丹波比叡(妙高山)への道 深尾須磨子(丹波の詩人)の里/日ヶ奥渓谷?妙高山

丹波市  (五万図=篠山・福知山)
山行日 2001年04月07日丹波の女流詩人・ 深尾須磨子の里から旧参道
T春日クリーンセンタ〜神池寺〜妙高山(565m)〜ゴンロクの里
山行日 2001年07月07日
丹波比叡へ日ヶ奥渓谷から辿る滝見の道
U 日ヶ奥渓谷(白龍の滝)〜妙高山〜タキガナル・天ヶ岳

日ヶ奥渓谷・白龍の滝(雌滝):中段は大きな滝壷を持っています

丹波のお話 肩切り地蔵 すまずの池
校歌の山: 鴨庄小学校 ♪大空高く妙高の ゆるがぬ姿青雲をよび 燈明の峰雲晴れて・・♪
           ★燈明峰は 横峰山・高谷山の別名


「秋の季に入る先達や峯の霧」神池寺住職松苔軒可常の句:初秋の頃・霧立ち込めた大峰山に入る先達の雄々しい姿を称えたもの。今から300年余年前の神池寺には多数の僧坊があり20数名の僧侶が居住し俳諧も盛んで、 その中心となっていた可常は松尾芭蕉や田捨女等と共に国学の大家・北村季吟に師事して寛文12年(1672)3月「俳諧法農華」三巻を著し、京都で出版したとの奥谷高史誠氏・案内文が すまずの池端に立ててある。池はモリアオガエルの産卵池としても知られています。「丹波比叡」と呼ばれる古刹妙高山・神池寺は養老2年(718)法道仙人開基と伝えられ、
秋の日ヶ奥渓谷:駐車場から

山容が須弥に似ていることから 妙高山と云い、山上に池があるので神池寺と名付けられた寺格:天台宗中本山です。聖武天皇の天平年間(729〜749)には兇賊のために寺坊は灰塵に帰したが、天皇は直ちに勅願所として堂宇再建を命じられその後、 行基が来山して弥勒の木像を彫刻し、仁寿年間(851〜854)には慈覚大師(比叡山興隆の祖)が来山、 大師の刻んだ不動明王像や平重盛の写経を埋めた五輪塔は寺宝となっています。貞観元年(859)には堂宇32,坊舎百余の再建成って天台の道場として隆盛している。
神池寺

元弘年間(1331〜1334)征夷大将軍・護良親王のとき仏堂の殆どは兵火に崩れ落ちたが衆徒の寄進により天正15年 (1587)堂宇再建成り昔日をしのぶ賑わいとなったが元禄(1688〜)の頃より寺運衰退し其の後も急速に廃頽していった。一帯は多紀連山県立自然公園の一角で「ひょうご森林浴場50選」にも指定されています。 「すまずの池」側には神池寺会館があり林間学校としても利用されており、此処から本堂に向かう参道途中には肩切り地蔵が祀られています。



詩人深尾須磨子誕生の地から丹波比叡の妙高山・神池寺565mへ  H13.04.07

県道97号線で篠山市西紀町から栗柄へ、分岐からは県道69号線で栗柄峠を越えると露岩とタムシバで山裾を白く彩る三尾山や鋸山の姿が目に映ります。此処迄来て、いまどきの三尾山に向わずに対峙する妙高山へ登ろうという物好きが中山交差点を右折します。三井庄は丹波の女流詩人 深尾須磨子の誕生地です。
春の須磨子の里

「山があれば川がある故郷よ 山に狐 川にゴンロク 今もいるか故郷よ・・・(望郷より)」 メダカとごんろくの里(三井庄地区)の看板があり車道が分岐する角に須磨子の里のこども小公園があります。此れは個人の自費で作られた公園ですが石垣の周囲の小川に本来はメダカや権六(ハゼ科の淡水魚 )を泳がせているのでしょう。後方に妙高山塊が見えます。此方から妙高山へ向うのは初めてですが、ここを左折し集落を直上して風呂吹を経由して妙高山・神池寺への旧参道コースはハッキリしているようですので下山ルートとし、 春日総合運動公園の駐車場に入ります(AM10:15)。ゲートボール場や人ッけの無い子供プール横を進んで、 白い高い煙突が目立つクリーンセンタで左折して地道の林道を入りますが直に堰堤で終点です(AM10:25)。何時もなら谷筋を直進して鞍部を狙いますが倒木が目立ち踏み跡も途絶えていそうです。
秋の神池寺:すまずの池

同じことなら左手の枝尾根稜線を目指して潅木の間を縫って登ります。 コース採りは正解で直に稜上の踏み跡に出ます。但し延々ビニールテープの続く松茸山の境界線でテープが切れ風に揺れているのが鬱陶しいですね。この細い踏み跡はやがて右手の方から明確な道が合流して三井庄への 道標石仏のある辻のお堂に出ます(AM11:00)。 石仏(此処の何体かの道標石仏は文化3年(1806)建立で (右・三井庄/左・細見)私の辿ってきた道は旧細見集落(所在等不詳?・上三井庄の何処か?)からの旧参道でした。辻のお堂背後に上がり道が続き、正面の広い参道1〜2分で”すまず池”前に着く。 講堂の名前はナンと明治大学もとィ 明治大覚殿です。
須磨子公園からの三尾山

此処の石燈籠の向いに朽ちた道標が倒れていますが奥の院・展望所への表示に沿って整備された道を進みます。T字辻にある本殿への表示とは反対に左折して 緩やかな登りコースの先には見覚えのロールアウト大柿氏の赤布が見えます (AM11:15)。道なりに進めば山頂へは 直ですが手前で左へ水平道が延びていきますが 野上野(のこの)への此れも、 かつての参道です。 しかし以前入り込んだが倒木や道の荒廃が進んで棘の木が多く途中で退散した覚えもあります。 今はどうなっているかわかりませんが!程なく妙高山山頂の愛宕地蔵尊が祀られている祠が見えます。
69号線竣工記念公園からの三尾山

神池寺の山号の妙高山 (2等3角点 565m AM11:30)は展望無く山頂から先は日ヶ奥渓谷へ下っていくだけ。稜線を辿って降りられるコースは無さそうで、 有っても興味あるポイントも無い下降だけの道の様なので此処から同じ道を 途中の尾根分岐の石仏まで引き返します。短い登りの尾根筋に入ります。暫らく続いた山道は段々細くなっていくが、 此の尾根の最高所辺りの平地には古い五輪の塔が有りました (AM11:43)。倒木で分断された踏み跡がハッキリしてくると道は急坂の下りとなり、三井庄に下るお堂の辻に出ました(AM11:52)。神池寺への裏参道だったのでしょう。 広いよく踏まれた道の様だが段々と荒廃が進んで、谷に懸けられた丸木橋も、うっかり踏めば抜けてしまう感じです。
神池寺の宝筐印塔

途中には普賢菩薩?!でしょうか。お顔の目鼻立ちも鬢もハッキリした舟形石仏像<享保4年 (1719)9月建立>がある。 地道の林道に出てやがて本林道と合流しフロブキ池の横に出てきて広くなった舗装林道は風呂吹(PM12:15)に出ます。林道が二股に分かれる広場には石積みの塚が有り三界萬霊等の碑・中央に写経塚の碑は宝篋印塔です。 右手には地蔵尊像が建てられていました。林道から三井庄集落へは常に正面に三尾山から鋸岳の姿が消えることは有りません。深尾須磨子の小さな記念公園(PM12:30)に出てきて田園風景の拡がる運動公園への車道を戻ります。 古路地川に掛かる 川北橋を渡りサイレンと喚声の響き渡っている春日スタジアムでは柏原対三田学園の野球対抗試合中でした。 スタジアムの山側の駐車場に戻って次の短時間で登れる山を検討しながら黒井の町へ車を走らせます(PM12:45)。

神池寺境内の石造宝筐印塔
県指定 「昭和51年(1976)3月23日」文化財の石造宝筐印塔が建つ。現高1.55mの石英安山岩製で基礎は上端に返花座を刻み出し、各面には輪郭付き格狭間(こうざま)を入れている。 塔身には四面とも花頭窓様に形づくった龕を深く彫り込み、 内に仏座像を半肉浮彫りとしており、此れは宝筐印塔印として類例の少ない手法とされます。造立年代は明らかにされていませんが、 四方仏の像容や返花座等の各部様式手法からみて、南北朝時代のものと思われます。 構造手法の優れたもので「太平記」にあらわれる神池寺宗徒の動向等とともに、当時を知る貴重な資料である・・・と。
(現地:神池寺石造宝筐印塔案内板<平成5年 11月>兵庫県教育委員会を参照)



日ヶ奥渓谷〜岩稜のマイナールートを妙高山 小峠から東西に岩壁を抱くタキガナル(404m)〜天ヶ岳 H13.07.07

175号線を走りながら左手に 小富士を見て多田橋を渡り(少し手前の渡所橋を渡れば日ヶ奥渓谷へは一直線)舞鶴自動車道路下を潜れば「愛ランド自然公園/日ヶ奥渓谷」の大きな看板と丹波の森かすがの周辺案内板 (Pスペース有)の前を通り長坂池(釣堀 )の少し先でキャンプ場・公園の駐車場 (夏のシーズン中は有料)のある終点に着き駐車場の左手奥から渓谷の遊歩道がキャンプ場中を通って続きます。
日ヶ奥渓谷入口にある発電所跡

日ヶ奥から妙高山まで昭和40年1月多紀連山県立自然公園に指定されました。 妙高山・神池寺は修験道の霊地として開かれ丹波比叡称されていますが詳細は冒頭で説明済みですので省略します。 今回の渓谷ルートは白龍の滝を始め奇岩や巨石が点在し清流を縫うように連なっているとは案内板の説明です。 駐車場(AM7:15)からも岩妻「谷中の神」まで車可能ですが一般車は進入出来ません。
神池寺へハイキング道展望台から

梯子&滑り台で谷へ降りると 15m程のゲートロックがお出迎えです。一杯水入り口すぐ3m程の滝は左手を登ります。 この谷は前日までの雨のせいばかりではないが、苔のついた滑りやすい岩ですので軽登山靴では足元注意です。3m滝を越せばすぐ遊歩吊橋の下です。大きな岩の間を越すだけですので遊歩道を辿り、 石仏の建つ岩の間に続く吊り橋を渡り 役行者像を過ぎて綺麗な岩床の谷に降り滝の横の4m岩場に古いフィックスロープがあるので、これを利用して攀じ登ります。岩は硬いが滑りやすいので、このザイルは大助かりです。
白龍の滝(雄滝)

以前から朽ちた吊り橋があり右手は岩壁に沿って大きく高巻く道があり此処に白龍の滝(雌滝 )が架かっています(AM7:25)。朽ちた吊橋は観滝用?だったか。谷一杯に広がり岩壁の間を落ちる大滝が雌滝なら、この先の雄滝はもっと凄い ?と思いきや此処の滝は女性上位の滝のようで雌滝の方が数段迫力があります。 雌滝の一段目の右岸(左側)にロープが有落口に着くと 二 段目の滝の間は 深く大きな釜になっています。お釜を左岸へ鎖がセットされていますが、其処から先さらに岩場の奥にも滝が架かっていますが 通過不可能ですので元の階段の急な道へ引き返します。雌滝の落ち口上部で山の神が祀られており、此処からは林道沿いです。
白龍の滝(雌滝・中段のお釜)
 

途中から無理に谷に下りますが小滝が 2〜3有りますが流れの中に入らないと通過出来ないので元に戻り暫らく林道歩きで 左手奥に見えてくる白龍の滝 (雄滝)に着きます(AM7:35)。滝の通過は三つ道具が必要ですが登った形跡?は無さそうです。雌滝に比べれば優しい旦那さん的な雄滝です。又林道に戻って先に進みます が、谷の瀬音を聞いても藪の中の溝谷ですので 快適な遡行感はないので止めます。 「しる谷入り口」・次の岩妻入り口は 「谷中の神」神楽道(AM7:50)50m程先には「かんかけ入り口」「ナバ谷出合」と夫々に立派な標識は・まさしく松茸山の境界標識!!。「南谷入り口」直ぐ先で小峠に着きます(AM8:00)。 小峠の右手にテープに混じる見覚えの赤布は MTB大柿氏('98/6)のもの。
桜不動の滝

日ヶ奥渓谷〜妙高〜下三井庄がこの時のコースのようです。 小峠から神池寺への林道へ下りますが、今回はこのテープから尾根通しに妙高山へ直登するつもりで入っていきます。登山としてはマイナーなルートです。 一部不明瞭なところや、山頂近くでは藪漕ぎっぽくなりますが山頂地蔵尊手前 7〜8mにある石燈籠の前に飛び出します。稜上は所々に露岩・岩場も有この山へはどのコースにもない展望が楽しめ、 且つ妙高山を目前に眺めながら進みます。目前に高谷山(横峰山)や親不知・五大山へと展望岩に登ってみると、 雨上がりで、もやっているが見晴らしは上々。踏み跡も比較的はっきりしている尾根筋ですが妙高山手前の鞍部からは急に途切れがち。左寄りにコースを採って石灯篭のあるハイキングコースに飛び出した。其処が妙高山山頂 (565m AM8:40)。前回は五輪塔の残る尾根筋を肩切り地蔵へ出たが、今回は神池寺本堂への道を採ります。
神池寺「すまずの池」

本堂横のお堂には不思議な!阿吽の一角獣(狛犬)が歓迎してくれます(AM8:50)。 本堂横からアジサイの咲く県立自然公園の横を 庫裏に出て林道を下ります。林道からは西面に岩場を覗かせるタキガナル望まれ、 林道のヘアピンカーブの角から遮断機のある林道に入ります。日ヶ奥渓谷への道で途中桜不動尊を祀る桜滝が架かっています (AM9:15)。ハイキングコース中谷を渡るところから 詰めて来ればゴルジュの奥にあるこの滝に着きます。
鴨庄から神池寺まで続くカヤトの沿道が県道541号(細い林道!?)

滝上から右岸の草付きを上下しますが、手掛かりが立木だけなので危険です。妙高山へ直上した小峠に戻ってきましたので(AM9:25)今度は右手(反対側)の踏み跡を辿ります。 途中4〜5箇所に境界標が固まっている場所があり此処がタキガナル ?三角点を探したが見当たりません。しかし程なく展望のない藪の中のような稜上に4等3各点のタキガナルは綺麗な石の標柱を覗かせていました (404m AM9:50)。この下の峠(AM10:05)は、この後天ヶ岳から上り返し此処まで来て峠から下る。 峠から15分程で無名ピークに着きタキガナル東面の多くの岩場を見ながら右手のテープを頼りに下り、塚原から神池寺に向う林道に出て「こぶしの里アマゴの家」の先30mの橋の側で地蔵尊と小さな六地蔵が祀って 有り付近に墓地はありません。
不思議な!阿吽の一角獣(狛犬)が歓迎

天ヶ岳へのルート正解はこのピーク手前から 左下へ山道を下るんです。稜線通しで無いので間違いやすく! 此処から暫らくは藪道です。今年四月に登った日内城址を眺めながら戸平トンネル (京都・三和町へ抜ける県道 )への道(鴨庄小学校前のじんで橋 AM11:00)から上牧へ出ると小さな山だが天ヶ岳 (312m)が嫌でも目に飛び込んでくる。車道を歩くより天ヶ岳を越して 日ヶ奥池へ出られると思い登り口を捜しながら進みます。舞鶴自動車道手前から山側を辿り高速道路手前(AM11:15)から山に向う猪除け電線があるので此れに沿って 天ヶ岳の少し北側の谷依りに進みます。稜線へ上りきると今までの道が嘘のような山道が現れます。
神池寺への林道より望むタキガナル

何処からの道かは知らないが高速道路工事で取付きなど分から ないかも知れないと勝手に思うが少し癪だ。天ヶ岳山頂(312m AM11:55)へも結構良く 踏まれた道が続く。 展望は妙高とタキガナルへの稜線が見えるだけ。直ぐ下に見える池に下る道が見当たらないが「小多利」の境界プラ柱の続く、結構広く確りした山道がタキガナルへの稜線に続いているので此れを辿ってみることにした。 一部崩壊し一部藪となってはいるが先刻通ったばかりの尾根に戻ってきた。 結果から言えばこのまま小峠まで 同じ道を引き返せばよかったが タキガナル手前の峠から下り(下った方向が逆だった )途中右下への谷と分岐するが稜線を進み下りきったところは舞鶴自動車道高架手前で溜池があり左手に石柱があった 「最明寺旧跡」と書かれている。
神池寺仁王門

さて右か左か ・・・・どちらへ進めばいいのか分からない。 右往左往とはこのこと。しかもどちらをとっても高速道路に並行の山側の道は車道なのに行き止まり。一方は貯水装置と廃墓地が終点で其処から先は山道もなし時間をロスして 引き返し高架を抜けて集落側の道に出て、やっと小多利の小富士を確認してそちらに向う。延々と1時間以上の車道歩きをまたまたやってしまいました。






肩切り地蔵

貞観2年(860)の春四月、里の桜も散った頃、妙高山上は今を盛りと爛漫の桜が折からの落陽に映えていた。旺盛を極めていた頃の神池寺の話です。天台宗の道場として寺勢盛んだった神池寺の門前町として湯谷 (市島町多利)には茶屋が軒を並べ人の行き来も多かった。茶汲み女のお美津は、 花に誘われ仏に詣でる数多の客を今日も愛想のよい笑顔で送り迎えていた。長い春の日も黄昏・人足も疎らになると彼女は毛氈を敷いた床几に腰を下ろし、 手にしたお盆を膝の上で廻しながら、 今宵も三井庄から時々訪ねてくるであろう由松のことを思って人知れず心を躍らせています。「由さん、きっと来てね」彼女は心の中で・そう念じながら店の終いかゝり・ふと振り返ると由松が立っていた。 日焼けした健康そうな顔、逞しい肩、頼もしい男の姿にお美津はニッコリ。ドッカリ床几に腰を下ろし人目のないまま寄り添う二人。 こうした逢瀬を楽しんで別れて帰ったすぐあとから「今夜四ッ過ぎ腰掛松辺りまで来て欲しい」とのお美津の便りに由松は、かってそんなことのなかっただけに、いぶかりつつ用心の為道中差しを腰にして出かけた。

おぼろ月夜は中天にかかって春の夜は更けてゆく。 待つまでも無くコトリと音がしたので振り返ると、 そこには夜目にも麗しいお美津が立っている。 彼は何だかいつもと違ったお美津を感じた。 ニッと笑う笑顔にはいつものエクボはなかった。夜目にもハッキリした着物の縞目に彼は不審の思いを増した。「待ったかい?」彼女の手に触れた由松は、その手の冷たさから五体に伝う冷感に夢中になって 道中差しを抜くと 袈裟がけに切りつけた。カチンと硬い音がしたのを夢心地に聞いて由松は気を失ってしまった。 朝露のしめりに我にかえると、 かたわらに袈裟懸けに切られた石地蔵を見て、昨夜の出来事が夢のように思い出されるのであった。
神池寺「すまずの池」

公達に狐化けたり春の宵"恋の暗路にふみ迷って狐狸にたぶらかされ、地蔵尊を切った罪の深さに由松はおののいた。 狐か狸・また妖怪の仕業と見抜くことも出気ず地蔵尊を斬った罪の深さに懺悔して、生涯吾が身を捨て地蔵尊を供養したと云われます。今まで肩切地蔵尊は大路から登った坂の上の椎の木陰に祀られていて 肩から上のできものの願をかける者が絶えないというが、参拝者とりわけ高齢の方達のお参りには困難なので、平成15年(2003)6月現在地(神池寺境内)に移転されました。
(丹波新聞社発行・由緒を尋ねてより抜粋 現地:肩切り地蔵由来説明書 を参照)


すまずの池

お寺には水の綺麗な池が在り、その側には鐘楼があって小僧さんが朝夕交代で鐘を搗いていました。ある夕方「和尚さん、鐘を搗きに行った小僧が今日も帰って来ません 」「えっ、帰ってこない と!!変だなァ・此れで三人目じゃ、寺が嫌に成って山を降りたのかなあ」 こんな不思議なことが起こるものですから、 和尚は一人の坊さんに鐘を搗きに行く小僧の見張りをさせました。
神池寺「すまずの池」

何日目かの夕方のこと、いやな黒い雲が空一杯に拡がり、あたりは真っ暗になってきました。 小僧はいつもの様に鐘を搗き始めます。その時です、鐘楼の側の池の水が波立ち始め ・辺りの草木がざわめきだします。そして池の水が渦巻き始めたかと思うと大蛇が頭を持ち上げ大きな口で小僧をひと呑みにして池に潜り込んでいきました。アッという間の出来事で見張りの坊さんはどうすることも出来ません。 和尚に報告し、色々相談します。その時、一人の坊さんが「小僧の人形を作ってその人形に毒を入れたらどうじゃろう 」「それが良い」ということになり、さっそく人形を作ります。それから何日かの後、前と同じ様に空が真っ黒になりだします。「今だ・そら人形を運び出せ」と小僧が鐘を搗いているように人形を置きます。
神池寺「すまずの池」

そして鐘搗き棒に縄をつけ木の影から引っ張って 「ご〜ん、ご〜ん」と鳴らし始めます。すると前のように池の水が渦巻き始め、 がばっと大蛇が頭をもたげて人形をひと呑みにして、ばさっと池に潜り込んでいきました。 「やった上手くいったぞ」 又 池の水が波打ち大蛇が浮いたり沈んだり、のた打ち回りましたが、そのうち弱ったのか池も静かになりました。このことがあってから小僧達は大蛇に呑まれることもなくなり安心して鐘を搗くようになりました。 しかし何時までたっても赤茶色に濁って綺麗な水には戻りません。村の人達はこの池を「すまずの池」と呼ぶようになりました。
(丹波のむかし話 丹波の森協会 参照)

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