丹波の霧海特選路 五大山~愛宕山~鷹取山~五台山 西岩山(香良城)
丹波市(五万図=福知山)
安養寺~愛宕山~五大山~鷹取山~五台山~鴨内  2001.11.23
毘沙門堂~香良城(西の岩山Ca340m) 2004.04.09
毘沙門堂~香良城(西岩山)~林道~小野寺山~五台山 2008.03.04
五大山・小野寺山頂より黒井城~千丈寺山を望む

校歌・故郷の山:♪そそりたつ五台の山に…♪前山小学校         
   ♪みどりすがしい五大山 遥かに仰ぐ…♪三輪小学校
ふるさと兵庫の50山: 五台山
近畿の山城 : 香良城

五台山は香良の登山口に岩滝寺(がんろうじ)や独鈷滝前の石段を登れば岩窟の中に浅山不動尊があり不動明王が祀られています。不動明王は不動、降三世、軍茶利、大威徳、金剛夜叉の五大明王の大将 ・煩悩を断ち切り、行者を守り請願を満足させる仏様で 「山であそぼっ」島田さんのレポートでも 親不知への五つの峰を
小野寺山山頂から五台山(右)から安全山・氷上盆地の霧海

五大明王に見立てて徳尾の大原神社から入峰して親不知(金剛夜叉)・五台山(軍茶利)・鷹取山(不動明王)・五大山(降三世)、 これに愛宕かクロイシ山(大威徳)を加えて…とあります。吼子尾山から見るクロイシ山は実に雄々しく立派な山容なので 五峰の一つにしておきたいところです。 天平の頃・聖武天皇の勅命を受けて行基が中国山西省にある五台山3058mに似た山を探して全国行脚して五台山と命名し(文殊菩薩が住む聖地として信仰を集める)たことに由来する神聖な山です。
五台山山頂から氷上盆地に消え行く霧海を見る

五大山の山号を持つ白毫寺は(比叡山の慈覚大師が来錫してこれらの山々を巡ってより回峰行も行われ山岳宗教の軸ともなっていたようです。五大山の麓に白毫寺があり五台山山頂には近年になってからですが 文殊菩薩像が祀られています。この山稜で特筆すべきは石生に谷中日本一低い分水嶺(水分れ)が有り、此処から北へ向う稜線の西には加古川が瀬戸内海へ・東の竹田川は由良川を経て日本海に流れ出ます。



霧海展望の特選コース  安養寺~愛宕山~五大山~鷹取山~五台山~鴨内  H13.11.23

五台山は多くの山ガイドやWebに紹介されるが、安養寺からのコースや五大~五台の縦走レポートは少ない よう!!??。R175号線から丹波の森街道(青垣・柏原線)県道 7号線の桟敷から安養寺へ向かいます。五大~五台の稜線の中でも 特異な丸い山容が周辺の山や里からも目立つ愛宕山へ北由良・登山口にある安養寺から出かけます(AM7:20)。
愛宕の覗き岩から安全山・弘浪山

愛宕山に向う林道入り口ゲートの留め金を外して道なりに進みます。堰提の前で左手の斜面を登っていく杉林の中に 山道が続き入口には注連縄を渡した石柱が有り「愛宕山道」の標識も有ります。参道を少し登りはじめると 足元すぐ左側の岩場に 大きな鉱口があり先で二手に分かれて掘り進められており中で又一つになっている様!!?です。戦時中のマンガン鉱発掘跡で坑口横の岩上部に石仏が一体祀ってある。慰霊なのか、愛宕社参道を示す不動や菩薩かは確認していません。
安養寺からの愛宕山

程なく藤の水分岐で左手下へ20m程で水場に出て (AM7:40)是より10分程で西側に展望が拡がり始めると愛宕の覗き岩に着きます。目前に安全山・水山・竜~篠ヶ峰・弘浪山・白山・高見城山等西面から南への山々が見渡せます。一休みして登り始め愛宕社のお堂と 少し高みの岩場に ある京都愛宕山の遥拝所の中程に出てきます。愛宕山(570m AM8:20)のお堂前には石燈籠があり 「寛保…(1741~)」の文字が…滅多に山行では記帳などしないのに 此処へ来ると下手な文字で何か書いてしまいます。なんと翌日にはメール仲間の目に止って恥の上塗りになってしまいました。
京都府の弥山山や青葉山を望む

遥拝所からは樹木の影で何も見えないが眺望が効けば京都愛宕を始め多くの山の展望が 楽しめるはずです。高圧送電線鉄塔の先の五大山迄はホンの1頭足なのですが短い距離ですが岩場の急登降です。初めてならスリルと緊張の味わえる要注意箇所です。鉄塔を過ぎて五大山への登りで振り返れば西南面の山肌には 紅葉と荒々しい白い露岩を見せる愛宕山が下方に拡がる霧海の上にあり、贅沢な展望を楽しめます。 また愛宕山の険しさを安養寺から見上げた時同様に再認識させられます。五大山山頂(569m AM8:35~9:00)からは三方向にコースが分かれます。
五大山より鷹取山~五台山

直進して高圧線沿いに南へ向うと 亀の座~天王坂から霧山へ、左手の道標に導かれれば白毫寺へ中ほど左へは ヨコガワ峰~千丈寺山~黒井城へ向います。五大山山頂からは此れから向う鷹取山(氷上槍とも呼ばれ109号線の賀茂辺りからは五台山の台形と愛宕山の丸みの間にあって一際、鋭鋒天を突く風情が 望めます)から小野寺山・五台山へ続く稜線の起伏と霧海の雲上散歩を期待させ ワクワクする魅力を感じさせてくれます。元来た道を愛宕山へ引き返すが愛宕社の裏からは激降りが待っています。鞍部(AM9:40)からは左の谷に向って安養寺へ降っていく踏み跡もあります。
岩滝寺

此処から五台山へは道も明確なのでルート説明は省略します。登り返して稜線も 緩やかになりますが藪っぽい場所もあり 左の枝尾根に入いらないよう注意だが、テープ類も時々現われ・踏み跡はハッキリしているが荒れているので正規ルート!!ではないので引き返したほうが無難です。五台山を望む露岩部でほぼ行き止まり状態になりますよ。 植林帯の急斜面を降れば枝谷を経て独鈷滝付近へ降りられそうです。この枝尾根の先にも明瞭な杣道が左方向に降っているので踏み込まないよう 春日町寄りに進めば大丈夫。氷上槍の鷹取山山頂(4等三角点 566m AM9:45)には三角点横に「大正6年建立・雷大御神」石標が有る。正面の樹木の間からは 霧海に浮かぶ黒井城址や妙高(高谷山)や三尾・多紀の山々が浮かんで見えます。
露岩を覗かせて起立する西岩山(香良城)と悠々とした五台山

三角点周辺が切開かれているだけの藪山は近年・エルム市島からハイキングコースが整備され、素晴らしいベンチ付き展望台に変貌している。愛宕山に続き鷹取からも山頂からは激降りです。下りきった鞍部から岩瀧寺側へは 荒れた谷筋沿いに奥なめり・口なめり・一の谷を経て独鈷滝からの五台山コース牛の首・藤の目に降りてくるが、これ等の谷周辺は松茸山の為シーズン中は入山禁止です。野寺山から大きな案内板が示す鷹取・愛宕へは一般ハイカーなら 「こんな所を通るの…」と思うようなルートです。そんなルートから小野寺山(645m AM10:25~40)に飛び出してきますが目前1~2分のところがフィナーレを飾る五台山が今回コース最高所の展望台です。円形の方位山名案内磐もあり多紀アルプスから松尾~白髪・大江山・姫髪山・三岳山・烏ヶ岳~鬼ヶ城・篠ヶ峰~竜ヶ峰・岩屋山・ 粟鹿山から千ヶ峰…へと見飽きることない眺望に思わぬ長居をしてしまうが 五台山へと散策道を進みます。
西岩山(香良城本丸)東から岩瀧寺背後の岩峰と鷹取山

左手からは独鈷滝からのメインルート・右手からは鴨坂ルートの十字路を過ぎて文殊菩薩像が祀られている五台山山頂(2等三角点 655m AM10:42)に着きます。 氷上方面に霧は晴れかかってはいますが未だ霧山(氷上城)近くにある小さな二つの島甲賀山/明治山は姿を現わしていません。 是より北方・鴨内峠への道は峠へ下る山道と別れ正面の稜線通し。今年の春にみぞれ混じりの雨で挫折した井階山への逆縦走です。 取り付き始めは不明瞭な道もやがて明瞭になり境界ポールも現われるが、 段々と稜線から外れ谷に向って下ります。見覚えのルートのようだが 少し不安です。オマケに下方では何発もの猟銃の発射音や多くのイヌの鳴き声が聞こえますので引き返しながら目ぼしいピークに取り付く尾根に見当つけて激降りして 隣の尾根に乗ると山道が現れました。
岩滝寺の山門

ルートを変えたのが大誤算で ワザワザ正解の尾根を外し枝尾根を伝っ鴨内の林道 (AM11:55)に出でしまった。こんなことなら五台山~鴨内峠経由がスッキリした縦走コースになる。鴨内から県道7号線日比宇公園(PM12:30 水分 をテーマの 石造モニュメントがある)~伊佐口(井階山は 此処の稲荷社から取り付きました)を経て 加和良神社(PM12:45 鳥居横には氷上郡の名木百選・ムクの木を見て)前を抜けて 「香良の独鈷滝」へ向う車道を横切ると 駐車場完備の休憩所があります。車道の終点は五台山と鷹取山・その前方には滝や 浅山不動尊付近の露岩も荒々しい山肌を見せた五台山登山口です。新しく天王坂方面に向うのでしょうか!! 広域農道が出来ています。
浅山不動尊

この道をとって山の鞍部を目指します。その鞍部を越えれば出発地点の安養寺へ 出られるはずです。愛宕へ向う際に確認した林道へ出られればと 見当つけてのルート選定でしたが、 古い峠道を採ることが出来ました(PM1:05)。峠には磨耗して姿も良く分からない小さな石仏があるが刻印は何処にもありません。倒木等で荒れてはいますが峠道はハッキリしています。…が数10mで忽然と道はなくなり、 何かの開墾地のような湿地帯に出てきました。雑草が倒された獣道を伝って此処を抜けると安養寺近くの民家も見えてきて寺より随分南側の河川工事現場の架け替えの為に外されてしまった橋の前に出てきました(PM1:30)。
=====================================================================

香良・独鈷の滝と岩瀧寺

【独鈷の滝】
五台山の登山口にある岩滝寺 (真言宗大覚寺派の尼寺)の山門を潜り、茅葺の本堂から春秋の草花を愛でて滝に向います。落差約18mの独鈷の滝は、 弘法大師が大蛇を退治するのに滝壷に独鈷を投げ入れたとの伝説があり、また剣豪・浅山一伝斎がこの滝で修行して浅山一伝流兵法を編み出した所でもあり、其の説明板も岩瀧寺の参道途中に建てられています。 寛永9年(1632)の御前試合に勝って剣名を轟かせています!!。北は仙台藩・南は薩摩藩に至るまで、その流派は全国20余藩に伝承され、今も警視庁流の中に受け継がれていると聞きます。
独鈷の滝

浅山一伝斎壁書【1:武芸は其身に慎1:心掛けは手柄の基 1:心遣いは分別のイロハ  1:堪忍は忠孝の下地1 :短気は未練の相 1:がさつは臆病の花】座右の銘に如何…滝の前の石段を登ると暫らくは藤ノ目渓谷に沿って進む五台山への道、道標を見て左手には大岩を背にした浅山不動尊があります。この堂の裏は奥行15m程、高さは12~3mの洞窟の中に不動尊が祀られています。岩瀧寺は1200年の歴史を断崖・奇岩 ・幽谷の山中に伝えます。弘仁年間(810-24)嵯峨天皇が住吉明神の霊夢により此の地に弘法大師を巡錫させて伽藍・坊舎を建立整備させられたと伝えられます。
不二の滝


天正年間(1573-92)兵火(明智の黒井城攻め時か?)により全山焼失したといわれますが、それ以前・弘治元年(1555)此処に足立氏の 香良城が有り赤井氏との熾烈な合戦【香良合戦】があり、その際・登城口となる山裾にあった岩瀧寺の堂宇が焼き払われたと思われます。再建されていても同様に、明智軍によって焼かれたのかも知れませんが?…。 関が原合戦以降(慶長1600)丹波の領主となった別所豊後守によって再興され、さらに宝暦5年(1755)には三田藩主・九鬼長門守隆邑(たかむろ)の発願により護摩堂が再興され、さらには嘉永6年(1853)三田藩主・九鬼丹後守精隆(きよたか)??や柏原藩主 ・織田出雲守等によって当山興隆に努められたといわれます。


 香良城

香良城
  西岩山 Ca340m   氷上町香良 【登山レポートに含めます】

毘沙門堂(極楽坊遺跡)~香良城~作業林道終点~小野寺山~五台山~独鈷滝 2008.03.04

175号線から丹波の森街道(青垣・柏原線)県道7号線 「桟敷の交差点」を右折すると黒井城のある春日町と香良城のある氷上町を結ぶ天王峠に向かいます。香良合戦は弘治元年(1555)細川晴元側の赤井時家等赤井氏・荻野氏一族と、 晴元に背いて細川氏綱方の三好長慶・松永久秀に付いた沼城芦田上野介光遠、山垣城 足立権太兵衛基則の連合軍が香良に集結した戦闘で三好勢は芦田・足立勢への参軍が間に合わず 敗走したようだが、敵・味方共に多数の戦死者を出しながら勝敗を決していない合戦だった。
西岩山(香良城)取付点:毘沙門堂参道

…が香良城の存在さえ地元でも知る人は少なく合戦に関する資料も無い。 此の香良城がとても舞台になったとは思えない程・攻めるに難く、籠城するにも厳しい城砦です。芦田・足立氏一族は悉く戦死・前年(天文23年・1554)叔父荻野秋清を殺害して黒井城主となっていた赤井(荻野)悪右衛門直政も重傷を負い、 春日領内に逃げ帰っ香良合戦は、源平合戦以来繰り返された丹波の合戦の中でも最も激烈を極めたもので、赤井時家・家清や (後黒井城主となり奥丹波に威勢を張り、但馬:竹田城をも攻め落とし「丹波の赤鬼」の異名で知られる赤井直正)等が奇襲します。
毘沙門堂と極楽坊跡

赤井信家は戦死、家清(直正の兄)も深手を負い帰城した数年後に死去、 近くには霧山城(氷上城)があり波多野宗高(西波多野氏)【親戚筋の八上城波多野秀治 (東波多野)】は赤井氏方に付いていたようです。 其の後の赤井氏が台頭し芦田・足立氏は赤井氏傘下に入り氷上郡内を一党支配します。…とはいえ丹波の中世史を語る城砦やその城主、 城史等の資料が殆ど無く情報源は「丹波志」と昭和48年発刊の芦田確次・村上完二氏等による研究共著”丹波戦国史”及び旧氷上郡教育委員会の「埋蔵文化財分布調査報告書」に頼ることとなる。
香良城東郭(一ノ丸):露岩の切岸と西面の帯曲輪

「桟敷の交差点」を過ぎると 直ぐ左手に目につく「香良・独鈷の滝」の大看板と右手前方には 五台山の悠々たる台形の山容・天を刺す尖峰の鷹取山を背景にして、香良病院の背後には急峻な露岩の鎧を身に纏って立ちはだかる五台山前衛峰の岩山が迫ります。この岩峰尾根の山頂部一帯には城主・築城目的や時期等の城史は不明だが室町時代中期・応永年間以前(1394~)小室城主・芦田氏隆盛期の砦とも思える 香良城が在った所です。
香良城東郭:土塁を挟む二重堀切?(山道になっているが…)


駐車場から 岩瀧寺と独鈷の滝・浅山不動尊への参道を進むと、左手に毘沙門天の赤い幟や、県の遺跡分布地図にも記載されていな"古蹟極楽坊跡(極楽坊谷古跡)・毘沙門天洞"看板を見て柵で囲われた毘沙門天へ参道を登ります。周辺には数多くの堂宇・僧坊跡の石垣や石積みを残す削平地が有り、西側隅の大岩の前に毘沙門堂の祠があり左右の隙間?から毘沙門洞の岩室内に入れる。西岩山(香良山城)はCa340mのピークと、 直ぐ西下方にあるCa320mの双峰を繋いで 広いところで
三ノ郭より望む香良城東郭(一ノ丸)

幅10m程の瘠せ尾根上に小規模な削平地を残し、自然地形か僅かに土塁の高まりを感じさせる場所もあるが堀切・竪堀・曲輪の切岸さえ不要な程、近在の城と比較しても際だって急峻…というより岩山・露岩の峻険な断崖上に築かれた・これ以上を望め得ない程の要害。 西方約2kmには丹波市最北端の宿場町佐治を経て遠阪峠へ向う山陰街道を望むが、要衝監視にしては少し遠いし、 小野寺山と鷹取山の間を越えて市島町乙河内・美和へ抜ける間道は有るが、これ程の嶮しい山上に監視の砦を築く重要性が見出せないが…果たして?。
香良城からの展望(正面に安全山.・水山~カヤマチ)

慶長年間(1600)頃以降に別所 豊後守吉治 (三木城主別所長治の遺児と云われるが?:別所重棟の子)~嘉永6年(1853)頃の三田藩主九鬼氏や柏原藩主織田出雲守 (最後の藩主信親の事か?柏原藩後期織田氏は6代目を除き・2代目から最後の10代まで出雲守と山城守…?)によって再興され、隆盛を極めた頃の 遺構なのかもしれません。香良城址・西岩山の表示があり毘沙門堂のある此れより西の岩山山頂に城があったと云い、隠し谷・城ヶ腰等の名が残ります。城域は岩壁で取り囲まれており文字通りの鉄壁の構えです。
香良城東郭の断崖から西郭(三ノ丸)・更に南西下方に四ノ丸が!!

以前に駐車場側の小祠の鳥居裏手の ルンゼ詰め・殆ど岩登り(昔の岩登りグレード1〜2級程度)然とした西岩壁の岩場をすり抜け、登ってみたが両岸が切れ落ちた細い尾根に登り着くと 狭いが平坦地が有り中央に見張の櫓台跡か?土壇状に盛上がる台地がある。此処が三ノ丸か!・深い谷を 挟んで東正面には起立する露岩に鎧を纏った香良城の主郭を置く 西岩山を間近に望む。「丹波志」に陣小屋跡と云い見張り番小屋でもあったものか?。 尾根端から見下ろしても、あの時・何処をどの様に登ってきたのか思い出せない程!!。
香良城東郭(主郭?)東面障壁岩の切岸

直ぐ東150m程で主曲輪だが其の間・三ノ丸にかけて城域を 東西に区分する鞍部岩場を通過する。
此処に 浅い堀切状をみるが急峻な東郭(一ノ丸)切岸下部(山腹)を捲いて西尾根(西郭)へ通じる古い杣道が溝状に岩間に斜上してくる。此処から二ノ丸の細長い削平地 (8X30m程)に入ると、平坦地形の尾根筋両側に帯曲輪が付随している。帯曲輪西端か らは北西下方へ急斜面の枝尾根が延びる下降口に一条の竪堀が落ちる。 二ノ丸の尾根側は東端から主郭側へは露岩帯の尾根筋(左右・東西端は堀切状)を廻り込む細い通路に土橋にも思える部分もある。
香良城東郭(主郭?)北切岸の土止め石

15mX30m程の 不整地で削平も粗く斜傾した本丸に着く。山頂に石垣の一部が残っているというがわからない。曲輪西端部の切岸(段差)面には曲輪を広く保つ為の土止め石積が遺る。 此の西面石積が切岸を立てての防備補強でないことは・斜面の6~7m先の下部に岩棚があるが其の先は10数mの断崖なので不要でしょう。 東北の尾根続き…といっても此方も急斜面。毘沙門堂から正面のルンゼ状を尾根筋に登り着けば城跡にダイレクトに行けそうだが上部になるほど急斜・浮石も多く危険です。
香良城西郭(二ノ丸)西北角に落とす竪堀

踏み跡の続く右手拠り(東側)の浅い谷のガレ場少し上方まで堂宇跡らしい石積や狭い平坦地が続く。此処を登ってくると五台山からの主尾根続き・東北の尾根に登り着きます。 尾根筋北側を伊佐口(香良病院西側の谷川沿い入口)へ下る広い(3-4m幅)の林道が此処に通じでいる。2014年夏の豪雨による土砂災害では毘沙門堂からの登路を断たれ、 此の林道も簡易舗装のコンクリート道さえ地盤が削られ・崩され・捲りあがり、斜面の地盤が林道上にズレ落ちて道路端を残して埋もれているところもある。
ニノ丸は尾根上の長い曲輪:左右に帯曲輪が付く

林道が丘陵部を捲き込んで大きく五台山側へ向かう峠部から右手尾根筋に移るところから香良城域に入る。此処に規模の大きな蛇行する竪堀状を見るが、林道が通じる以前に・よく踏み込まれた古い山道。続いて二重堀切状を越えるが此処も外側は山道らしく、下方で先程の竪堀状の溝下方に移ってゆく。大土塁状に”山の神”の 標示板が有ることからも山仕事道。田圃へ供給する水源地帯でもあり・更に其の田の神ともなる山の神が祀られていても不自然ではない!!。
西郭南端三ノ丸の南西下にある曲輪(小屋ノ尾<仮>曲輪)

二つの山道の傍・中間部に”山の神”が祀られていることからも林道と思える。 …が外側は山腹を捲く道筋を堀切に繋げて利用したものかも?。内側の堀切からは直ぐ香良城最高所の郭東面に岩盤を覗かせる10数mの障壁が立ちはだかる。南寄りに巻き上がるのが無難だが北正面を攀じ上る曲輪端に土止め石積を見る。 土止めの石列は西尾根側の曲輪群にも見るが竪堀を二条ばかり(一本は疑わしいが!?)北面に観る。最高地点西岩山(Ca340m)山頂を主郭と思っていたが 遺構や規模からは寧ろ:降ってゆく西尾根側の二ノ丸から四ノ丸曲輪から成る西曲輪群のうち尾根筋両サイドに帯曲輪を備える二ノ丸が主郭と思われます。
西郭:ニノ丸稜上の長い曲輪:左右は帯曲輪

最高所の東峰から西峰の曲輪群へ降り始める露岩部と岩稜部端の間が堀切状を見せる個所もあるが、此れも山腹を捲いてくる山道跡か?。 これ程の峻嶮な要害地にあって尾根を遮断することもない堀切が、二つの城域を分ける意味合いも不明?なうえ岩を穿ってまで苦労して堀切る必要性も感じられない。 香良城は四郭群で構成されているようですが、実は西尾根最西端の曲輪から20m程・露岩部の急斜面南下部に長さ20mx幅5-8mのⅣ郭があることを、Web等レポートには見ないが,削平も良好で綺麗な平坦曲輪があり、土塁状・土止め石列が遺る。
香良城ニノ丸西南端:空堀状から尾根筋の二ノ丸と東側帯曲輪

登山レポート追加としては以前 :観光駐車場側から上部に延びる切り立つ岩場を伝い登り切り、やっと両手が空いた(外れた)平場の尾根上に登り着いたところが此処だった。”丹波志”に云う陣小屋(小屋の尾)跡なのかも!!?。一ノ丸(最高地点に在る東郭)側にも一 段帯曲輪が延び西北部を占める主曲輪との段差には 自然の露岩部 ?の石列が切岸状に並んでいます。尾根に続く北東側の急斜面を 斜めにカットする踏み跡(獣道)を辿って、尾根部に残る二重堀切らしい鞍部に降りる。
香良城主郭と東下の腰曲輪

其の先に上ってきた山道が堀底道状になって北側を伊佐口に向って下っていく。作業林道は伊佐口からの谷を詰めて香良城域の北の肩を 東に廻りこんで…広く削られた林道が平行して鞍部へ登ってきている尾根先を見るとブルー・シートが見え、土橋状の細い尾根側に「山ノ神」に標識が立つ側から、延びてきている林道の間には深く大きな 「くの字状」の巨大な横掘のような谷となっています。 「小屋の尾の隠し谷」とは此処の事だろうか?。
南端に石塁上櫓台をもつ西郭(二ノ丸・三ノ丸)が東郭より主郭っぽい!!!

雪の林道向かいから尾根をトレースすれば五台山へ通じるが、新しく敷設工事されている林道は何処まで延びていくのだろう?。林道終点まで雪道を進んでみる。深い雪に足をとられ・雪融けでぬかるむ道に難渋しながら進む。途中で五台山への一般登山道と出会う筈なのに、 林道で寸断された登山道に目印のテープ類さえない。岩瀧寺・独鈷滝から五台山を目指すなら殆どの登山者を対象にする標識もいらないし、 林道からも直ぐ 脇にある「一の岩」が目印になってもいます。雪道に気をとられて標識も無く ・様変わりしてしまった周囲に、まったく気付かず林道から 鷹取山を望みながら此処を通り過ぎてしまった。城域東端:林道に接する大竪堀!!?は旧山道!

大きく南へ廻り込んで小野寺山~鷹取山間の稜線から派生する枝尾根の484m峰の山腹を廻る、更に一つ東の枝尾根付近で行き止りとなる。 其処から・ひたすら登り一辺倒の急峻な尾根に取付いて 雪の残る斜面に向う。稜上が明るくなってくると露岩が現れ、其れを越して尾根に出たところが小野寺山山頂30m程手前・鷹取山側に下るガレた登山道の側だった。雪上の足跡は少な く(2~3人程度か)鷹取山縦走路にはなく小野寺山で折り返して五台山を往復しているだけです。 私も五台山まで行き展望台から西岩山を望み登山道を独鈷滝へと引き返す途中で、工事中林道に出て初めて往時に気付かず行き過ぎた箇所が判った。
香良城(左)と鷹取山遠望

作業林道開設工事はH19/8/20から始まり今年(H20/3/20)迄の様なので登山者が多くなるので、それまでに標識等整備されるのでしょうが!?。【H26年豪雨により香良病院西入口からの林道入口も第二堰堤?付近からの林道 ・谷筋は壊滅・水平道上も斜面崩壊による土砂が車道を覆う。多大な被害状況から復旧は未定?。堰堤工事は始まっているが…】

   丹波霧の里HOME
inserted by FC2 system