至山〜大谷城〜天狗岩〜石金山〜小野尻峠:〜行者山〜三組尾
�T小新屋観音〜石金山〜坂峠?妙見山 2000年04月30日
�U 至山〜石金山〜小野尻峠 2001年12月29日
�V富田橋〜行者山(402m)〜三組尾(540m)〜延命寺口2000年09月16日
�W牧野大池〜牛坂〜三組尾〜行者山〜小野尻トンネル
2001年02月25日
�X小野尻峠〜三組尾〜行者山〜牧山口〜富田橋2001年12月29日
�Y小野尻〜三組尾〜行者山〜小野尻峠〜長坂峠 2002年3月24日
三組尾・行者山と特産の正月飾りの若松

近畿の山城: 至山城(至山城館) 大谷城

�T 小新屋観音〜石金山〜妙見山(山南町) H12. 4.30

石金山-妙見山周回は集落内観音堂分岐の鞍かけ石(公民館前)から
小新屋観音経由で石金山に向かう。観音堂上の林道分岐からは100m置きに杭が打込まれ尾根道もトラロープ設置で切開き整備されたイタリ山-石金山縦走道がある。
石金山より・霧海に浮かぶ岩尾城と篠ヶ峰

小新屋観音-石金山509mへも整備された道…坂峠への道も細いがはっきりしているものと何も考えず進んでいたら 段々妙見山が遠くなる?。途中より枝尾根から谷に下り林道に出た。林道は坂峠へ続いているものと思い登り返した林道終点からの杣道?は藪となる。藪をついて妙見 山464mから尾根通しに3本の下山ルートもあるようだが小新屋へ 下るルートをとって植林帯を抜け林道入り口の松村アクア兵庫工場前に出て道なりに集落を抜け
移転された”鞍掛け石”が登山口の目印

鞍かけ石【元は岩尾城を望む○△工業南側車道脇(石碑が残る)にあった】小公園近くの駐車位置に戻り一山頑張れそうなので、もうひとつの妙見山を目指し小野尻トンネルを播磨側へ越えて向かうこちらの妙見山は笠形山939mからこの
小新屋観音

妙見山へ天邪鬼が橋を架けようとしたむかし噺がある。鞍掛石には種々の伝説がある…天正期の丹波攻めで岩尾城を攻めた 武将が此の石に馬の鞍を掛け暫しの休息をとったとか!。また此の辺りの長者が夢の中でこの石に近づいたところ、石の下から鶏の声がかすかにするので石を引き起こすと、金の鶏が三羽出てきたかとおもうと石金山から白羽の矢が降りそそぎ目が覚めたと云う。 どういう意味があったのかな…?。
(山南町誌 参照)


�U 故郷で納山・歴史と霧海の里 至山〜田高坂〜石金山〜小野尻峠 H12.12.29

県道77号線井原で岩屋谷川を渡る10数mの所にある足利尊氏に因む二重川伝説足利橋は 延喜式旧山陰道)の要衝です。R175号に出ると 旧佐治川と篠山川が合流して加古川となる井原橋の南詰めにミニ道の駅「山南仁王駅」があり北詰め側には丹波の名の語源の一つ 赤米の里:丹(あか)い米が波打つ…井原の里です。
イタリ山公園入口からR175号・山南仁王駅

山南仁王駅南詰めの公園には実物大の石龕寺の国宝・仁王像やいたり山 道のいたりは日の本の もとつ教えのほかにあらめや 国学者野々口隆正の歌碑が建つ。都を追われた公卿の親子の悲話三ッ塚の伝承も残る。小川小学校の校庭から望む「いたり山」や校歌に謳った岩屋山から石戸山へ毎年小川校区委員会やPTA・小川っ子を育てる会等の実行委員会により里山体験ハイキングが行なわれた。
小川小学校から里山体験・イタリ山(左方の丸山)へH15.10.1

今回(H15.10.01)お誘いを受けて・ 郷里の山河を山上から見せていない妻と参加して播磨国境の低山を子供たちと歩いてみた。里山ハイク至山は播丹境界尾根の末端の低山で此の先に続く尾根はなく篠山川と佐治川(加古川)が合流し加古川となる基点。朝霧で丹波の里は 白いスクリーンに映し出された淡い影のよう。山は見えず川面から立ち上る水蒸気が静寂と神秘さをたたえ僅か300mに満たない里山からも丹波の霧海が楽しめる筈だが 出発は霧が晴れた後…。
イタリ山であい公園の仁王像(吽像)から至山


道の駅「山南仁王駅」(AM7:40)周辺は釣り公園になっており 駐車場奥から至山〜石金山へのハイキングコースが整備されています。つい数年前の藪を突いてのトレースなど想像出来ないほど道標や岩場・急下降場所にはロープもセットされているので石金山までのコース説明は不要ですね。広いハイキング道の途中に至山稲荷跡(6合目)の石積みが見られ、足利尊氏が
イタリ山稲荷神社跡の石積跡

播磨-九州へ向かい再興を期し都に攻め上る際:必勝祈願した所といわれ、祠は町内の日吉神社本殿背後の岩磐下に移され鎮座します。 2m幅の登山コースが整備される以前は中継施設手前から藪の樹林間をトラバース気味に抜けて稜線に出ていたが今はその少し先・ツーカーホン関西の施設があり アンテナ塔の横から直接稜線の切り開きを辿れます。
石金山頂から岩尾城・粟鹿山・霧海の氷上町方面

NHK山南テレビ中継所のある至山山頂(3等274m AM8:00)は直ぐ其処。周辺は未だ白の世界なので下方の加古川も見えず引返し石金山への稜線を辿る。道標もあり道なりに進み展望台のDoCoMo中継施設からは東播磨の山々が霧海に浮かぶ。 此処から急な下降が続く木の葉の滑り台、下りきったところが田高坂で【田高村 寛政8年(1796)辰11月宝珠を抱く地蔵尊が祀られている】 (AM8:28)播州側の田高と山南町梶を結ぶ峠です。
石金山頂から播磨・西脇方面 H16.10.24

此処からが道なき!藪の難コースだったが見違えてしまう。急登もあるが,それだけ高度を稼いで此の先の岩場のクサリ場も期待。登り終えれば岩頭は丹波・篠山側の代表的な山々が顔を揃えて見えるのも霧海が故郷の山を選んで見せてくれているからでしょうか。5分程で滝の方展望台に着く。此処から望む石金山のアルペン的な山容が素敵です。
田高坂の東側尾根上にある石列

3分程の下降で小新屋観音からの分岐。石金山登山の多くは此のルートが利用される。分岐から20分程度の自然林の混ざる快適な 尾根道が山頂に続き最後の露岩混じりを超えて坊主頭の石金山(2等 508m)は360度展望で笠形・千ヶ峰・篠ヶ峰と山名列挙は余り意味はない…が 周囲を霧海に囲まれ眺望絶佳の山頂に憩う。霧に浮かぶ蛇山岩尾城の姿は印象的・此れよりなお西へ稜線を辿る。北へは急斜面下降してロープ伝いに小新屋へ尾根続きの
滝の方展望台からの石金山

快適ルートがあるが縦走進路は西方です。 昨年4月末このルートで妙見山(山南町の=近くに名の知られた中町の妙見山があるので間違えないように)へ迷走しながらの縦走だが今回は播丹境界尾根なので思った以上に尾根切開きが明確。石金山から見た魅力的な442mピークも側に立つと平凡な山、ただ直進して道なりにそのまま下ってしまいそう・慌ててピークに引返すと北方へも踏み跡はあった。
田高坂の地蔵さん


中町側の貯水池を見下ろす露岩の展望台で辿る尾根を確認でき樹林の間から中町の妙見山も目えてくる。 平凡な幾つかのピークを越すたび362m長谷がどの山なのか捜して見るが地図がないと判らない。途中のピークから尾根の踏み跡を見失いズンズンと 藪尾根を下ってしまう!?尾根沿いのつもりが一つ手前尾根を下ったことが後で判った。
氷上回廊(霧海の底に加古川沿い)

通過点にある長谷の僅か200m?程手前尾根を下った様で小野尻集落からの林道に出てしまう。小野尻峠を目指し林道を詰め上がり中町側からの峠に出ると不明確ながら細い踏み跡が現われ段々と明確な山道になってくる。何処から続いているのか判らないが周辺はズッと松茸山入山禁止のプレートやテープが目立ってきます。
白山・弘浪山・愛宕山〜五台山方面を望む


小野尻峠近くのピークから峠上部に続く踏み跡は見出せませんが東へ下降する道が一本あり旧トンネルの 山南町側15mほど手前で 現在の小野尻峠との中間点に出てきた。稜線に続く松茸山への登行ルートの一つです。小野尻トンネル前から車道を越えて林道を辿ります。これから 小野尻峠-三組尾-行者山を縦走して和田・富田橋へ出るつもり。富田橋からは行者-三組尾-妙見山を縦走(2000.9.16)、今年(2001.2.25)牧野大池から逆コースで富田へ出ています。


�V富田橋〜行者山(402m)〜三組尾 2000年09月16日

加古川(佐治川)の船町橋を越えると 篠ヶ峰〜延命寺山・蛇山(岩尾城)・正面には行者山〜三組尾・そして左手には僅かに残る樹木が鶏冠頭の様な石金山がみえる。 今年(H12)5月に薬草風呂がオープンして名が知れてきた薬草薬樹公園に駐車し西方の行者山-三組尾縦走が今日の行程。三組尾は点標名:延命寺山と呼ばれるが延命寺は対峙する延命寺山の麓の寺で集落としては小畑・富田・小野尻の三集落に尾根を分け主尾根は牛坂峠〜小野尻峠を経て石金山に至る播丹境界尾根から派生している。
行者山から三組尾

篠ヶ峰〜岩屋山〜カザシと 縦走して延命寺山手前のピーク辺りからは気になる山容で 夏休みの間に見つけておいた富田のポイントから出発です。この山は小野尻峠(トンネルの上)から尾根通し行けそうだが今回は冨田橋を渡り消防団倉庫より 火の見櫓のある富田公民館横へ出て正面の鳥居とお堂!に向かい林道に入る。神仏混淆の名残?これから登る山も行者山。林道のゲートをくぐり墓地を抜け短い林道終点には施設跡!貯水曹の跡かコンクリートブロックで囲ったなにかがある。 数m手前左手の暗いゴロゴロした小石の谷筋に入り踏み跡を辿るが段々急登となり、とうとう擦り落ちそうな程の急斜面を木々につかまりながらTVのケーブル敷設コースに沿って 登り詰めアンテナのポールが見えれば細い尾根に出た。細い道が現れ稜線に沿って進めば 山容が示すとおり(入道頭に登りますので急登)ですが雑木の中の道は歩きやすい。
延命寺境内

露岩が現れてくると右からの細い踏み跡と合流するが岩場はなお続きやっと登りきると行者堂跡?の平地に出る。 岩壁をバックに役行者像とその左右には手の拳2つ程の小さな鬼が従っています。左手には斧を持った二本角の前鬼と聖水の水瓶を持った一角の後鬼(ともに青銅製)。役小角に仕える鬼神(鬼・後鬼)は夫婦だともいわれ 役小角と共に山岳修行をしていた行者との説もあって呪術や妖術を使いこなす者としても知られている。行者像の岩の上が行者山山頂で露岩を伝って登ってみるが展望は皆無。)お堂を巻くように三組尾へはMTBで走行可能の小さな登り下りを繰り返す小道を進む。 三組尾との中間付近には大きな岩が道を塞ぐ。岩の上へ出てみると 2っの尖がりピークが見える 三組尾(3等 540m)と奥の方が行者山。 この先へも踏み跡が続いているので 進んでみます。
行者山の役行者像

最高点はこちらのようですので岩場混じりの平坦地は展望の良いところがある。延命寺山〜篠ヶ峰稜線の展望良好.もとの三角点に戻って峠状のところより少し戻ると西谷側への下降尾根へ出る。細い踏み跡がありますので助かります。 この道は下るにつけハッキリしてくる。尾根末端北の209mピーク辺りでは木々の間からは延命寺山がカザシを従え?(標高はカザシが高い)たつ。下りきると墓地のある山道は地図上にも破線の有る道か!車道へ出ると延命寺への分岐15〜20m手前。 天気が悪いので雨にならないうち富田橋(8:50)に帰り着く。


�W 牧野大池〜樺坂〜牛坂峠〜三組尾〜行者山〜小野尻 2001年02月25日

低山徘徊派メンバの予告山行がきっかけで超マイナーな地元の山に何人か集まる。 集合時間にあわせて出かけるがAM9:00前後には今年初オフの蛇山岩尾城の時を思わせる雪。しかし大降りの雪も直ぐ止み県道から 牧野大池へ右折するともう青空となり正面に大海山が姿を現わす。車を小野尻トンネル山南町側にデポし歩きで牧野大池への分岐で待って・ 丹波のタヌキさんご夫婦と此処で逢い集合場所へ。既に今回登山の発起人・島田さん、もぐもぐさんは集合場所に着いているとの事。
延命寺境内から望む三組尾

池端の駐車場付近は地元自治会の山の下刈りらしく既に満車状態。林道端に置いて♀タヌキさんのお見送りで出発します。林道終点から正面の堰提のある谷を右手から詰めると途中に 「島田さん曰く」金堀地蔵にこの先樺坂-牛坂間・大海山に幾つかの鉱山跡を見受け、その採掘に従事した工人を弔ったり安全を祈願した仏達と思われる)が石積みの整地に鎮座する。この先:ガレ場から谷を左へ移るが付近には当時のタタラ跡があったらしく 足元には精錬滓(カラミ)が混ざるガレ場をトラバーすると樺坂に向って踏み跡が続く。樺坂の道標地蔵(AM9:45 功徳と通行安全祈願か施主は戒名が銘記されている)此処からの千ヶ峰も残念ながら 頂上付近が望めない。 飯森山への稜線は見えるが三組尾への行程では何度も雪が降ったり止んだり・薄日が射したりと安定しない。樺坂〜牛坂へは中町・加美町・山南町を結ぶ古い峠越えで、途中石垣・石積みを残す茶屋跡や牛坂には鉱掘跡が口を開けている。 西谷からの舗装林道が此処まで上がってきている。樹間の間からは妙見山が常に右手に姿を見せており・振り返れば白い稜線を見せる千ヶ峰〜飯森山、時々カザシ-岩屋山が目立たない山容を覗かせる。小野尻峠へ向う境界尾根が右手へ下降始める分岐から 修験の峻険な!尾根歩き。三組尾手前の峻峰は岩頭にあり直ぐ下方のギャップからは・さらに深く谷に向って岩がそそりたって見える。此処が西の覗きでしょうか。 ギャップから先なをも岩場の急登ですが登り切れば岩場の展望台です。見晴らしの良い分風はあるが先ずは我慢して…村落から一気に突き上げる延命寺山〜カザシ〜岩屋山〜蛇山の城山としての様子や石積みがはっきりと見える。

行者山の役行者青銅像

高見城山〜石戸山〜岩屋山・妙見山や西光寺山・白髪山〜松尾山へと 展望は良好で直ぐ先が三組尾山頂(3等540m PM12:05〜PM12:30)。三組尾周辺には磨崖仏や東の覗きが有るというので探しながら進むがそれらしい場所・岩場は随所に見られるが分からない。山頂からはズンズンと急に降りが続く。 前回逆コースで登った時はこれほどきつい坂とは感じなかった、 MTBでも可の道のはずだったので一瞬コースを疑い先の尾根に目を凝らす。しかし前方に双ッの丸い突山を見て確証できた。随分急な降りを繰り返した後だったが、 しっかり赤い布があった。左に岩が累積する高みが行者山頂で直ぐ下の岩場に目をやれば左右に二つの小さな青銅の前鬼(斧を持った2本角の鬼)と後鬼(水瓶を持った一角の鬼)が:ちいさな石を少し刳り貫いた中に 安置されているのが見え さっそく岩場の下の広場(役行者のお堂跡の平坦地)に降立つ。この先西谷・小畑へは帰りが遠いため少し戻り小野尻へ下る此れが正規の行者道と思われ分けなく小野尻の県道に降立ち一路、 小野尻トンネルに向かう。(PM2:10)小野尻トンネル中町側出口で車を止め石仏を見て旧トンネルに向かう。閉ざされたトンネルから、さらにその上を通る峠の街道(牧野・鍛冶屋の集落に通じる)へ登ってみる。小野尻から新・旧トンネルの上を通り 荒れて崩れてはいるが広い道が通じていた様子は九十九折の道に沿って数段の石積みが残っています。峠頂部に石組の祠があり奥に二段の石積…うえの段には石仏が祀ってあったと思われる。その石仏が先にみかけた新トンネルから 旧トンネル入口に向かい最初に出会う石仏であろうとは調査員皆さんの考えの様で調査を終え一応満足して出発点の牧野大池の駐車場に戻ります(PM3:05)。


�X播丹境界から行者の山へ 小野尻峠〜三組尾〜行者山 2001年12月29日

篠山川と旧佐治川が合流して此処から加古川となる出合いに道の駅「山南仁王駅」「出合い公園」に駐車場もある登山口。先日行われた低山徘徊派オフの至山〜石金山も此処からスタートしているが私も遅ればせながら同じルートで至山-石金山を経て:更に少し先へと尾根を辿って小野尻峠旧県道86号線のトンネルまで(閉鎖され通行不可)。そして更に先へ…
イタリ山公園から篠山川と加古川の合流点

昔(昭和20年頃!!)はこの旧トンネルを山南側から徒歩で抜けて 鍛冶屋の金毘羅宮への参詣にも利用されていた。新トンネル前の車道を横切ってブロック・チェーンで閉鎖された旧県道は大きくカーブして小野尻集落に下っていくがカーブの角で山に入って行く未舗装の林道があり此れを辿ってみる。 こんな林道でも利用されているらしく深い轍の跡を残しぬかるむ道がトンネル上部に向かっている。 先に石金山から小野尻までの尾根途中には長谷(360m 4等三角点)があるが僅か手前で尾根のトレースが出来ず迂回して小野尻峠に着いたので未通過の尾根は次回:長谷-三組尾- 大海山縦走で実践したい。
行者山

峠とは反対の右手の谷に延びる明確な山道を辿り 谷通しに三組尾へ詰め上がって見る。思いのほか:いい山道が続くと期待した道は水流の少ない谷出会いを過ぎ測量用なのか?先に布をつけた長い竹を立木に結び付けられたものがあり其処から急に棘の木の多い最も嫌な藪漕ぎモードになり道も細くなる。 比較的良さそうな踏み跡も右に左にと小川を越えて蛇行する。倒木や深い藪・崩れやすいガレ場や岩場を避けての踏跡なので進路上方に注意しながら、
丹波市山南町特産の正月飾りの若松と三組尾の遠望

やがて途絶えた踏跡(けもの道)を追って尾根に取り付くが何時果てるとも判らない急登が続く。 それ程時間がかかった訳でもないが!!藪と潅木を抜け這い出たところは大海山-牛坂から続く稜線上の展望所で 千ヶ峰-飯森山 -高見城山-石戸山-岩屋山・西光寺山・ 白髪山-松尾山・カザシ-岩屋山】の拡がる露岩近く三組尾山頂直下:2分弱で到着(3等 540m)。山頂からは激降りで落葉の滑り台が続き、 樹木の間からは辿ってきた石金山からの播丹境尾根をさえぎるように山南町の妙見山が大きな山容をみせる。向う尾根の先には行者山が丸い頂を覗かせてそそり立つ。その鞍部が随分下方にある事を伺わせるが鞍部からはそれ程の登り返しを意識することもなく 行者山山頂に着くが山頂7-8m下方に岩場があり 二匹の鬼を伴った役行者像が祀られ・掌に乗る程の小さな青銅のユーモラスな鬼の姿態には親しみを感じます。
佐治川・篠山川(思出川)の出会い

前回は少し引返した山道を県道側に降りたが今回は以前富田橋から辿ったコースの逆。 西谷側からの踏み跡を認めていたので其処を下降するつもりでしたが珍しく遠間隔だが大柿氏の赤布(H12.12.XX)が残っているので彼のコースを追って山本集落に降りてきた。行者山を中心に修験の道があったとすれば三組尾が 点名:延命寺山なのでコース�Tの延命寺口へ降り立っルートがメインで 延命寺から辿っていたのかも知れない。この延命寺の背に、すっきりとした山容と先鋒を見せているのが 延命寺山-カザシ-岩屋山-篠ヶ峰のコースは何度か紹介している。石積みが長々続く猪垣に沿って墓地を抜け車道に出ると牧山口のバス停。富田橋(県道)に向って歩き始めます。西に行者山が入道頭を突き出しています。 道に沿っての畑には若松が育てられ正月の飾り松等に利用され・行者の山の山裾を飾っている。若松は山南町の地場産業で京阪神市場の70%を占めているそうで和田地区では薬草と共に盛ん。県道に出れば蛇山(岩尾城址)を眺めながら 登山口の和田小学校前を抜け旧城下町の東側へ出ると和田下町の登山口(稲荷社)です。


�Y行者山〜播丹境界尾根を小野尻峠〜長坂峠へ2002年3月24日

2001年末至山〜石金山から 三組尾縦走では播丹境界を辿りながら長谷(4等 360m)を踏めず小野尻峠へもトンネル上を通過せず旧トンネルに出て尾根を辿らず直接三組尾山頂へ向かった2001.2.25低山徘徊派のミニオフでは牧野大池〜牛坂を経て三組尾へと縦走しています。その空白地帯を埋めるべく短時間決戦の山行を決行したが藪尾根!?縦走での尾根取り違えてニアミス、 僅かの距離を残して長谷のピーク目前で尾根を踏めずして林道長坂へ降り立ちます。
さんなん仁王駅から:佐治川・篠山川(思出川)の”出会い”

小野尻トンネルへ向う集落外れの広いスペースに駐車。取付点は峠より最後の民家近く:電柱(オノジリ18W1E1)が目印。 低山徘徊派ミニオフでは行者山から降りてきた処なのでわかる。杉の植林帯に真っ直ぐ奥に向って余り広くない山道が延びている。NHK共同受信施設の「ケーブル埋設」の白いプラ標柱に沿って登れば受信施設の共同アンテナまでは 通じている。 施設の8m程先には磨耗して文字も仏像も判別出来ない石仏が立ち・枯れたシキミが周囲に堆積しているので此処まではお参りしてくる人もあるよう。 低山だが車道から直ぐ見上げる山だけに結構急登が続く。
86号線・和田大橋付近から石金山

大きな露岩が目立って現われる稜線に出たら行者山402m山頂。行く手に三組尾が聳え立つ・岩が積み重なったような山頂の 直下4-5mの岩場には中央に役行者と左右には役小角に仕える斧を携えた前鬼・水瓶を抱えた一本角の後鬼が控える。 三組尾への稜線は荒れてはいるが山道は明確です。10分程で最低鞍部に出ると楽しみの急登が待っている。5分程登った所で大きな岩場へ出て左右に捲くが 北側より南側の潅木帯が楽のよう。岩頭からは行者山と今降って来たピークが丸い山容を二つ並べる。落葉のフカフカ道を歩き少し足下に
至り山北山麓:井原橋さくら公園と旧佐治川(加古川)

硬さを感じる岩尾根になってくると三組尾(点名:延命寺 3等540m)に飛び出すが1〜2分先の露岩帯展望所で休むことにする。 蛇山から手前の延命寺からカザシ-岩屋山-篠ヶ峰 その先古天神-高釣瓶 弘浪山・五台山…残念ながら西面の 妙見山・千ヶ峰方向が開けてなく眺望半減だが此処以外に展望を楽しめる所も少なない単調な尾根歩きで牧野大池方面と 小野尻峠への分岐に着く。牛坂へ向う主尾根へは大柿布が先導してくれる。小野尻峠への播丹境界尾根にテープ等一切ないが快適な道が続く。 南側の476mピーク近くで鹿除ネットが現われ何度かネットを潜って進みます。気を良くして進みますがこの道も峠のトンネル上部には達せず
イタリ山-石金山分岐:丹波コミュニティFM805放送設備(至山城城域西端)

途中で牧野側へ降ってしまう。どんどんネットに沿って降り始めるが車の音が聞こえてくる峠近くで道は急に不明瞭になる。 藪を突き抜けて尾根通しか谷へ降るのか判らない状態の下降で新小野尻トンネル上から小野尻へ抜ける古い峠道に下りてきた。此処は低徘オフミーティングでトンネル付近を探索した時通った道。小野尻側からの荒廃した車道終点(PM12:20)から 石金山へ続く境界尾根に取付く。踏み後程度の道だが境界プラポールと赤黒の木標もあって10分程で旧小野尻トンネルへ 降った山道に登りつめます。付近は松茸山で小さなコブ毎に「三ヶ村山林委員会」の立入り禁止表示板が立つ。その為踏み跡は稜線を外れ
イタリ山山頂

思出川(牧山川・中町の鍛冶屋集落)方面に降るか外れ峰の点名:小野尻峠に向うようです。長坂峠の手前で355mピークの方に寄ってしまったようで 時間がなくそのまま藪を降って林道に出てしまった。20分もあれば行き着けたかもしれない長谷(点名:ヲコサカ4等360m)は又も次回の楽しみ。植林の中の長坂林道を降って小野尻集落に戻る。林道南側の山裾に「是より 延命寺山」の古い石標柱を見る。 登ってきた三組尾も点名を延命寺と呼び小野尻峠を挟んで対峙する長谷(点名:ヲコサカ)側も延命寺領の寺山だったよう。今の延命寺は山南町小畑にあり 背山の尖峰465m峰を延命寺山と呼んでいます。
イタリ山山頂:西尾根側の上り土塁状?と切岸?

普段は行者山しか見ることのない山域だが 小野尻集落内に降りてくると石金山や山南町の妙見山への取付きに利用できる林道塩屋線と合流する。全国的にも出荷数を誇る!!地場産業の若松の畑の奥に三組尾と行者山が並んで 姿を見せてくれます。小野尻公民館から小野尻川を渡って今日の三組尾取付き点の車道(県道86号線)の電柱(オノジリ18 W1 E1)の10m程下手に出て来て駐車場所に帰着します(PM1:40)。


至山城(至山城館) イタリ山 274m 山南町井原

丹波国と播磨国を分けるが両国を見通せる展望尾根が小野尻峠ー石金山へと続き東先端が 至山標高僅か273.6mの:イタリ山”いたり山 道のいたりは日の本の…”と 野々口隆正古歌碑謳われる山(イタリのハナ"端")とも呼ばれ・加古川(旧佐治川)と篠山川が
山頂の曲輪跡は旧放送施設工事によるものか?

合流して此処を基点に加古川と名を変える三大川の合流点に落込む。山裾北へ佐治川(現加古川上流)に架かる「井原橋」を渡れば 丹波赤米の里井原郷。篠山方面から丹後・但馬・出雲へ向う延喜式旧山陰道・阪神・播磨側から丹波路に入る玄関口。京都へ向う交通の要衝・文化の交差点でもあり加古川流域は船運による物資輸送にも利用され交通・交易・軍事的にも重要な要衝の位置にある。三つの大河が囲む要害「イタリのハナ」に国境監視の 城砦遺構があることは
イタリ山NHK山南テレビ中継所;「至山城」主郭

至極当然と思えるが両国境目の城砦遺構が 播磨側か丹波側の城であるかは城史不詳。河川を要害とした場合は播磨側に有利な砦だが?…何カ所ある尾根上の砦遺構の殆どは播磨側の南尾根に”曲輪遺構”が並ぶ!。 至山城へは旧佐治川に架かる井原橋を渡って井原橋さくら公園の西端の登山道からスタート。太平記 巻第33」に延文22年(1357)井原・思出川
主曲輪に入る西面切岸と上土塁(NHK中継施設造成によるものか?…)

(篠山川)の事として南北朝期:京都の戦乱に:公卿で御所に仕える北面武士の一家族が・邸や財産を失い従者は離散し京に身を置く所もなく宛てなく異郷の地に辿り着いたが…悲しい最後を遂げた公卿家族の霊を慰められ 三ッ塚御霊碑の哀れな悲話を伝える伝承や至山6合目付近には至山稲荷神社があり(現在は石垣跡が残るのみ)此処にも:観応2年(正平6年1351)足利尊氏が 石龕寺に逃れ再興を期し播磨から九州へ向かう際:此の至山出合稲荷社大明神に必勝を祈願したと
至山山頂主郭より南尾根筋の最大?段曲輪

伝える。祠は現:町内の日吉神社本殿背後の岩磐下に移され鎮座する。此処では碑や伝承は割愛します…。 至山への登山者の多くは石金山への縦走で立寄り・至山山頂を踏んで引返し大谷城〜田高・北山遺跡〜田高坂…石金山へ(またはその逆コース)の縦走路に向かわれる。城砦関連?は尾根上に明確な曲輪に段差・堀切もなく自然地形に近く相当荒れており 遺構確認は難しい?…が長い稜線上の数カ所に点在し
南尾根筋の最大?段曲輪

至山から石金山へ向かう西尾根筋最初に出合う"北摂長田線の送電線鉄塔"二ヶ所の無線中継施設も砦遺構(大谷城320m…等)があり 砦「大谷城?」があったと思われる最適場所の峰々の頂には、もう一本の送電線(黒田庄支線)やDoCoMo及びJPHONEの無線中継施設が建つが遺構の確認は専門家にお任せ。調査時の記録や縄張り図等も知らず…特にDoCoMo施設が曲輪跡・縦走路には物見台・施設の東南には2段の曲輪があったのでは…と推察…。
アッ…と驚きの石垣は自然の造形!

イタリ山から最初のJPHONE中継塔への登りでは尾根筋を断つ様に!高さ2.5m・長さ7-8mの石垣に一瞬アッと驚かされる…が曲輪の石積にしては他に明確な城砦遺構はなく自然地形の造形、まして土塁や堀切・空掘・竪堀等が低山なのに防備設備がない城なのに?… 良く見ると自然の造形…ところが田高坂へ下る手前の緩やかな長い尾根の途中前後は石材?は曲輪段や石段・土留石にしても不自然然?果たして…?。岩石等見当たらない箇所なのに其処だけ・ほぼ同じ 大きさの石列が10数個集まった箇所がある。田高坂の急坂上部の尾根端部にも石列のある場所があり30-40m程続く緩やかな傾斜尾根の中程…古墳のマウンドや
至山南尾根上の曲輪群から

気になる石列は他にもあるが自然のものか判別がつかない。尾根上には東播磨と丹波路を結ぶ街道監視の物見の曲輪が西脇市 (旧多可郡黒田庄町)側2〜3の尾根にも数段並ぶようです。其の先では階段状の急斜面を下った鞍部”田高坂”には「寛政8年(1796)建立」の地蔵尊像”が立つ。 いたり山城主郭部の東・北・西に各1段程度の削平地が
至山主郭からの南尾根上曲輪群

あるようだが山頂一部を除き藪がひどくて立ち入れない。削平状態も粗く・他に土塁や 堀切もなさそうで見張台か狼煙台の監視砦だったのかも…。西脇市田高側の支尾根や石金山への縦走尾根範囲に点在する城砦の曲輪群?は丹波側ではなく 播磨西脇市側の国境防衛線として築かれたのではないか思えます。船町側に中世の一石五輪塔等が発見されているようです。 至山(イタリが端)は丹波・播磨境界の要衝だが三大河の合流地点播磨〜丹波間の最難所・要害地を避け:
至山城城域西端曲輪群:丹波コミュニティFM放送設備の上

:加古川(佐治川)を渡らず 往来出来る田高坂等・越境の峠の通行監視・警備・連絡の砦として帰農していたか?…更に石金山までに”天狗岩や滝の方展望台”からの南尾根(西脇市側)にも播磨・丹波いずれの? 国境監視の砦か?曲輪(平坦地形)が何ヶ所かあるが詳細不知…至山城だけに留めます。至:山山頂(3等 274m)には現在更地になっているがフェンスに囲まれた NHK山南テレビ中継所があり、北一段下は鉄塔跡だが曲輪があったと思われ、主曲輪西の上土塁状から主郭切岸沿いの帯曲輪が此の鉄塔跡の下部に回り込んで延びてきている!。
三ヶ村井堰:顕彰碑(黒田庄町)

石金山縦走路に引返す西尾根100m程下に「旧ツーカーホン関西:現在は丹波コミュニティFM”805”たんば」のラジオ放送設備が建つ。 至山城は此のFM805…施設から至山山頂北の一曲輪・南枝尾根側直ぐ下3-40mに2-3段・更に50m程下部の尾根筋にも広い3-4段の曲輪がある…等:全城域に曲輪(平坦地形)を並べるが…堀切?・竪堀・ 土塁等を見ない?。後は急斜面を黒田庄町船町の上谷の集合墓地と三ヶ村井堰(旧加古川最上流部:永徳3年:1383・南北朝期潅漑目的に許可を得て築かれたが:現在は五ヶ村の黒田庄西部井堰)顕彰碑の間に降立つ。
(氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書の分布地図と一覧表参照 氷上郡教育委員会)


大谷城  xx山 Ca320m  山南町梶・黒田庄町田高

大谷城は山南町と黒田庄町との播磨国境を東西に延びる主稜線から南へ突き出す支尾根に位置する。城史不明で明確な遺構も発見出来なかったので 山行レポートとします。360度展望が効き、丹波と播磨両面の雲海が楽しめる石金山山頂へはAM4:00頃から霧が発生しはじめ家を出る頃は霧の中。 そして石金山〜田高坂〜至山への縦走コース上には大谷城と至山城(至山居館)がある。
田高西山から大谷城

ただ・ どちらの城についても城史不明のうえ私のような素人には明確な遺構のない自然地形の平坦地に曲輪を・浅い凹角部に堀切を判断出来るほどの見識・洞察力もなく”此処だ”と指摘されなければ気がつかず頼りない状態の超マイナー山城探索では期待通りの発見は 覚束ない。”鞍かけ石”があるXX会社の車道脇を過ぎる頃に霧もアッという間に晴れて岩尾城の石積さえ見える程。集落内に”鞍かけ石”が置かれた小公園前が小新屋観音の入口。既に周囲の山々は朝日と青空の中にあり雲海見物は先送りだが:所用の合間で往復2時間の猶予しかないので城跡探しをメインに登ってみようと道なりに進んで小新屋観音前から 石金山登山口に進みます。
石金山頂から氷上町方面(正面最奥が五台山

短い急登40分程で山頂に着くと宝塚から来たという男性が一人撮影モードです。霧は薄いが播磨・西脇側、 北には氷上町が消えかかった白雲の底にあった。余り余裕もないので石金山から引き返しイタリ山への縦走尾根を採って大谷城を目指します。小新屋観音への下降点からの緩い尾根を登りきると滝の方展望台で白山〜妙見山や西光寺山-大谷城がどこかは良く分からないが 此処からは至山の手前・西の峰続きには目印の送伝線鉄塔Ca320m峰が見える。滝の方展望台からのコースは左下の岩場”天狗岩”へ向かう。縦走中唯一の!鎖場を過ぎてもドンドン下り緩やかな尾根歩きに移るが縦走コースが開かれる以前は此の辺り 特に大谷城〜田高坂の藪漕ぎは棘類が多くて大変だった。送電線が山南町梶と播磨側・黒田庄町田高の国境を越える尾根上にある大谷城は丹波の城に入れたが 佐治川(加古川)を望む位置からは播磨側の国境警備の城か?
小新屋観音

山南町側へ藪の山腹をトラバースして下る巡視路 ”ガラガラ”を過ぎると小鞍部に片堀切のような凹部を見て送電線(北摂長田線No57)鉄塔に此処から自然地形の平坦地が 続き2〜3段差も見るが遺構としては納得いかない?古墳跡らしい:この先下って広い鞍部に出るが堀切らしくもないが左右の藪に隠れた谷筋は急。 此処からさらに登り始めた急斜面が城域に入って行くような感じがした。ピーク付近には自然地形の平坦地があり、峠(田高坂)監視の至山城の砦が有ったのなら此の辺りだったか?他に何も気付かないまま斜面を降り大谷城の城域を抜けたらしい。送電線・黒田庄支線No34 鉄塔を50m程下った田高坂に着いた。
大谷城の主郭部?(実は古墳)

寛政8年(1796)辰11月建立の地蔵尊像が建つ。県道86号の船戸橋辺りから見ても田高坂に近い306m峰近くが大谷城らしい?何の成果もなかったが今は松茸シーズンなので深入り出来ない、 此の辺りで引き返し次回改めて田高坂周辺を播磨側主体に歩いてみたい。”田高坂”の峠越えは播磨〜丹波間での難所・加古川(佐治川)を渡らず往来出来る間道なので通行監視の砦があったのでしょう。大谷城〜至山城への尾根上に 堀切や切岸加工の明確な曲輪はなく至山城に見た(一部だけ?)数段の曲輪群も段差は低く曲輪を繋ぐほどの 帯曲輪もない(腰曲輪らしいものはある?)自然地形に近く 相当荒れており・わからないが至山城-大谷城にいたる 長い稜線上に点在して、
天狗岩から大谷城付近(中央)と至山(中央奥)

東播磨と丹波への玄関口を警備する街道監視・連絡の砦として機能したものでしょう。大谷城追記:下記資料からは主郭から西に1段・北へ1段・東に12段の曲輪を連ね東に2段目に曲輪の南側には”食違い虎口”があり周囲にも小曲輪が配置されているという。 また城域の両端には堀切も有るそうなので中世まで使用されてきた山城の様だが未確認。
(氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書の分布地図と一覧表参照 氷上郡教育委員会)

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