波豆川沿いの山々 広照寺山・高畑山・鳥飼山・昼ヶ岳・カイホ・大船山
阪神・北攝 (五万図=広根)
T 波豆川公民館〜広照寺山〜寺山〜高畑山(482m)〜高畑峠〜鳥飼山〜昼ヶ岳(南峰・北峰) 2001年04月01日
U 内田池〜行者山(559m)〜点名:上カイホ(493m)〜大船山(653m)〜高平小学校   2001年04月01日(同日)

三田の民話 :大磯のおこり地蔵さん
羽束川沿いの山田付近から大船山を望む
千刈ダムの上流から 三田に向う途中・伊丹市民健康村を通って木器(こうづき)へと羽束川に沿って 北上すると大船山山塊が目前に迫ってきます。223号線へ出て右折・大坂峠を越すと桜木の多い坂道を下る。大坂峠は大阪・宝塚・京都へと向う古道で 木器北バス停の北方2〜30mの処に導標石仏がある。峠を下り左へカーブする辺りから田園風景が広がり藁葺き屋根の民家(殆どは壊れかかった廃家になっている) が点在しています。波豆川をとり囲むように鎮座する山々を周回するつもりなのですが大船山・大磯・波豆と山間部には奇異な海の名前が散見ており、山間の地に海のロマンを訪ねる山行になりました。 太古にはこの辺りは湖で大船山は島になっていて、船をつないだ松があったところから名付けられたという大船山ですので、天狗や鬼が島を跨いだり飛び回っていた神話や昔話がいくつか残っているのかも知れませんね。
公民館から広照寺山(右の尖り山)と大舟寺の背山の寺山(左)

式盧山大舟寺 (黄檗宗)は百済の僧、日羅道者が大舟山で修行し開基大悲尊像を安置して舟寺を創立しその後現在の松尾谷に移したといわれています。弘法大師空海の筆による「大舟山沙門空海」を彫った自然石は県の重文で舟寺が 大舟寺と称するようになった所以です。旧参道には地蔵尊像を浮彫した丁石(南北朝期の造立・県指定文化財)が残存している。境内にあるカヤの大木は(樹齢500年、幹廻り6m、樹高20m、枝張り面積40平方m)三田市内唯一の 県指定天然記念物。二層の萱葺き鐘楼は大変珍しく貴重な文化財で天明3年(1783)の創建と言われています。古びた石垣や土塀・山門と絵画や写真の題材豊富のようですので四季折々に訪れて見たいものです。


T 広照寺山〜寺山〜高畑峠〜鳥飼山〜昼ヶ岳(南峰592m・北峰)〜内田池  H13.04.01

大坂峠を下り波豆川口の大舟寺・三田アスレチック標識をみて右折して川沿いに走ります。すぐ東面には低山ながら端正な二つの山が昔話の絵のような姿を見せています。目前の火の見櫓のある 波豆公民館に駐車して出発です(AM9:40)。昔、大船山からの帰りに内田池 〜昼ヶ岳に登ったが山頂プレートなどなく対峙する反射板のあるピークの方が気になり 急斜面を鞍部に下ったが、時間の余裕も無く細い藪の中の踏み跡を辿っての登り返しに戸惑い、 藪の谷に下って大磯への林道に戻りましたが、そのリベンジを兼ねて一挙に東の稜線を内田池まで行くつもりです。
行者山〜大船山中間付近より鳥飼山・高畑山のドーム・寺山(右端ピーク)

尖った広照寺山と寺山(大舟寺の背山で大舟寺寺山と記されているのもありますが元々、 大舟寺は大船山の山中から現在地に移転しています)の鞍部を目指して集落山側の民家への道に入ります。一番奥の民家の敷地内の庭先から裏手へは気が弱くて入っていけませんので、左手へ巻き貯水池の土手から 民家裏に出て山道に出ます。この道は山道というより、かつての山寺への参道です。二段に石積みの残るお堂の跡らしい平坦地や磨耗して文字か仏像か判別も出来ない古い石標があります。二分する道は右手のほうが足元はしっかりしていますが、 なにぶんにも棘の雑木が多いのに、私の少ない登山用具のなかでも最も大事な軍手は、物干し竿に掛けたまま忘れてしまい、おかげで一人痛い痛いの連発で棘のブロック越えです。しかも参道は段々と荒廃激しくなってきます。炭焼き小屋 (小屋は跡形無ですが)の窯跡が有ります。跡ではなくマダマダ現役で使用に耐える立派な窯です(AM10:00)。此処からは道狭く棘樹が益々多くなり引っかき傷だらけ。足元は石段こそ有りませんが石段状に岩をひろって登れるので比較的楽です。 何ヶ所か石標らしいものや左右からの参道らしい道が合流して来ますが道が良くなるわけでもひろくなるわけでもなく、5m四方の石積みの平地辺りで自然消滅?軽く藪漕ぎ5分で広照寺山(450m AM10:20)の細長い稜線の最高地点に到着です。 密生する雑木の中では展望どころではありません。わずかに目前の寺山が雑木の裾模様を気にしながら迎えてくれます。この二つの山を結ぶ山容といい露岩の多い寺山への登りといい 今井岳〜三蔵山とよく似ています。露岩が散在する尾根に出ると羽束山の鶏冠頭が見えてくる。大船山が周囲の山々を圧倒して延びあがってきます。古刹式盧山大船寺の背山寺山山頂 (4等3角点 492m AM10:30)寺山の西面に多かった露岩も東面にはなく雑木林の藪が広がっているだけ。此れより先消え入りそうな踏跡もなく獣道をひろっての藪漕ぎ下降では何度も稜線を外してしまいます。幾つかのピークを 何時通過したのか幾つ越してきたのかわからない。砂地の稜上から一度・大船山を望み又藪の中へゴソゴソと入り込む猪かクマになったような心境です。

高畑山(482m)辺りで獣道から踏み跡程度と少しずつ歩きやすくなり 高畑峠(AM11:35)に降立った。よく踏まれた三田・大磯と宝塚・香合新田を結ぶ峠道で 朽ちた木製の屋根と台座のある祭祀用標柱があるが台座の主は付近に見当たらず数個の石片が置かれているだけだった。此処から道も広くなる。 入口にテープと赤色スプレーされた木が鳥飼山山頂まで次々と現れる。しかも遠くからは爆走するサーキット場からの騒音がけたたましく響き渡ります。静寂と楚々とした田舎の佇まいから一挙に喧騒と派手な広告が町を埋め尽くす 都会に来たような感覚です。足元は地道からコンクリートの舗装道路のようです。 サーキットの騒音を背に傾斜の増した坂を登り切って鳥飼山(528m AM11:55)から北への縦走に移るが出だしは急だ。
昼ヶ岳北峰と行者山の間に大野山を望む

鳥飼山が烏帽子山とも呼ばれている所以の場所のようだが、私には辿ってきた寺山の方が鳥飼〜昼ヶ岳から眺めてもズッと 烏帽子に近い形に見えるのですが。しかし何処から眺めて烏帽子に見えるのかなあと、先の宝塚・たかつこ山(波豆富士) と同じ疑問が湧いてくる。大きく下ってより標高の高い無名ピークに大きく登りなおす。稜線沿いの左手に小さな流れと炭焼き釜跡を見て登るが今度は右手に大岩が現れる。岩頭に乗ってみると猪名川側に 展望が広がり堂床山や身草山が間近。10数m上に反射板、此処が昼ヶ岳(南峰592m PM12:35)フェンスを廻り込んだ東の高見のピークは雑木の中で展望皆無・丸みのある大岩が数個あるだけ。 何か古代の山岳祭祀跡のような感じもします。元に戻ってリベンジ山行に移ります。次の昼ヶ岳北峰に向って進むが途中で大磯へ下る道標のある分岐を過ぎ、北峰との鞍部に着く。以前左の谷に藪漕ぎで下った昔を思い出す。 あの時こんな山道であれば南峰に寄って先の分岐を辿って苦も無く大磯に下ったはずである。鞍部から右手には猪名川町・清水への下降点です。急な登りだがあと一息で目指す最後の山頂・昼ヶ岳北峰です。昼ヶ岳 (北峰595m PM12:45)に着くと山名プレートの花盛り。雑木に囲まれた山頂付近以外に落ち着けるところだが展望は望めない。標高も山容も北峰の方が勝っていますが・・・・・やはり昼ヶ岳は南峰と感じます。 さて下山ですが内田池は北西ですが道は東よりに下って行くようです。尾根筋がハッキリしているだけに注意が肝要です。山頂からの暫らくでコースが二分します。左手の赤いテープ等を注意して探してみてください。 テープを追って下れば懐かしい水の流れていない用水路と堤防の続く水平道に出て内田池の雌池と雄池の間を抜けて大磯からの林道に出ます(PM1:00)。



U 内田池〜行者山〜点名:上カイホ〜大船山〜高平小学校   H13.04.01

以前に内田池より昼ヶ岳北峰へ登り南峰に気を残したまま鞍部から大磯への林道へ下ったことがあり今回逆コースでリベンジして達成しました。が未だ時間は有るので、波豆川を隔てて対峙する行者山〜大船山の縦走に移ります。 林道終点から続く内田池西面の堰提に立ち 広く静かな湖面を背にすれば三田市・末吉集落が眼下に拡がり奥山(鎌の尾446.8m)が目の前に。昨年秋には紅葉が見事との噂で方廣寺に寄ったが、この山裾に宇治の万福寺と同じ山門があり枯山水の石庭があった。方廣寺を探して来たのに 「桑鳩寺」の石碑にまごまごしてしまい覚えていたのですが・・(-_-; 
行者像を祀った石組跡か!!

内田池(PM1:00)西南端から林道終点の広場!へ渡ると山道が尾根の西を巻くように続いています。砂地の斜面を登るほうが簡単だがキャンプの車とテントが人張り。 人目があってはヘマなことも出来ず山道を巻き気味に裏側に廻って少し藪漕ぎで尾根に取り付くと境界尾根の切り開きが続きます。行者山への登りで又周囲が騒がしくなってきた。今度はサーキットではなく風だ。 風音が強くなってきたがパラパラと音もする。雨になったようだが濡れるほどのこともなく直ぐに止んだ。なんとなく上部が明るくなったかなと思ったら左へ縦走コースは下っていくが先ずは正面にある小岩と 山名プレートが懸かる行者山山頂に着く(559m PM1:30)。北に下っていく道が明瞭で数メートル下方にも多くの岩が点在し、中には行者山名の石像を祀った跡らしい石組みを見る。 点標名上カイホへ辿ってみようとさらに尾根を下るが随所に露岩がある。3〜4分も下れば山道とは少し離れた西側にポールが有り岩陰に上カイホ(4等3角点 493m PM1:35)が設置されている。 これから辿る大船山が印象深い。右手下にサングレート・ゴルフ場、この道を下り切れば末吉か:観福寺のある川原集落。川原ではこの山を「行者はん」と親しみ込めて呼ばれているそうで、 道の良さと岩場点在する此のルートは行者道(参道)と思う。下る一方でポイントとなるピークも台地も無いところに突然三角点が現れる。行者山へ登り返して(PM1:45)大船山への縦走ルートに入ります。段々藪っぽくなってくるが 切り開きがあって踏み後はハッキリしている。鞍部に下りきると小峠(PM1:55北山さんは此処から大磯へ下られたようだか小さな谷沿いの短い作業林道を<既に廃道!!>を経て内田池に伸びる林道へ出るはず)です。 此処からは少しずつ踏み跡も怪しくなってくるが注意していれば、細い稜線沿いに鉈目・切り枝があり、樹林帯の行軍でヤッと少し展望が拡がるところに出た。

此処よりほんの少しで無名ピークを過ぎると尾根筋も快適。 時々現れるテープも無用の静かな林間尾根が続き489ピークを下れば大峠(十倉峠PM2:25)です。流石に兵庫の50山・殆どの登山者は三田アスレチック場から、この峠を経て大船山を往復しているようですが十倉から 長慶寺前を通り貯水池を経て此処に至るコースも大船山を望みながら歩き出せるのでお勧めルートです。何人もの下山者とすれ違いながら波豆川バス停への分岐(大舟寺跡付近)を右にとって暫らくで最後の急登を迎えるが登り終えて展望の大船山山頂です(3等三角点 653m PM2:50)。頂上広場の中央には石室があり祠が祀られています。 北面以外は展望も拡がり北攝の山・有馬/中山/六甲の山々・西に丹波の山々が一望できる展望台です。
昼ヶ岳と行者山の間に顔を出している大野山と寺山〜高畑山〜鳥飼山

天狗のイラスト付き案内板があり「天上の神々が地上に天降りられる時は 高山にて三角錐の山頂を選び、山頂にて天上は最も近いとして此処に神祭りの斉庭を営んだ。・・・」つまりは、空に突き出たこの大船山が神々の天地を結ぶ玄関になったという。それにしても説明板は 大舟山とある。 大昔は島で、船をつないだ山なら大舟山でもいいが、周辺の山からも抜きん出て堂々としていて、しかも神が舞い下りる山です。万葉歌人・柿本人磨は西国より海路を都に帰る途中"あまさかる  ひなの長路を漕ぎくれば 明石の門より大和島見ゆ"と歌い、明石海峡からこの山を遠望して「大和に帰ったぞ」と喜んでいる。大船山は内海航路の一つの目標ともなっていたのだから・・小さな舟ではないはずです。

山頂からは何時か歩いてみようと思いながら果さずにいた南尾根を辿る。今までその一歩が藪の為見落としていたが、いい道だ。山容が示すとおり急な下降が暫らく続くが随所に露岩多く、 大船山を遠くから同定するポイントになる 関電の反射板へと続く。少し休んで展望も楽しみたい向きには施設のフェンスを廻り込んで 少し先に共同テレビ受信施設のある狭いが腰を落せる平地が有ります(PM3:05)。快適な山道の下降ですが少し遅くなってきたのでピッチを上げる。 おかげで波豆川側の中村への下降点を意識もせず、ズンズンこの急な山道を下り続けます。道は尾根筋から急に西に向きを変えますが(PM3:28)直進の尾根ルートは倒木や藪が目立ち踏み跡すらなさそうです。 正面の羽束山がコースのズレを教えてくれますが疲れた身体で藪漕ぎしても時間の無駄。楽な羽束川への道を下って下里の集落に下り立ち 惣兵衛橋を渡ると左方向に高平小学校 !が見えます(PM3:35)。羽束川沿いに下槻瀬へ向います。 川と対峙して烏ヶ嶽(528m)が見えます。この山は此処からも見えている「つくしの里」が登山口としては便利です。
羽束山の特異な山容が暮れかかった空に黒い影を落します

ここの名物は昔から有名な餅がありますがすぐ売切れてしまうようですが、つくしうどん等もあり登山帰りに賞味するのも良いかもね。 天柏(あまかしわ)神社前を通ります。ここは「おできの神様です」おできが治るのではなくおできが出来るのです。 御神体は二体の女の神様でお雛様のように頭髪は黒く御神体は青く塗られているそうですが、昔から御神体に触れると「おでき」が出来るとつたえられておりつまりは「さわらぬ神にたたりなし」です。清楚な小さな神社です。 223号線(上佐曾利木器線)は直ぐ其処ですがその車道1〜20m手前には旧街道を示す石の道標と磨耗が激しくお顔も良く拝めない石仏が祀ってあります。情緒のある小道がつづいているようですが、どうも途中で行き止まりのようです。 左 妙見・京都 右 宝塚・大阪を示しています。車道のバス停・木器(こうづき)北に出て大坂峠に向います。峠の桜は未だ少し早く準備の提灯が淋しそうに風に揺れています。坂を下り左へカーブする辺りには、 今は珍しい萱葺き屋根の数軒の民家が散在しています。殆ど壊れていくまま放置された空家と田園風景が拡がる波豆川口からは北へ向かい駐車場の公民館へ急ぎます。昔話に出てくるような二つの山が変らぬ姿でお出迎えです。


大磯のおこり(尾張)地蔵さん   (三田の民話 三田市教育委員会発行から)

むかし尾張の国の老修行僧が夕暮れ時、 大磯の大舟寺の参道を旅の疲れと空腹と、その上おこりという病気まで出てきて、 あえぎながら登り途中で気を失って倒れてしまいました。「このまま 死んではならぬ。もっと修行を重ね苦しむ人々を救わねばならん」気が付いて見回すと一つの灯が見えた。 「一夜 軒下をおかしくだされ」家の人が囲炉裏端に寝かせて肉親も及ばぬ介抱の甲斐も無く、段々弱っていった。「見ず知らずの遠国の拙僧に、このように親切にしていただき誠に済まぬ。 どうやらお迎えが来たようじゃ、どうかなきがらを参道のお籠堂の傍らに埋めてもらえないか。何の恩返しも出来ぬが難病で苦しまれた時は"おこりです。お願いします"と拝みなされ。 きっと願いがかなうじゃろう」と言い残して息を引き取った。家人は老僧の遺言どおりに参道の脇に埋め、地蔵さんを建てて手厚く葬った。その後大病をした時は「おこりです」と言ってお参りするとその難病が治ったといいます。 この話は村々に拡がり、お参りの人は後を絶えないようになりました。大磯の「おこり地蔵」とか 「尾張地蔵」と呼ばれるようになり、その家を「地蔵さん」と今でもそう呼ばれ地蔵さんにお参りの人が絶えません。
上槻瀬 (つくしの里)薬師堂から望む 大舟山

波豆産の石英祖面岩の自然石で、頂部を山形に削り取らず水平にしている板碑で、 薬研彫りで深く彫られた大日如来と不空成就の二仏の種子と、その下に三行割りにした銘文が刻まれています。銘文には千部経を読誦した僧籍にある人達により勤めを終えた事を記念して造立した事・その時が暦応3年 (1340)8月の彼岸の中日であった事等が記してあります。
薬師堂二尊種子板碑は昭和61年(1986)県指定文化財
(兵庫県教育委員会 現地説明板 参照)
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