激登り・激下り・展望なしのブナ林と花の山 但馬・三川山
但馬の山 三川山 (五万図=香住)
三川権現社〜三川山〜のりと尾根・石楠花コース  2003年04月27日
ふるさと兵庫の50山 No2 :三川山(888m)
三川山山頂

例年ゴールデンウィーク頃までは残雪があり、 雪解けの湿地に咲くザゼンソウや水芭蕉を初め、春を待ちわびて咲き始める花を楽しみに、但馬の山へ向かいますが、昨年より残雪は多い様で、妙見山のザゼンソウは諦めて、シャクナゲで有名な三川山へ向かいます。 短時間で無理なく周回出来るコースで三川山を廻り、帰路の途中で三開山を初め豊岡周辺の山城を訪ねます。日本三大権現の一つ・三川権現から三川山へは林道奥に続く沢沿いの道、堰提を越え二つの沢が出会うと A・B二つのコースがあるので周回には便利ですいずれのコースも尾根に取り付くと、いきなりの急登となりますが、先ずはタチツボスミレ、ニリンソウ、直ぐにタムシバやミツバツツジ、 続いてシャクナゲのトンネルを潜って進むと足下にはイワカガミが小さな頭を下げて迎えてくれる花巡りコースです。ただ(B)奥の院コースを登りに敬遠する理由は後程わかります・・(^~;・・・次ぎの三川山の来訪は紅葉の時期ですね。 例年5月初旬には「但馬中央山脈縦走大会」が催されていて妙見山をから蘇武岳〜三川山へと縦走されています。折角の兵庫北部の残雪尾根も大部分が基幹林道が尾根上に通じていて興味は薄れてしまいます。

三川権現社〜(B)奥の院コース〜三川山〜(A)のりと尾根・石楠花コース H15.04.27

豊岡市街地から R178を西に向かい土生トンネルを下ってくると、 下岡から鋭角に左折して佐津川に沿って狭い車道を詰めて行きます。遠くに見えている起伏のない緩やかな大きな尾根のピークに電波塔を載せる三川山は、蘇武岳〜妙見山を繋いで毎年この時期に、 八鹿町が主催する「但馬中央山脈縦走大会」が行なわれ、名草神社をスタートし三川山の権現社をゴールに実施されています。そのゴール地点の三川権現社から三川山へは「(A)シャクナゲコース」と「(B)奥の院コース」があり二つのコースで周回しますが、山の姿からは想像出来ない急登続きの山です。赤い欄干の橋を渡った所に駐車スペースがある。 三川権現水の案内標を見かけたので名水の取水場が近くにあるのでしょう。三川権現社の境内前のスペースに駐車したが5月3日には但馬三大祭の随一としての祭礼があり、大護摩供養等準備の邪魔にならないよう、 登山者は此の先に広い空き地があるので其処を利用されるのが良いのかも知れません。
三川山 (Aコース)残雪と爽緑のブナ林

三川権現(AM6:45)では早速に此の山のシンボルで香住町木の石楠花お出迎えです。砂防堰堤を越えて川を渡ります。葛が絡まった倒木?・・流木が岩に引っかかっているような !!渡り橋を過ぎる谷の合流点附近にはニリンソウも多い。大きな白い板に「三川山」の文字が見える(AM6:55)。此処が「シャクナゲコース」と「奥の院コース」の分岐だがドチラを採っても素晴らしいシャクナゲコースなので修験の道を奥の院へ向かいます。 山道を覆うシャクナゲとツツジの枝花で直ぐに腕や膝が濡れるので雨具を着用して進む。何処までも露岩雑じりの細い尾根の急登が続きますが足下には、雨で脱色したかのような白っぽいイワカガミが頭を下げてのお出迎え。 切立つ両谷に挟まれた断崖には鮮やかなツツジとシャクナゲのピンクが見事です。もっといい場所をポイント探しながら結局写真には撮れなかったが・・・(^^;
今回初めて訪れたので奥の院の場所は知らないが シャクナゲのトンネルを抜け出てくると、最も此処らしい!!?と思える尾根上の緩やかな狭い台地がある。左手谷詰めのルンゼには3〜4段の滝が掛かりスノーブリッジを突き抜けて白布を長く延ばし、滝音は何時までも周囲を震わせています。 三徳山のように尾根上に堂宇が連なっていたのかも知れません。滝や岩壁を望む絶景のビューポイントですので摩崖仏があるといわれていますので!!?その遥拝所だったとも思えます。天文7年(1538)の雷火や天保3年 (1832)の大土石流によって失われた奥の院の伽藍は規模は分かりませんが、此の先・水平道から谷筋に入る杉林の中(山頂へ約900m地点)か山頂手前の緩斜面を考えるのが妥当かもしれません。先へ進むと尾根を捲く水平道となり、 残雪が現われ谷筋に入り雪渓となって続きます。此れより山頂へは随所に残雪を見て関西電力三川山無線中継所へ出てきます。NHK香住テレビ中継所前に山名票と「但馬中央・・・」の記念標板が建てられていて、三川山で唯一の展望が得られます。 僅かに見える青い海は佐津の柴山港でしょうか!!竹野か津居山港か!?地図と磁石があれば同定出来るのですが…(^^; 三川山山頂(888m AM7:55-8:10)からAコースへの下降点で大柿氏のプレートを見かける。 MTB担いで乗車率0%に近いA・Bコースを走破されたのでしょうか!! Aコース(のりと尾根・シャクナゲコース)も中継施設から道を分けると 植林帯の中の残雪に道を見失いがちになるが下るにつれて山道は判然としてきますが濡れた土の急な坂道は滑りやすい。展望も無く谷筋も見えないが、展望を覆い隠しているのが爽々とした淡緑のブナ林です。 ザレた急斜面の九十九折の細い踏み跡も傾斜が緩み露岩雑じりの尾根筋を下るようになるとシャクナゲの花が周辺を一段と華やいだ雰囲気に包み込みます。
日本三大蔵王権現・三川権現

数組の登山者と行き交う、 もう8時半を過ぎている。ゆっくりし過ぎたのかな・・・奥の院コース側の谷から沢の音が聞こえてきたと思ったら直ぐに尾根取付くに降りて来た。 其処が権現A・Bコースの分岐点。三川権現社へ戻ってくると(AM9:00)本殿前に軽トラから、杉束なんかを運び込まれています。但馬の三大祭の一つとして5月3日におこなわれる大祭の準備中です。山陰屈指の霊場 ・但馬国総祈願所「三川権現」は第40代・天武天皇の白凰3年(674)に役行者(神変大菩薩)によって開創された古霊場で吉野山(奈良・吉野郡)・三徳山(鳥取・三朝町)とともに日本三大蔵王権現の一つに数えられ歴代の國主、 諸公をはじめ一般の信仰も篤く、隆盛を極めていました。天文7年(1538)には雷火によって奥の院を焼き伽藍を焼失し一時再建されたのですが、天保3年(1832)但馬有史以来といわれる大山津波(土石流)で奥の院の伽藍堂宇等建造物の全てを流失 ・埋没して失います。時の出石城主仙石氏、村岡城主山名氏の両公らが再興を計ったり、高野山大僧正ならびに信徒らが蔵王堂等の再建を図るが、流失以前の規模には復せずに現在に至っている。近年では、 年間をとおして多くの参拝者が訪れますが但馬三大祭の随一として5月3日の大祭では全国各地から山伏や行者が集まり、「知恵の火で煩悩を焼く」という大護摩供養が行われます。ご祭神蔵王権現(菩薩一刀三礼の御作)
 【三川山縁起参照】
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