| 播丹国境 妙見富士へ 東山古墳群〜城山(貝野城)〜妙見山〜段ノ城(向山) |
・人の福寿を増す」妙見菩薩をこの山に勧進して祀ったのが山名の由来と云う。
尻峠手前の牧野大池からと東山古墳群・那珂ふれあい館・多可高校西側から城山鞍部に至る
りの続くコースだが迷うことは?ない。岩場通過・露岩帯は山頂が近くなると目立ってくる。妙見山頂693mは以前の暗さは微塵もなくすっかりあかるく様変わり。
アガイドの皆さんにお世話になった後・西脇市大木町の鍛冶の神様・
天目一神社にも立ち寄る。
城(本郷氏)とは共に赤松一族として別所重棟と戦い落城の運命を共にする。東山古墳群の西端(AM6:20)から林道が山に向かい
登山口」導標の東山口・緩やかな檜の植林帯から松の木の目立つ疎林の道は 3合目休憩所(ベンチあり)のある鞍部へと続きます(AM6:45)。
567mピークへは急登・鞍部から安楽田への下降点に青テープがあった。八幡宮から続く直進の林道に出るのだが登りに採って無事に此処へ登り着くには踏み跡探しに苦労しそうです。
せる低い山容の城山・其れが貝野城です。中町【妙見山の合唱組曲】(橋本喬雄作曲)の「三太郎狐」の章に♪…阿鼻叫喚のざわめき 三太郎狐は貝野の城も段の城も下僕に身を変えてうたかたの夢と消え…♪貝野城と段ノ城の在田氏(赤松家)が、
法のようです。築城時期や城主については不詳ですが松井氏によるものといわれ石積・石列の無い土城の遺構が南郭の一部に残るようです。
改修と共に防備補強に此処に築かれたものと思うのが筋だが実は敵対する赤松氏の宿敵・山名氏とは生野鉱山と妙見鉱山の鉱脈で繋がり、
三合目鞍部に着くと妙見山へとは反対の西方に「城山」への表示がある。急斜面を登りきると広い数段の曲輪が2-3mの段差で連なる南郭部のピークです。
気味に北の本郭に向います。北郭部の東端曲輪には高い石積みが残り、本郭北側の斜面には北播磨には珍しい畝状竪堀群が有って10数条も走っています。此の東山古墳からの登山コースは旧貝野城の登城ルートで、山名氏により改修されてからは荒田神社の西・貝野側に付替えられて城下町(新屋形)が整備されたといいます。
源之丞朝行・主馬介朝祐・有田源八郎朝勝と続くが天正3年(1575)7月23日夜半から翌24日にかけて荒田城合戦が起こります。
有田源八郎朝勝の荒田構居!?瑞光寺と「貝野城」を奇襲して焼き討ち一気に「段の城」に迫る。
伝承があり、村人が五輪塔婆を建立し従者たちの武具、刀等を「若宮大明神」として祭祀したのが若宮(大明神)神社の創始といわれる。奥荒田は名水の里で神崎町へ抜ける高坂峠付近の松葉の清水「松ヶ井の水」が有名ですね。
)・五百箇磐石命(いほかいわれいしのみこと)を祀る。創建は不明ですが、慶長年中(1596-1615)安楽田東端道路の北側に建立されていたが寛文8年(1668)9月の荒田町大火により神社・別当大乗寺等を燃失した。| |