湖南アルプス縦走  太神山(田上山)〜矢筈ヶ岳〜笹間ヶ岳
滋賀 湖南(五万図=京都東南部・水口)
コース: 田上〜太神山〜矢筈ヶ岳〜笹間ヶ岳〜関津 H14年09月07日

関西100名山 太神山
校歌の山 田上中学校  ♪たなかみ山の霊うけてxxx・・♪ 太神山
矢筈ヶ岳側から笹間ヶ岳

湖南アルプス
大津市南部、田上・大石・田代にかけて広がる田上山 (たなかみやま)山地は、山肌の露出した花崗岩質の荒々しいというか痛々しいほどに風化侵食された景観から湖南アルプスと呼ばれ太神山(=田上山 たなかみやま600m)を主峰に矢筈ヶ岳562m、笹間ヶ岳433mと高度を下げながら連なっています。16号線の走る大戸川を挟んでは巨岩と展望の金勝(こんぜ)アルプスもあり楽しめますが今日はワケ有りで湖南アルプスに出かけましたが目的達成できず。田上山(太神山)については大谷河原近くの林道終点?広場に記念碑や大案内板があって、荒れた山域・砂防堰提や植林工事について説明されています。もともとは檜の古木等、緑に覆われていた山が藤原京 ・平城京の造営や東大寺・石山寺等大寺院の建築資材として古くから伐採され続けて、また戦乱期には山を焼かれ江戸時代にはハゲ山となっていたが、明治以降は国の直轄事業として植林・砂防工事が現在もなを行なわれています…。なを田上山の名は農耕神・水神である田の神が訛ったものといわれるようです。緑豊富な大昔ならともかく保水量もすくない荒れた山々ですので大雨は危険・修験の山として多くの神々を祀る"多神山"の方が似遣わしいですね。


太神山-矢筈ヶ岳-笹間ヶ岳 2002年9月7日

山域は桶井から猪背山と大石富川の林道から笹間〜天神川〜太神〜矢筈を周回H10.3.07して以来4年振り・単独でも楽しめる小さな谷を見つけ、少し沢ッてみるつもりだったが地形図なし ・土地感もない南郷東付近です。422号線から南郷洗堰を渡ると赤っぽい花崗岩の山肌を見せて湖南アルプスが見える。
関の集落から笹間ヶ岳

目指す方向はこの山塊の北方なので瀬田川を少し北上したが関辺りでウロウロ、今度は瀬田唐橋まで戻って県道16号線、やっと大戸川沿いに走り出したが田上中学校付近で目立つ堂山の姿を見ながら車で入っていけそうなところ探します。羽栗町付近で「堂山・鎧ダム」標識のある細い道にも入ってみたが直ぐに車では行き止まり。 いつかは堂山への周回コースに利用してみたいもの。森の田上公園まで来てしまった。
此処から太神山へ向かい、湖南アルプス縦走に切り変えれば田上公園を基点に周回出来そうです(AM8:45)。濡れたグラウンドに人影はありません。歩き始めて直ぐ公園の先の雑木のなかに蔓の絡まる寂れた施設が目に付きます。人の出入りも途絶えたような門柱の横に田上鉱物博物館とある。田上山は水晶やトパーズ等の 結晶鉱物の宝庫として有名な場所で、それらが展示されているのでしょうが"予約すれば見学可"の文字が妙に虚ろに感じる廃館同様!!?の施設のようです。天神川に沿って太神山・不動寺へ続く「自然の道・歴史の道」は関から笹間ヶ岳〜太神山への稜線コースと共に"東海自然歩道"になっています。
迎不動尊像

宅地と田圃の中の道を抜けるとアルプス登山口バス停(AM8:55)。大きな湖南アルプスの周辺案内絵看板と「太神山まで5.7km」標識が立つ。谷を隔てゝ向いの山の斜面には砂防のセメント板が いくつもいくつも貼り付けてある。痛々しい姿ではあるが芦屋・奥池の砂山高原のように緑に覆われて砂山の名が消えてしまう効果は有るようです。砂山やアルプスの名が薄れるのは残念ですが、太神山不動寺の常夜燈を見て、濡れた舗装林道を辿ります。御仏河原への分岐に着きます(AM9:07)。此処からは見覚えのコースですがアカマツの目立つ 林道脇には植物説明版や当然のように"松茸山入山禁止 "の白い札やテープが多くて、静かな不動寺への参道が台無しです。
泣不動尊像


先ず 迎不動尊(AM9:20)がお出迎え。此処は天神川の石跳びを対岸に渡ると綺麗な滝を出会いに落す谷に沿って鎧ダム ・堂山への急登が続きそうな登山口でもあります。 土日でも登山者の少ない湖南アルプスですが 此れから向う南側の太神〜矢筈側より北の堂山側が展望・尾根歩き共に面白そうです。左上方に延びていく林道から分かれて(AM9:28)雑木の山道に入るとちいさな「不動橋」を渡って山寺への参道らしくなってくるが、 風化した花崗岩の参道が崩れ溝状になった所が続く。尾根筋に出てヤッと僅かに見える山容も彼方此方にコンクリートの砂防堰提やブロックが目立つ。お堂(中不動)を過ぎて10分程で泣き不動の前(AM9:52)、一枚岩に浮き彫りの立派な石像で・凄ましく燃え立つ火炎を背にしているが憤怒の形相の不動様の筈が、 この不動様は半ベソかいた泣き顔のようで泣不動と呼ばれるのでしょう。
二尊門の不動明王脇侍

二尊門の途中には矢筈ヶ岳へ向う分岐があり "道不明瞭"との道標を見る。田上周辺の山は踏み跡でもなければ堂山や狛坂磨崖仏の付近等、 地図上では縦走など出来そうもない複雑な地形?なので太神山からの縦走も此処まで戻ってきます。矢筈ヶ岳も急登の始まる「笹間」分岐の出合峠まで戻って御仏河原へ向いました。矢筈ヶ岳への分岐から程なく 不動寺山門(ニ尊門AM10:00)に着く。石の鳥居には勧請縄が掛けられ、両側には本尊・不動明王を守る弟子(36不動尊)の内、優しい面持ちで手を合わせる矜羯羅(こんがら)童子と "彦根屏風絵"の武士を思わせる剣に寄りかかり頬杖をついて、 静かな表情の制多迦童子の脇侍が立っている。不動三尊の御本尊だけが抜けて本堂にいらっしゃるんですネ。しかし来る人拒まず、迎えてくれるニ尊像には暖かいものを感じます。
不動寺本堂磐座の胎内潜り

不動寺歴代住職の墓地を左に見ると下方へ林道のような広い道を分ける。 三筋の滝(約1H)を経て田代、紫香楽宮跡へと信楽町へ下る「東海自然歩道」の道を見送り程なく不動寺の本坊や休憩所!!?前を通り正面に続く石段に向います。護摩焚き等行事の行われるだろう中段の広場からは 一段と急斜の増した石段が続き、柱を組んだ舞台の上に建つ不動寺本堂(田上不動尊)の前に立ちます。 背後の大きな磐座が御神体なのでしょう。本堂と一体となった構造物は奇異な感じと、岩や大木の姿・形を崇める、素朴な神仏に対する宗教観さえ自然に受け入れられます。本堂玄関前の石段を登るり本堂と接合された御神体の 磐座の脇に出て胎内潜りのような岩間を抜けて(抜けなくても道はあり )神変大菩薩【役行者】の祠前を通って直ぐ先が奥の院。
堂山(太神山〜矢筈ヶ岳間唯一?!の岩場展望所から)

祠の数m手前左上が太神山(たなかみやま 2等三角点 田上山 600m 点名 :不動山 AM10:20)山頂です。 荒涼たる山塊から想像した湖南アルプスの最高峰は霊山でもあり、樹々に囲まれた奥の院周辺での展望皆無です。最高峰・太神山からのアルプス縦走コースも複雑な地形からストレートに 矢筈ヶ岳には続きません。先ほどのニ尊門下の"矢筈ガ岳"の標識のある分岐へ戻ります(AM10:38)。 道不明瞭では有りませんが朝のうちまで降っていた雨でコースを埋める小笹や雑草の雨露と蜘蛛の巣払いが大変です。入山者が少ない湖南アルプスの中でも特に太神〜矢筈は稀なんでしょうか。尾根歩きの展望や風を感じる 快適な楽しさが少ないせいかも知れません。
矢筈ヶ岳山頂

単調で展望もアップダウンも少ない 雑木林の続く道ですが、僅かに姿を見せる矢筈ヶ岳は山名の示す通り、期待を持たせて高く雄々しく見えます。 やっと稜上の開けた花崗岩の展望所に出て来た。僅か400mにも足りない山だが堂々たる姿を披露する堂山は コチラ以上にアルプス的な山容で広がりを見せています。今日始めて展望を楽しめる休憩場所だが、コースは又も林の中を進んで峠?に着く。出合峠といわれるが笹間への縦走路途中で、単に外レ峰的存在の矢筈ヶ岳への 分岐なんですが縦走路が尾根に続かず又も河原へ降る奇妙な地形ですね。出合峠(AM11:05)からいよいよ矢筈ヶ岳への登りです。 急斜面を10分程で矢筈ヶ岳(562m AM11:15〜11:25)へ上りつくが標識やプレートがなければ三角点も無いので行き過ぎてしまいそうな狭い場所です。正面に下降して行く踏み跡があり少し辿ってみます。 上手くいけば引き返さず行けると思ったが方向はとんでもないオフコースのようです。
大谷河原付近の池

作業用の赤テープが続いていますが此処は地元の登山者に試し山行で確認して欲しいですね。 山頂へ引き換えし出合峠へ戻ってヒメコマツが群生する矢筈ヶ岳を後に「東海自然歩道」の道を 降りきると小さいが、いつもぬかるんでいそうな小さな谷に出て御仏河原を結ぶ分岐ですが、岩井谷林道に合流するコースを採ります。何処を通っても道標完備ですが、以前は御仏河原へ下ったから反対コースをとっただけです。 登り口脇の谷に堰提が見え、此処で汗を拭いて最期の水分補給場所。緩やかな登りの後、トンボの舞う小湿原を過ぎると二つの池があって、どちらの池端でもサギソウの白い姿を見かけます。池を過ぎ大谷河原へ出て林道終点のようなただっ広い広場に着くと"田上山"についての説明大看板と広場の奥!!?に記念石碑が見える(PM12:35)。 山頂へは300m程の地点。此処へは前回・富川町側の林道から登ってきた所だ。同じコースで笹間ヶ岳に向かう。関津(せきのつ)への道標分岐から 数mで平坦地に三角点と正面に8畳岩のある笹間ヶ岳(443m 3等三角点 点名 :権現山 PM12:40)に到着です。
笹間ヶ岳山頂


大岩へは正面から斜上バンドにステップを拾って登りつくと 雲活きは怪しいが眼下に琵琶湖が拡がり 湖面の右側には三上山や同日登った金勝(こんぜ)アルプスの鶏冠〜竜王(H10.4.12)が、湖面を左側へ移すと比良・比叡を真向かいに見て瀬田川の流れを見て岩間山や千頭岳〜音羽山(H12.4)、 間近の堂山、振り返ると辿ってきた矢筈ヶ岳と太神山が樹木の間に場所を移動すれば山頂付近が見える。岩の頭部は平坦なので展望と休憩が楽しめます。正面からの岩が苦手の方には左手に廻れば固定ロープ(縄梯子だったかもしれない!!)があって 兵庫登山会の山名プレートの下から登れます。関への降りは、そのまま「東海自然歩道」コースです。岩は雨乞い岩で西側の基部には白山権現社が祀って有りました。降り始めの最初のうちは花崗岩の感触を味わいながら 僅かばかりの間アルプス散歩の快感ですが笹間ヶ岳は信仰の山、山頂に権現を祀り、此処では木の鳥居が有って関へ続く自然歩道が参道でもあることを語っています。 直ぐに林道に(PM1:05)降り立ち山旅終了。あとは振り返ってみても笹間ヶ岳にアルプス的な風貌は微塵も見せず木々に囲まれた 丸い山容を見せているだけで岩場や露岩の稜線が控えている事を隠しています。
大谷河原付近の池のサギソウ

すぐ林道から外れ山道に入るとロープを張った鉱口が有ります(PM1:18)この山塊に産するトパーズ、水晶の鉱跡なんでしょうか!!。貯水池(田上関津図越池)の名前だけでも 周辺のは貴重な水源であることが窺えます(PM1:25)。林道は新茂智神社(PM1:35)前から、朝ウロウロして通り過ぎた車道に出て来た。駐車位置へは何処を通れば近道か知らない。堂山が見えているので見当つけて歩き出し、 もみじヶ丘を越えて田圃の横に停まっているバスの横を抜けるとアルプス登山口でした(PM2:00)。あと少しで戻れるところでしたがスンデのところでスコールのような激しい雨に遭遇… 雨宿りの場所とてなく・・・(~~;


田上山不動寺本堂 【重要文化財 大正13年(1924)4月15日指定】
湖南アルプスの主峰・田上山(太神山)は神体山として、昔から人々に崇められ田上不動とも呼ばれて親しまれる本尊 ・不動明王が祀られています。九世紀には、この太神山の頂上付近の巨岩に接して、智証大師の創建と 伝えられる不動寺(天台寺門宗 )が建立され修験の道場となっています。貞観元年(859)智証大師円珍の創建で園城寺を造営中に、田上山(太神山)に紫雲がたなぴき、金色の光が園城寺を照らした。 円珍は不思議に思い、太神山に登ったところ、一人の老翁に出会った。
田上山不動寺本堂と合体の磐座

老翁は、この林の中に霊木がある。この霊木に不動明王を彫り、 岩窟に安置すれば、この山は霊地になると言った。 そこで円珍は老翁と力をあわせて不動明王を彫り、岩窟に安置し、そこに不動寺を建立したという。本堂は室町時代前期の建築で、背後の岩屋内には仏間が造られた懸造の建物で本堂屋根は 寄棟造りの桧皮葺で小規模な本堂ですが舞台造りの特色を持ち、 和様仏堂建築の典型的な形をとるものとして貴重な建物で、御神体の巨石を取り込んで建てられています。なを正面の唐破風の玄関や礼堂は後世に増築されたものです。

【昭和63年3月・滋賀県教育委員会、  平成6年3月・大津市教育委員会の 案内板他】
耳だれ不動
雨の中でしたが、国道422号線も猪背山麓の樽井辺りへ来てしまい…車道脇に「自然の道、歴史の道」の道標と駐車スペースや「岩屋不動」の説明案内板も有ったので立ち寄って見ました。 信楽への道すがら勢多川に懸る岩屋不動橋を渡ると対岸から石段の続く参道が岩壁に彫られた磨崖仏に続きます。
磨崖仏「耳だれ不動」の阿弥陀像

此処に残された【史跡 阿弥陀三尊・不動明王磨崖仏】は大津市の指定文化財(昭和40年5月指定)となっています。この付近は、霊亀元年(715)義淵によって開かれたと伝えられる岩屋不動院・明王寺跡で、 大きく広い岩面に彫られた阿弥陀仏も当初の本尊は石造りの釈迦如来像であったといわれています。阿弥陀如来像には両脇に菩薩立像と左下には不動明王の立像が刻んであります。右方に応永2年(1369)の造像年号がみられるが直接に造像された 年号ではないようですが、ほぼ同時期のものと考えられています。磨崖仏は俗に「耳だれ不動」と呼ばれて、耳の病に霊験ありと伝えられているようです。
【昭和61年3月大津市教育委員会 案内板参照】
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