しています。地形では城の東南は妙見谷、東に風呂谷、北に北谷と、殆ど四方を深い谷に囲まれ西の大手口(金剛山登山口バス停横 )からの三方は急斜面で府道との比高は150mあり東方の尾根伝いに烽火台跡を経て金剛山頂に通じている自然の要塞は、ハイキングコースとして登山者に利用されています。
四ノ丸 (奇策・藁人形作戦をモチーフの人形!!)

本丸跡に続き二の丸には千早神社があり 神社正面石段下に城址記念碑が建っています。社務所の地が三の丸、茶屋の檀と呼ばれていたところが府立山の家の建っているところです。バス停横から急な石段(500数段あります)から大手口を登りつめると茶屋のある 広大な三の丸広場に出ますが、ここに何体かの人形が(藁ではないが)何年も前からたち続けていますよ。ここから今日は(H13.5.12)金剛山(葛城岳)が良く見えました。なを石段を登りつめた茶屋側からは関西空港も望めます。

「太平記」(軍記は誇張が多いので!!…)敵は百万騎、身方は僅かに千人足らずにて「誰を頼み何を待つともなきに、城中に堪えて防ぎ戦いける、楠木が心の程こそ不敵なれ」建武以降 (1334〜38)も楠木氏の根拠地として一党の固めるところとなったが正行(まさつら)・正儀(まさのり)を経て正勝の時、明徳3年・元中9年(1392)正月畠山基国の兵に攻められ落城後は廃城となっています。
 千早城祉は昭和9年3月13日 国史跡指定を受けています。(大阪府教育委員会)


上赤阪城(楠木本城・小根田城・桐山城) xxxm    大阪府南河内郡千早赤阪村桐山

楠木正成は永仁2年(1294)水分の里で誕生しています。幼名を多聞丸といい下赤阪城と上赤阪城はその直近くの城です。誕生地には顕彰碑や道の駅、郷土資料館が有りますので金剛・葛城登山の帰りに寄ってみるのも良いですよ。 R309から東坂方面に抜ける広域農道を進むと給食センター前に城跡案内があり、城址へは入口から城址説明板や、登城ルート各所には木戸や土橋・曲輪に説明標示柱も建てられています。楠木正成が再挙の際、 千早城と共に赤阪山(349.7m)の要害に築いた山城で別名:楠木本城・小根田城・桐山城とも呼ばれる。城の遺構は本丸、袖曲輪、堀切・竪堀・横堀等の塹壕跡や二の丸(東の城340m)で構成され ています。特に大手前と搦手にある堀切群は堀を二重にした大掛かりなもので大手前の「そろばん橋 」と名の付いた土橋と堀切は特徴的です。此処を渡れば四の木戸です。二の丸の裾を捲いて本丸との鞍部にある茶碗原にでます。茶碗原に沿って本丸に向うと国見山城、猫路山城、金剛山へ続く踏み跡があり、 坂を登って山上の千畳敷に出ると、15m程先に「上赤阪城址」の石碑が建っています。

多くの赤阪城塞群のうち上赤阪城址周辺の城を探して見ますと二河原辺城址・枡形城址 ・本宮城址(不本見神社)・猫路山城址・たかつこ城址・よこお城址・しょうぶ城址・国見山城址(坊領千軒)・一番のきり城址・吉年城址(金峰神社)・土居城址・浄心寺城址の他、規模はともかく峰々に多くの塞場が点在しています。 鎌倉時代後半から南北朝期にかけて活躍した楠木正成(1294〜1336)の築城で平野将監を大将に楠木正季(まさすえ)を副将として元弘2年(1332)秋、楠木正成の挙兵では千早城と共に籠城戦では、 幕府軍の猛攻に良く耐えたが翌、元弘3年(1333)2月、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦したが水路を断たれて陥落しました。この時の城兵は将監以下僅か300余名に対し赤阪攻めの軍勢は、阿蘇治時を大将にその勢8万余騎とも …糞尿を放ちかけた奇策は「糞谷(くそんど)」の地名で残っています。戦略・奇策で死傷者続出し包囲戦法・その間にも東坂方面の本宮砦をはじめ周囲に配置されていた諸処の城塞 ・砦群を落とされ、 篠原六郎が守る猫路砦も陥され搦手から攻め立てられ防戦10日にして陥落しています。千早城址と共に昭和9年3月に国指定史跡となっています。

丹波霧の里HOME
inserted by FC2 system