兵庫丹波最北端の山  遠阪峠〜湯船山(小風呂)〜千原峠/-小倉富士〜玄武岩公園
丹波 (五万図=但馬竹田・福知山)
T 兵庫丹波 遠坂峠〜湯船山〜千原〜千原峠〜遠坂  2000年07月15日

U京都丹波 玄武岩公園〜湯船山〜点名:大津〜小倉富士 2001年05月20日
夜久野・中小倉付近からの湯船山(小風呂)と点名:大津(左)

兵庫丹波の最高峰・粟鹿山から東へ延びる最北端の府県境尾根は途中、遠坂峠を越えて京都・夜久野へ抜ける丹波と但馬を結ぶ交通の要所でしたが、今では遠阪集落の手前から遠阪トンネル (有料)をアッというまに但馬に抜けてしまいます。この遠阪峠の東方・京都府側の県境尾根にある湯船山(点名:夫婦岩)は京都府側ではコブロ(小風呂!)と呼ばれています。容姿端麗な小風呂(湯船山)やふるさと富士の 小倉富士にしても明確な登山ルートは有りません。昨年は@兵庫・遠阪峠から湯船山〜大津(今回の山行で知った点標名)を経て尾根を間違い夜久野へ下ってしまいましたが今回U・夜久野の玄武岩公園から湯船 〜小倉富士への縦走周回コースを辿ってみます。


T遠坂峠〜湯船山 (598m)〜千原〜千原峠〜遠坂  H12年07月15日

小倉の交差点から遠阪峠を経て和田山へ続く427号線を走ります。交差点左手上方に見える岩屋山からは、 いつもなら30数機のパラグライダーがテイクオフして大空を舞っているのに今日は朝からスッキリした天気ではありません…遠阪峠の好楽園ホテル兼レジャー施設が有り、ゲートボール雨天練習場からは、 試合中らしく審判のアナウンスがスピーカから響いてきます。好楽園から峠へ少し戻ります。地図では粟鹿山から続く尾根が此処遠阪峠を湯船山へと延びており一度はトレースしたいと思っているが 粟鹿山側への取り付きは不明です。送電線があるので巡視路が見つかれば利用出来そうです。(AM11:20)此処に県道改修工事の記念碑が建っており、踏跡とも獣道ともつかない細い道が碑の裏側から続いており、 これを利用してホテル上部の尾根に出ると明瞭な道になりますが山道ではなく古いテレビの共同アンテナ施設に続くものでした。(AM11:35)壊れたアンテナ設備からは暫らく植林帯でその先で府県境界尾根ですが 湯船山への右側は切開きもない藪のなか、それでもやっと鹿避けネツト(殆ど用を成さない程に破れ壊れている)に沿って進みます。

尾根が左右に分かれる最高地点から点名:大津へは 突然はっきりした山道になります。左手の雑木間には辺り一面に鹿の死骸が散乱していますが、乗り越えればほんの20m先が湯船山の三等三角点でした。 (AM12:00) 狭い藪の中の山頂で左端にかろうじて粟鹿山。 京都府側のゴールデンウイークに登った居母山・烏ヶ城・床尾山・三岳が望めます。兵庫県側は木々に阻まれ見えません。<湯船山は京都府側では小風呂の名がある(点名:夫婦岩)>分岐へ引き返してからの 快適な山道も点名:大津のピークの赤い布まで続きますが、此れより先で道は急に不鮮明・消えてしまいます。右手 (西側?)へ下るのが正解だったのですが地図を持たない私にとっては道はなくても 左の尾根に沿っての下降が良さそうです。物凄い急降下ですが露岩が目立つ植林の中は道はなくても何処でも下っていけそうです。やがて左右の谷の合流点に降立ちました。(PM12:40)既にトンでもなく違方向へ 下ったことに気は付きますが、尚も長い荒れた細い道を谷にそって辿り小さな集落に出て小橋を渡り車道にでました。夜久野の消防団車庫と毘沙門堂がありました。左へは小倉を経て9号線へ私は右手へとって 矢取神社前に着きました。 神社から千原川に沿って山に入って行く道をとります。(PM1:30)途中の分岐に道標を示す地蔵さんが有り小牧(福知山市)と左・遠阪の文字に嬉しくなります。 道標の石仏や石積みの残る荒れた古い峠道。今はもう山越えでこの道を辿る人は無いのでしょう。石畳も残る道ですが峠手前の最後の登りでは崩れて道がハッキリしない箇所も有りました。 此処を登り切って石仏や石標の残っている千原峠に着きました。道路地図にある千原峠とは少し距離も場所も違っているようです。福知山を結ぶ峠道も此処の遠阪へ出る峠道も千原峠には違いないようです。 倒れた二体の地蔵石仏標柱には「右・千原 左・すえ」(夜久野町千原と末)とあります。峠からは 2.5m幅の道が遠阪の427号線まで続いています。(PM2:10)

この峠を訪れるだけでも価値があります。 直接峠へは427号線の遠阪トンネル(有料)分岐から直ぐ遠阪集落の最初の民家のある千歳橋を渡ってすぐ右折して徒歩約15分。ナント峠を越える人が通る為だけに岩を穿掘削してあります。 トンネルの坑道は高さ約2m 幅1.5m 長さ約5m程で水が沁み出しているのか濡れています。トンネルの両出口には石仏が有り遠阪側のは小倉村の銘記があり花が供えられていました。炎天下の車道歩きで遠阪峠へ向かうが、 この辺りの民家も[足立性」が目立ちます。すぐ近くには全国の足立家の祖先…足立左衛門尉遠政の山垣城があり 万歳山へと登って見たいが暑くて???旧街道です。本陣跡とも思える立派な塀と屋根瓦の屋敷も見受けます。峠の駐車スペースへ戻ります。(PM2:20)

U 玄武岩公園〜湯船山(598m)〜点名:大津〜小倉富士(495m)  H13年05月20日
 
兵庫側からは尾根に出ないと目立たない湯船山も国道9号線の夜久野・日置あたりからは正面に円錐形の小倉富士と 競うかのような双耳峰を見せます。昨年の夏に反対側の兵庫・遠阪峠から登っていますが、今回は小倉富士へも縦走周回の予定ですので登山口を「やくの玄武岩公園」に定めます。休日ですが早朝の 公園駐車場はがらんとしています。まして登山に此処を利用する人など…二つの山 (湯船山/小倉富士)への明確な登山道を辿るルートなどありません。まして両山を縦走する尾根コースは境界を示す赤いポールも藪の中で見失いがちです。 玄武岩の柱状節理は30〜40万年前の宝山の噴火により流出した溶岩(小倉玄武溶岩)が冷え固まって形状されたもの。かつて採石場だった為人工的に石を敷き詰めたように玄武岩の切り口が規則正しく並んでいます。
やくの玄武岩公園

切り開きも無く境界ルート自体藪で歩けず、少し捲いては戻る繰り返し。 それなりに地形図等でルート研究・準備して出かけてください。湯船山直下の尾根と点名:大津から夜久野側に下る急斜面で数頭の 鹿を見かけましたが、湯船山から船坂峠への分岐尾根を小倉富士へ向けての僅か3〜4kmの尾根筋は切れ、外れ倒れ一本の糸ともなった箇所の多い鹿避けネットが続きますが、なんとも凄まじくネットに絡みついた 10頭近い鹿の哀れな姿を見ることになります。歯の残った顎の骨だけがぶら下がっていたり、雄々しく誇らしく自分を守っていた立派な角が命取りとなって絡まっているもの、頭部と共に長く白い脊骨をネットに載せた状態のもの 、藪の中でうっかり踏んづけてしまった鹿の屍も…彼らの多くは随分もがき苦しみ暴れまわった形跡が、藪の中に所在を示すかのように空き地となって残っています。故郷の山に触れ素晴らしい自然と対話出来る山々を 紹介したいのは山々ですが、藪とルートハンディングを必要とする山に詳細説明を付加することの功罪をいま感じています。山慣れない人、体力のない人向きの山案内や行程時間の表示にはグレード制まで導入?。 又里山では山の境界でもないところに無用な登山者のトレースが残されることや動植物の紹介についても考えなければいけないほど自然保護・登山意識は希薄になっているようです。山案内の功が実践者の 罪とならないことを願いつつレポートを続けます。  ====================================================================================================

玄武岩公園駐車場 (AM6:40)から集落の中を湯船山(こちら京都側ではコブロ)の双耳峰を望みながら小倉奥公民館へは10分程です。集落内の道を左折して点名:大津との間の谷を目指して林道を進みますが最初の分岐で右手に延びる 細い道を採りました。理由は谷筋を詰めるより湯船山へダイレクトに続く尾根を辿るほうがスッキリした山行コースと思います。しかしこの林道は短くて、直ぐ終点となり踏み跡は谷筋に続いているようです。 早く尾根に出るほうが賢明です。7〜8分で尾根筋に出ると踏み跡は明瞭な山道となりましたが、いつしか下り始める杣道ですので又々藪を漕いで尾根に戻ります。左奥に隣の尾根とその先、相当上部まで延びている林道が有ります。 僅かですが自然林の残る快適な広い尾根筋がしばらく続く道です。杉の植林帯に入れば鹿避けネット沿いに進んで湯船山山頂 (点名:夫婦岩、別名:小風呂 3等三角点598m AM7:50) です。 このルートは昨年・足も踏み込めないほどの藪の中でしたが、 山頂付近少し切り開かれ展望も少し良くなっています。三角錐の三岳山・伏見山から 龍ヶ城居母(いも)山勿論遠阪峠から延長線上に 粟鹿山までは見渡せますが相変わらず兵庫丹波側の展望は望めません。
国道9号線・日置付近から望む小倉富士
                     

京都府側の三角点から10数m先の小高いほうが県境尾根です。ここで見かけた鹿の骨の散乱も、 今は数本の断片が転がっているだけでした。前回同様、点名:大津まで5分程ですから行ってみます。此方のピークには赤い布が有ったのですがスッカリ色あせています。急斜な左に続く尾根は間違って夜久野へ下ったルートですが 数頭の鹿が横切っていきます。県境尾根に引き返し、昨年・遠阪峠から辿ってきた県境の尾根を辿ります。此方も峠への分岐付近までは下刈りされて歩きやすく以前の前も見えない藪漕ぎを思うと様子は一変しています。 分岐付近は20数本の大きな松の木もあるなだらかな地点ですが、腰を落せるほどの場所でも有りません。粟鹿山がこのコース中で最後の姿を見せてくれます(AM8:20)。此処からの県境尾根は予想に反して大変です。 赤いプラポールの境界杭など殆ど藪の中で見えません。しかも鹿避けネットが延々と続きますが沿っては歩けません。ただ此れが小倉富士へ続く稜線上にあるので藪漕ぎでコースを外れても良い案内標識ではあります。 元気に走る鹿の姿を良く見かけたが、この先はとんでもないモニュメントが続くことは先刻お話しておりますので省略です。下り続けてあまり展望もないピークを幾つか過ぎたようだが、高低差の少ない展望もない 尾根あるきにウンザリする頃、小倉富士前のピーク(478m)に着く。平坦な山頂で近くにヌタ場がある(AM9:15)。此処から先は歩きよさそうな小倉の西谷へ下ってしまいそうになるので要注意。山頂20m程手前もヌタ場があり、 そのことだけでも周囲の状況はわかると思いますが、今回も稜線から望む小倉富士は、お世辞にも素晴らしい姿で迎えてはくれません。しかも山頂は雑木と鹿避けネットに囲まれ展望も無く、暗い感じさえします。 小倉富士山頂(495m AM9:40)にはブリキの山名札が一枚掛けてあったが先週(2001.5.12)登頂の地元の登山者のもののようでした。

どの尾根を下ろうかと思案するが山頂より下方にナイロン紐が続くトレースがあり 方向も良し、それに付いて下るが何時しか藪の切れた間に、急な坂落しコースにナイロン紐が揺れています。やがて谷沿いの山道と合流した。降立った処には不思議な岩のトンネルがあリます。水は谷筋に流れず、 この岩のトンネルに吸い込まれるように落ち込んでいます。丸い竪穴のような!井戸のような!処に流れ落ちた水は真っ暗な斜め奥に続くトンネルに流れ込み随分下方にあるトンネル出口から谷に流れ出ています。 そのトンネルの中から蛙の声に混じってなんとも奇妙な(気持のわるい)声が聞こえてきます。奥のほうには夜行性の鳥でも居るんだろうか??坑道跡かどうか、自然のものだったかは観察していませんが人工的な感じはします。 山道を1分も下れば竹林のあるダートな林道の終点に出ます(AM10:10)。なをも進んで小倉最奥の細い簡易舗装道路の終点に出て田の間を抜けて集落入り口の六地蔵の並ぶ一般車道に出ますが10分程歩けば今日のスタート地点 ・玄武岩公園に戻り着きます(AM10:25)。

本誌丹波霧の里HOME
inserted by FC2 system